幕間:勇者の絶望
先ほどまで見えていた月が、黒い影に覆われていく。
それが無数の魔物だと気づいた瞬間、クリードは魔剣を握る手に力を込めた。
(久々の仕事にしては、忙しいな)
仰ぎ見た空の向こうから、こちらに近づいてくるのは魔物の中でも無類の強さを誇る飛竜種だ。
形状は様々だが、口から吐き出される黒炎は一瞬で人を灰にしてしまう。
それがいったい何匹いるのかと舌打ちをしたとき、見覚えのある光が前方で輝いた。
「クリード!」
聞こえてきたのはイザベラの声だった。
その横にはシャルロットもおり、今のは彼の転移魔法だろう。
彼女たちがここに来た理由を察し、クリードは足下に落ちている魔王の遺物を持ち上げた。
その遺物は魔力を増幅する宝珠だ。だが呪いによってその効果は歪み、魔物を引きつける効力を得てしまっている。
(でも、きっとイザベラなら呪いを解ける)
そう思い、こちらに近づいてくるイザベラに歩み寄る。
(……な、んだ)
だが一歩進んだところで、突然宝珠を持つ手が激しい熱を持つ。
炎で焼かれたかのような痛みはあまりに激しくて、クリードは腕をぐっと押さえた。
「……ぐっ、あ……ッ」
力の加減がわからなくなり、痛む腕を覆っていた袖をクリードは引き裂いた。
そしてその下から現れた腕を見て、息を呑む。
「……クリードっ!」
驚いていたのは、クリードだけではなかった。
側に来ていたイザベラもまた、その腕を見て目を見開いている。
「……見ないで、くれ……」
思わずマントで隠したその腕は黒く硬化し、その爪は飛龍のように鋭く変化している。
もはや人の物とは思えぬ手に恐怖を覚えた瞬間、ズキリと、頭が刺すように痛む。
【やはりお前は、魔力が馴染むのが早い……】
満足げな声が頭に響くと、腕だけでなく首筋まで熱が広がり始める。
それが頬まで至ったとき、イザベラがクリードの手から宝珠を奪い取った。
熱が去り、ようやく息が吸えた。
だが硬化した腕は、元には戻らない。
そしてあの声も、先ほどより大きくなっている。
【お前は、魔物に至ったのだ】
「チ……がう」
【否定しても、もはやその身は人にあらず。あとは、我をその身に宿すのみ】
「させ……ない!!!」
声をかき消すように叫べば、側にいたイザベラが怯えた顔をクリードに向けた。
(……ああ、彼女を……怖がらせてしまった……)
こうなる前に去るべきだったのに、身体は逆に彼女を求めるように勝手に動いてしまう。
「イザ……ベラ……」
魔物と化した腕を伸ばし、クリードはイザベラを抱き寄せようとした。
その腕から逃れるように、イザベラが一歩後ずさる。
初めての拒絶に息を呑み、そしてクリードはようやくすべきことを思い出す。
(そうだ……俺は……魔物に、魔オウに……)
最後の理性で伸ばした手を引き寄せ、魔剣を掴む。
そして、魔物を屠るその剣で、クリードは己の胸を突き刺した。
「ダメッ!」
倒れる身体に、イザベラが縋り付いてくる。
その身体を抱き寄せたいのに、腕にはもう力が入らない。
(イザベラ……)
血を吐くばかりで声の出ない喉にかわり、心の中で愛おしいその名を呼ぶ。
(イザベラ、イザベ…ラ……)
身体が重くなり、手足の感覚が消えていく。
これでよかったのだと思いたいのに、縋り付くイザベラの泣き顔が後悔を抱かせた。
「何で……なんで……こんなっ!」
泣きじゃくるイザベラを見ていられず、クリードは目を閉じる。
【今更、我を滅ぼすことはできぬ】
だが遠ざかる意識の中、あの声はまだ聞こえていた。
クリードをあざ笑い、そして心の奥でその存在感を増していく。
【それに貴様も本当は生きたいのだろう? 生きてあの娘と結ばれたいのだろう?】
――――それを、叶えてやる。
クリードの純粋な愛は邪悪な願いに塗りつぶされ、意識は闇に飲まれていく。
そして最後の理性が消える瞬間、クリードはイザベラのことを想った。




