第1話
魔王を前にしても堂々としていた男が、今、とてつもなく怯えきっていた。
「あ、あの……お母さん……」
「イザベラ、この人なんてどうかしら?」
「イザベラさんは、あの、俺の……」
「いい人だと思うのよ! ほら、とっても顔がいいし、あなた好みでしょう」
「う、うぅ……」
そして完全なる無視を決め込まれて、泣いている。
それを不憫に思いながらも、イザベラにはどうすることもできなかった。
こうなったのは昨夜、あまりにも突然イザベラの母――カイナが現れたのが発端だ。
カイナが来るのは数日後のはずだったが、馬車の席が空いたからという理由で、予定より早く来てしまったのである。
ただその馬車も急な事故で遅れたらしく、カイリナの街に着いたのは深夜。
そして疲れ果てた身で娘の家に行けば、そこで知らない男が二人で抱き合っていたという有様だ。
そのうちの一人はビキニアーマーを着ているなんて状況になれば、大騒ぎになるのも無理はない。
『誰よあんた!?』
カイナの放った台詞に、『イザベラさんの彼氏です』などとクリードが言ってしまったのも悪かった。
なにせ数秒前までシャルロットと抱き合い――これは兄弟の抱擁だと、イザベラは後に説明されたが――更にビキニアーマーである。
運良く呪いは薄れており、イザベラが慌てて解呪はしたものの、ぽろっと落ちた胸当ての下からセクシーな乳首が見えてしまったのも、良くなかったかもしれない。
ちなみに混沌とする状況の中、シャルロットは「調べることがあるから」と言ってさっさと帰ってしまった。たぶん、面倒事に巻き込まれるのはごめんだと思ったのだろう。賢明な判断である。
そんなこんなで、状況は最悪だった。
その後一晩がたち、母は少し冷静になったようだが、それでもこの状況とクリードを受け入れるつもりはないらしい。
「お母さん、リードをそんなにいじめないであげて」
「そんな人、私は知りません」
「お母さん……」
聞く耳を持たない母を見かね、イザベラは彼女が差し出してきた見合い写真を押し返す。
そしてめそめそしているリードの手を取り、恋人のように指を絡めた。
「お母さん、私はリードさんとお付き合いしているの。だからお見合いはしない」
「……この、変態と?」
「ビキニアーマーも着たくて着てたわけじゃないの。私の顧客を助けるために、自ら犠牲になってくれてたんだから」
「それが本当だとしても、娘の家で浮気してるような男よ?」
「ロットはリードさんの兄弟だって言ってるでしょ」
昨晩から五度目の説明をすれば、ようやく母はリードに視線を向ける。
「誤解を招くようなところを見せてしまって、本当に申し訳ありません」
「……あなた、本当の本当に娘の彼氏なの?」
「はい! 唯一無二の彼氏です!」
強調するせいで、すさまじく嘘くさくなっている。
いつもの甘い振る舞いをすれば一発で解決しそうなのだが、多分クリードは緊張しているのだろう。
「まあ、確かに顔がいいところは娘好みね」
「顔の良さには、自信があります!」
「でも、自意識が高い男はどうかと思うわ」
カイナの言葉は、辛辣だった。
「うちのお父さんも若い頃は中途半端に顔がよくて、それを鼻にかけてたのよ」
「でも、そのお父さんと結婚したのよね?」
「お母さんも顔のいい男に弱かったの。だからこそ、やめとけって言えるの」
まあ確かに、イザベラの父はナルシストなところがある。
娘としては「うざいなぁ」くらいの気持ちだったが、母はそれ以上に煩わしく思っていたのだろう。
とはいえ顔に自信がある以外は悪い人ではないので、ざっくり切られるのはかわいそうだと思わずにはいられなかった。
(いや、お父さんのことなんてどうでもいいわ。今はクリードのことを好きになってもらわないと……)
しょんぼりしているクリードが見ていられず、イザベラはえいっ!と勇気を出す。
「でも私が好きなのはリードなの。だから何を言っても別れないし、彼以外の人とは結婚しないから!」
クリードの腕に縋り付きながら言えば、母がため息をつく。
一方チラリと窺ったクリードは、とんでもなく締まりの無い顔になっている。
でもいい具合に力が抜けたのか、普段の甘い雰囲気と色気がドバドバ出ている。
「ま、まあ……たしかにこれは……手放したくなくなるのはわかるけど」
「でしょう?」
「でも、本当にこの人と一緒になって幸せになれる? っていうか、お仕事は何をしている人なの?」
「……え」
そういえば、その辺りの打ち合わせを何もしていなかった。
「今は無職です」
そしてクリードは、こういうときに嘘がつけない男だった。
「無職!?」
「い、今はね! でも昔は冒険者をしていて、とっても稼いでいたのよ!」
「こんな男が、有能な冒険者だったとは思えないわ」
「そ、そんなことないよ。ほら見てこの筋肉、腕っ節だって強いんだから!」
もう、こうなったら筋肉の良さに頼るしかない。
そう思ってシャツの袖を無理矢理めくり、太い腕を見せつけてみる。
「筋肉をつけるくらい誰でもできるでしょう」
「ちゃんと使える筋肉だから!」
「はい、使えます!」
「……それ、証明できるの?」
うさんくさい目をする母に、クリードは頷く。
「戦いなら得意です!」
「なら、その腕で娘を養えるって証明してみなさい」
言うなり、カイナはすっと席を立つ。
そのまま出かける準備を始めた母に、慌てたのはイザベラだ。
「えっ、どこへ?」
「冒険者ギルドよ。そこで何か依頼のひとつでもこなしてもらいましょう」
「いやでも、それは……」
迷ったのは、昨日までクリードが熱で倒れていたからだ。
昨晩はそれを感じさせない動きを見せていたが、彼の顔色は決してよくなったわけではない。
その原因はカイナかもしれないが、それでも無理をさせたくないと思う。
「平気だイザベラ。お母さんに認めてもらうためなら、何だってやる」
「お母さんじゃありません」
「うっ……」
かわいそうに、否定されればされるだけクリードはシオシオになっていく。
ただ闘志は失っていないのか、程なくまたいつものキリッとした顔に戻り「やってやる」と拳を握っている。
(やる気満々だけど、やっぱり心配よね)
そもそも本当に、母に振り回されていられる状況なのかという疑問もある。
「お母さんごめん、ちょっとだけ二人で話してもいい?」
「何か悪巧み?」
「ち、違うよ!」
ただとにかく時間が欲しいと言って、イザベラはクリードを自室に引っ張り込んだ。
「ねえ、あなた本当に大丈夫なの?」
部屋に入るなり尋ねれば、クリードはきょとんとした顔で首をかしげる。
「何がって顔してるけど、あなた昨日まで寝込んでたのを忘れた?」
「正直忘れていた」
「なら思い出して! 具合が悪いなら、わざわざこんなことに付き合わなくていいから」
「こんなことではない」
クリードを叱るつもりだったのに、なぜか彼の方が怒ったような顔をする。
「お母さんに認められなければ、結婚させられるのだろう」
「そうだけど、無茶はしてほしくないの。いざとなったら、頑張ってお母さんに『結婚はしない』ってちゃんと言うし」
少し前のイザベラなら、きっと母の勢いに飲まれていただろう。
でもクリードに負担をかけるくらいなら、母に立ち向かった方がずっといい。
そもそも、今はもう好きでもない男と結婚なんて絶対にできない。
目の前の男以外に、きっともうイザベラの心を捉える人など現れないのだから。
「クリードを苦しめてまで、何かを得ようとは思わない。だからちゃんと、辛いなら言って」
そう願えば、クリードは気まずそうに目を泳がせる。
「正直に言えば、万全な体調ではない」
「やっぱり……」
「だがそれでも、俺は君の母さんに認められたい」
言いながら、彼は自分の手に目を落とす。
「俺はこの手でイザベラの願いを護りたいんだ。それに、昨晩のこともちゃんと償いたい」
「償うようなことなんて何もないわ」
「でも俺のせいで、危険な目に遭わせたことがどうしても許せない」
クリードは、いつになく弱々しい。
それが見ていられなくて、イザベラは浮かない顔にそっと手を伸ばす。
「気にしないでって言いたいけど、あなたはきっと自分を責めてしまうのね」
「……すまない」
「謝らないでいいの。でももしも、本当に申し訳ないと思っているなら……」
こわばったクリードの頬に触れ、イザベラは勇気と言葉を振り絞る。
「いつか、あなたが隠していることを教えて」
イザベラの言葉に、クリードがわずかに息を呑む。
更にこわばる表情を見て、やはり触れるべきではなかったかとイザベラはわずかに悔やんだ。
(でも、やっぱり私は知りたい……)
彼と気まずくなっても、それでも、クリードのことがちゃんと知りたい。
何かを隠しているなら、打ち明けてほしい。
そんな気持ちで、イザベラはクリードの頬を撫でた。
「今すぐにじゃなくていいの。でもやっぱり、あなたのことは全部知りたいから」
好きな人のことは、全部知りたい。
そこまでは口に出来なかったけれど、触れあった指先から願いが伝わりますようにと祈る。
「……今はまだ、言えない」
「わかった」
「でも、申し訳ないとも思っているんだ」
頬に触れた手に、クリードがゆっくりと手を重ねる。
「それに隠すのは、君が大事だからだ。それだけは、わかってほしい」
手を持ち上げ、クリードはイザベラの指先にそっと唇を押し当てる。
不意打ちのキスに息を呑んでいると、切なげな眼差しをイザベラに向けた。
「世界の何をおいても、君より大事な物なんてない。だからこそ言えないこともあるし、それを許してほしいと願う勝手さも理解している。……でもどうか、今は……今だけは側にいさせてほしい」
言葉一つ一つから強い願いを感じ、イザベラは自然と頷いていた。
彼のことだから、何かわけがあるのだろうとは思っていた。
だから責めるつもりは欠片もなかったが、それを言葉にすべきだと気づいてイザベラは微笑む。
「どこかに行けなんて言わないわ。むしろ私の方が、離れたくないし」
「本当に?」
「ええ。昨日だってすごい目に遭ったけど、離れようとは欠片も思わなかった」
「それは少し、思った方がいいかもしれない」
逆に言われ、イザベラはぷっと吹き出す。
「だってあなたの側にいて、危険を感じたことが一度も無いんだもの。旅をしていた頃から、周りに危機感がなさ過ぎるって言われるくらい、のほほんとしてたし」
「確かに君は、どんな危険な現場にも来てくれたな」
「あなたがいれば絶対安心だって、不思議と思えたのよね。だから魔王討伐にだってついていった」
そして危険な相手に目をつけられた今でも、イザベラは怖いと感じないのだ。
それはクリードが側にいて、必ず守ってくれると信じているからだ。
「こんな状況なのに母親と言い合いできるのも、クリードのおかげなの。だからあまり自分を責めすぎず、できる限り力になってくれると嬉しい」
「できる限りどころか、命の限り力になりたい」
「それはさすがに力みすぎだから、もうちょっと力を抜いて」
「わかった……」
言いつつどこか不本意そうなクリードがおかしくて、イザベラはまた吹き出してしまう。
「あなたって、やっぱり変わってる」
「よく言われる」
「でもそういうところが、私は好きかも」
何気ない言葉を口にした次の瞬間、ぎゅっとクリードに抱きしめられる。
突然のことに驚いていると、本当に間の悪いことに、痺れを切らした母が部屋に入ってくる。
「あんたたち、帰ってこないと思ったら何してるの!」
「す、すみませんお母さん」
「私はあなたのお母さんじゃありません!」
何度目かになるやりとりを繰り返しながら、クリードが腕を放す。
(……びっくりした)
物理的に距離が近いのは今に始まったことではないが、今の抱擁は今までと何かが違った。
その何かはわからなかったけれど、イザベラの心臓は乱れたまま、なかなか元に戻らなかった。




