第2話
久しぶりに足を踏み入れたカリストの森は、まだ冒険者であふれ賑わっていた。
下船後、馬車で向かったのは森の中央部。魔樹と呼ばれる巨大な木の麓だ。
この森では、街はこの巨木の洞の中に作られている。
魔樹は聖なる魔力を宿し、魔物たちを阻むため、安全を求めて木の中に街が作られたのである。
その中でも最も大きい街『リンボデア』が、今回の目的地だった。
山よりも高い巨木の中にある街は、カイリナと並ぶほど高低差がある。
街の行き来には魔法の昇降機が使われ、それがいくつも垂れ下がる光景は、さながら闇を照らすランプのようだ。
イザベラは上下する昇降機を見るのが好きで、かつてはクリードが帰ってくるのを待ちながら、それをひとり眺めたものだ。
そのひとつに乗り、シャルロットが連れてきたのは巨大な邸宅だった。
「宿に泊まれば騒ぎになりそうだし、僕の別荘を拠点とする」
クリードは今や有名人で、往来を歩いただけで人垣ができてしまう。
そのため、ここまでも馬車で来たし、必要最低限の外出にとどめるようにとシャルロットに言われる。
「あと、僕の別荘でイチャイチャしすぎるな」
屋敷の扉を押し開けながら、シャルロットが念押しをする。
「キスはイチャイチャに入るだろうか」
大真面目に尋ねるクリードに、イザベラは真っ赤になる。
「キスまでは、許す」
「わかった」
「あと抱擁も、まあいいだろう」
「よかった」
(……なんなの、このやりとり)
恥ずかしがっているのはイザベラだけのようで、自分の感覚がおかしいのかと不安になる。
だが感覚がおかしいのも無理はないと、屋敷の中に入ったイザベラは思った。
「お帰りなさいませ、殿下」
玄関ホールには数え切れないほどの使用人が並び、まったく同じ角度でビシッとお辞儀をした。
それに驚いているのはイザベラだけで、クリードとシャルロットはまだ「どこまでがイチャイチャかそうでないか」を議論している。
「距離感が近すぎて忘れていたけど、シャルロットは王子様なのよね」
心の声が口からこぼれると、わかりやすく不機嫌な顔を向けられる。
「どこからどう見ても、王子だが?」
「そ、それはそうなんですけど……」
「お前が望むなら、金に物を言わせて接待してやろうか」
「か、勘弁してください……」
この状況だけで日和っているのに、接待などされたら居心地が悪くてしょうがない。
「よし、お前の部屋は一番豪華な部屋にしてやろう」
「ごめんなさい、許してください」
「普通は喜ぶものだがな」
「私は庶民的で、地味で、質素な物が好きなんです」
「それが本当なら、クリードは当てはまらないぞ」
途端に、クリードがショックを受けた顔で固まる。
「し、庶民だぞ、俺も……」
いや王子でしょう……、とは今この場では言えない。
「そ、そうね。孤児院育ちだものね」
「ちゃんと、イザベラの好みの範疇に入っているか?」
「大丈夫だから、そんな顔しないで」
うなだれるクリードをよしよしすれば、ひとまずショックは和らいだらしい。
「とりあえず、お前らの部屋は東棟だ」
「すっごく広い部屋だったりします?」
「ちゃんと“狭い”部屋にしてやったから安心しろ。では少し休んだら、出発だ」
そもそも家に棟があるってどういうことだと思いつつ、使用人たちの案内でクリードと共に滞在する部屋へと向かう。
「こちらでございます」
そして二人が案内されたのは、街を一望できる三階の客間だった。
大きな暖炉と応接セット、そして見たこともないくらい広いベッドがひとつ置かれている。
「全然狭くないよ」
などとぼやいたとき、イザベラは気づいてしまう。
「では、ごゆっくり」
使用人は消え、部屋にはクリードとイザベラだけが残される。
扉が閉まったところで、クリードも「ん?」と首をかしげた。
二人は荷物を持ったまま、そこで見つめ合う。
「同室……?」
「同室だな」
確かに狭い。二人では狭い。何よりベッドが狭い。
(っていうか、同じベッドで寝る……の?)
念のため続きの部屋がないかと見回すも、廊下に続く扉しかない。
(いやでも、私の身長ならソファでも行けるかしら)
そう思いソファーに近づこうとした瞬間、がしっと背後からクリードに拘束された。
「今のうちに、少し寝よう」
「へっ!?」
そしてそのままベッドに連行され、イザベラは借りてきた猫のように縮こまる。
「そんなに固まっていたら眠れないぞ」
などと言いながら、さも当然のようにクリードがイザベラの横に寝転がった。
「いや待って、寝るの!?」
「寝よう」
「ま、まだ午前中よ!」
「しかし、君は眠った方がいい」
心配そうな声で言って、クリードの指がイザベラの目元を撫でる。
化粧で隠していたが、そこには濃いクマがある。
なぜならこのところ、寝ないで呪いの本を読んでいたからだ。
気づかれないようにしていたつもりだけれど、どうやらクリードには隠せなかったらしい。
「今は、眠くない」
「本当に?」
頷こうとするも、あまりにも寝心地がいいベッドが眠気を誘っているのは事実だ。
クリードが隣にいるという状況ながら睡魔に抗えないほど、睡眠不足は深刻だった。
「隠し事をする俺が言えたことではないが、何か憂いがあれば教えてほしい」
そう言って頭を撫でられると、緊張もふわりと解けて、ついクリードの胸に額を押し当ててしまう。
「ちょっと、このところ眠れなかっただけ」
「それは、俺のせいか?」
否定すべきか悩んでいると、クリードが「すまない」と耳元でつぶやいた。
「謝るくらいなら、隠してることを教えてほしい」
「すまない、それは……」
「クリードって、結構強情よね」
「すまない」
謝罪を重ねながら、頭を撫でていた手がイザベラの背中に回る。
そのまま優しく抱き寄せられたイザベラは、腕の中でため息をつく。
「……今は無理だが、この件が終わったら、話す」
そのとき、クリードがぽつりとこぼす。
驚いて顔を上げようとするも、頭を顎でぎゅうっと押しつけられて身動きがとれない。
「話すから、今は寝てほしい」
「……本当に、話してくれる?」
「君の健康を損ねるくらいなら、話す」
「約束よ?」
「約束する。君にはもう隠し事はしない」
イザベラの方からも彼の背中に腕を回すと、肯定するようにトントンと背中を叩かれる。
それにほっとしたからか、叩き方が絶妙だからか、睡魔がイザベラの意識を奪おうとやってくる。
「そんな風にされたら寝ちゃうわ」
「寝かしつけは得意だぞ」
孤児院で下の子たちを寝かしつけていたと、クリードは懐かしそうに言う。
「ただ、子守歌だけは不評だったが」
「歌ってみてよ」
「寝られなくなるかもしれないぞ」
「今はすごく眠いから、きっと大丈夫」
そして響いた子守歌は、本当にひどかった。
完璧な男にこんな欠点があったのかと驚きつつ、イザベラは笑いを堪える。
「寝られそうか?」
「やっぱり、背中ポンポンだけにして」
「だと思った」
そしてクリードは、先ほどよりも更に優しく背中を撫でてくれる。
優しいぬくもりが睡魔をたぐり寄せ、気がつけばイザベラは寝息をこぼし始めた。




