第4話
その後、ジェンクスの尊厳と自尊心は激しく傷ついたものの、呪いの兜は高価な兜に代わり、それで賠償という運びになった。
兜を押しつけた当人は、その値打ちに驚き取り返そうとしたらしいが、ジェンクスの失った物を思えば安い物だろう。
(それにしても、本当にとんでもない一日だった)
家に帰ってきたイザベラは、なんだか疲れ果ててしまった。
居間のソファに座り、背もたれにぐったりと身を預ける。
まだお昼過ぎだが、今日はもう店を開ける気にもならない。
いっそ昼寝でもしようかと考えていた瞬間、紅茶のいい香りが鼻をくすぐる。
「さっきのは冷めたから、淹れ直した」
そう言って目の前に差し出されたのは、紅茶の入ったカップだ。
「ありがとう」
「それにしても、君の仕事は大変だな」
「そんなことないわ。 前とやってることは変わらないし」
「でも下手をすれば裸になるところだったんだぞ」
「あんな変な呪いはそうそうないわよ。普段はもっと単純で、サクッと終わる呪いばかり解いているし」
イザベラの日々は本当に単調だ。
顧客を得たので仕事には困らないが、今回のように呪いが発動した状態で持ち込まれることはほぼないし、机に座って黙々と作業をするばかりの日々だった。
「仕事もほどほどに忙しいくらいだし、平凡で代わり映えがしない毎日よ」
クリードの冒険に着いていった頃より刺激は無いけれど、でもそれくらいが丁度良いとイザベラは思っている。
「でも充実しているようだ」
「まあ、そうかも。前も楽しかったけど、やっぱり旅は大変だったし」
何よりも勇者として活躍し、賞賛を得ていくクリードの仲間としてついていくのは大変だった。
仲間であるだけで彼と同様の期待をされるし、それに応えなければならない。
解呪、という一点ではそれなりに活躍できたが、戦いに参加できないイザベラはいつも疎外感を感じていたし、実際クリード以外の仲間から冷たい目で見られたこともある。
それでも同行し続けたのは、クリードが好きだったからだ。
だけど彼は勇者となり、魔王も倒してしまった。
それでも変わらず彼はイザベラと仲良くしてくれたけれど、周りには『お前のような人が関われる人じゃない』という空気が生まれていたのはたしかだ。
そしてその空気の中で、イザベラは怖くなってしまったのだ。
『イザベラ、もう君は必要ない』
そう言われて、クリード自身の口からパーティを抜けろと言われたらきっと立ち直れない。
だからイザベラは、身の丈に合わない賞賛だけでなく、クリードからも逃げたのだ。
「自分がしたいことを見つけて実行する君は、本当にすごいな」
しかしクリードは、あのときの想像とはまるで違うことを言う。
それもどこか甘さを含んだ笑みを浮かべて。
(この笑顔に、私は弱すぎる)
誰にでも向けるその笑顔に、思えばイザベラは恋をした。
共に旅する中、その強さと優しさに触れ、ふとした会話に心を弾ませ、それがいつしか恋になった。
きっかけはもう思い出せないけど、所詮はイザベラも若い女だ。顔がいい男の笑顔には弱かったのだろう。
多くの人が彼に見惚れて憧れるように、イザベラが抱いているのもよくある小さな恋だ。
本気にはしてはいけない、ささやかな錯覚のはずだ。
だからそれを、イザベラは忘れたかった。
静かな日々の中、身の丈に合った生活を営み、叶わない恋を忘れる。
それが今の、イザベラの目標だった。
「イザベラ、改めて礼をいう」
なのに、どうしてこの男はやってきてしまったのだろう。
ため息を飲み込みながら、イザベラはもう一度彼にかかった呪いに目を向ける。
黒い闇に見えたのは、絡まり、こじれてしまった真っ黒な糸だ。
「それ、解く?」
「ん? 呪いか?」
「うん。多分出来るんじゃないかな」
ただこれは、ものすごく時間がかかるだろうし、解呪の際の副作用などもしらべなければならないだろう。
だがそれでも、呪いならば解くことは出来るはずだ。
「いや、必要はない」
「でも、そのせいで困ったことにならない? と言うか実際、困ったことになってたよね」
「別に困っていないが」
「でも、メイド服まで着ちゃったし」
「別に俺は、メイド服でも困っていない」
「本気で言ってる?」
「ああ。今だって、君が望むなら着てもいい」
むしろ着ようかと、身を乗り出してくる彼に慌てて頭を振る。
「ひ、必要ないけど、なんでそこまで?」
「君に仕えるのが俺の望みだから」
そういう瞳は、本気だった。
「その呪いって、気持ちを素直にさせるんだっけ」
「ああ。だからここにこれたんだ。静かなところで、新しい仕事を始めたい。それが、本当の願いだと気づけたから」
「だったら別に、私の所じゃなくてもいいんじゃない?」
問いかけると、クリードはひどくさみしそうな顔をする。
「もしかして俺がここにいると迷惑か?」
「そ、そうじゃない。クリードが望むなら、別にいてくれていい」
本当は離れるべきだと思っていたのに、クリードの顔を見た途端考えとは真逆の言葉を口走っていた。
「ならば、ここに置いてほしい。そしてこき使ってほしい」
「こ、こき使うのはちょっと抵抗あるかな。一応ほら、今まではあなたが上司だったわけだし」
「俺は、友達のつもりだった」
不意にこぼれた言葉に、イザベラは思わず息を呑む。
「いや、友達になりたかったと言うべきか……」
言葉を迷わせつつも、クリードはイザベラをまっすぐに見つめていた。
「初めて君の解呪を見たとき、心の底から凄いと思った。それに、どんな危険な場所にもちゃんと着いてきて、仕事をまっとうするところも尊敬していた」
「それは、あなたが守ってくれたし安全だったから出来たことよ」
「俺の側にいて『安全』だと感じる奴はそういない。だからパーティも、人の入れ替わりが激しかっただろう」
言いながら、クリードはわずかにうなだれる。
「お前にはついて行けないと、言われたことは何度もある」
「えっ、そうなの?」
「共に前線に立った人はみな俺を恐れたし、化け物のようだと言われたこともある。だから必要な金を得るとみな、去ってしまった」
「知らなかった……」
「君は後衛だったしな」
言いながら、彼はおずおずとイザベラの隣に座る。
彼の重さで身体が傾き、大きな肩に小さな肩が当たる。
「でも君は、ずっとついてきてくれた。そのことに、俺は勝手に救われていた」
だとしたら、イザベラが去ったことは少なからず彼を動揺させただろう。なんだか申し訳ない気持ちになっていると、クリードがイザベラの顔をのぞき込んだ。
「それを口にすべきだと後悔した頃には、君は去っていた。だが追いかけることも出来ずに悶々としていた頃、この呪いが発動したんだ」
寄りかかってくる重さに戸惑うも、イザベラはそれを受け入れ続けた。
そうするべきだし、そうしたいと思ったのだ。
「俺は多分臆病な人間で、呪いでもなければ好きなように生きられない。だからこのまま、この呪いは残しておこうと思う」
「わかった。害もないっていうし、クリードが望むならそうしようか」
「あと、友達にもなってほしい」
おずおずと付け加えられた言葉に、イザベラは苦笑する。
(友達……か)
やはり彼の方に「特別」はないのだろう。
でもそれを言えば、イザベラの恋だってきっと特別ではない。
今だって友達と言われて十分嬉しかったし、満足を覚えてしまう位の気持ちだ。
「いいよ。でも友達ならやっぱり使用人じゃないほうがよくない?」
「いや、誰かのお世話をするのは憧れだからやってみたい」
今までは世話をされる側だったから、反対になりたいとクリードは大真面目に言う。
その顔を見ていると彼の願いを叶えてやりたくなり、イザベラは頷いた。
「わかった。じゃあちゃんとお給料払うね」
「あ、そうか。それはなんだか申し訳ないな」
「いいよ。褒賞も無駄に残ってるし、お世話してもらうなら対価は払いたいから」
「ん? あの金は使ってないのか?」
「実家の仕送りとお店の開業資金にはあてたけど、それくらいかな。あんまりな額だから怖くて、魔法銀行に預けたまま手をつけてないの。庶民には大金すぎて怖かったよあれは……」
今更のようにお金をもらったときの恐怖を告白すると、クリードの顔がぱっと華やいだ。
「同じ事を、君が思っていたとは思わなかった」
「え、クリードも怖かったの?」
「俺は貧乏孤児院の出身だぞ、君よりずっと金に縁がない」
「た、たしかに」
「だから金だけでなく爵位までもらい、もはやどうしていいかわからなかった」
「あれは、怖かったよね」
「ああ、怖すぎた。あの金額はもう二度と見たくない」
だから自分も銀行に預けてあると、笑うクリートにイザベラも笑顔を重ねる。
「一緒だね」
「ああ、一緒だ」
ふはっと笑って、そしてイザベラは覚悟を決めた。
「お金が怖いもの同士、この街でこっそり暮らそうか」
「ああ、そうしたい」
「でもあの、メイド服は着ないでね」
「じゃあ、執事服にしよう」
それはそれでかっこよすぎて困りそうだと思ったが、言わずにおいた。
多分だけど、彼は勇者以外のものになりたがっている気がしたのだ。
「なら、これから仕立屋さんに行く? クリードの体格じゃ、普通の執事服は入らなさそうだし作ってもらおうよ」
「ああ、行きたい!」
そう言って笑うクリードの顔は、今までで一番輝いていた。
(この笑顔に、恋に落ちないようにしなきゃ)
友人としてクリードとここで暮らしていくためには、自分の思いは邪魔になる。
だからしっかり蓋をして、鍵をかけて、二度と出さないようにしようとイザベラは決めた。
(そうすれば、きっと上手く行く)
静かに暮らしたいという望みは同じなのだから、きっと上手く行く。
そう自分に言い聞かせながら、イザベラはこれからの生活が順調な物になりますようにと祈った。




