閑話:勇者と王子
シャルロット=ディルカ=ナムザ。
この国の第一王子に初めて会ったとき、クリードは彼を完璧な男だと思っていた。
魔法使いとしても名を馳せた彼は、幼い頃から魔王討伐の任に就き、クリードが現れるまで国民の期待を一手に背負っていた。
もしも自分が手を下さなければ、いずれシャルロットが魔王を倒していたのではないかとクリードはときどき思う。
そんな男と自分に血のつながりがあることが、今もまだ信じられないが、周囲は二人を似ているとよく言う。
「とりあえずこれで顔を拭け」
こんな時でも完璧な弟は用意もよく、血だらけの兄に濡れたタオルを差し出した。
(やはり、似ていないと思うがな)
タオルを受け取りつつ弟の顔を眺めていると、もの言いたげな視線と目が合った。
「僕が何を言いたいか、わからぬお前ではないだろう」
正直、わからなかった。
だからクリードは、汚れを拭くついでに彼の視線をタオルで遮る。
「な、なんとなく」
「は?」
「いや、見当はつくのだが、言いたいことの種類が多そうで……」
「は?」
同じ言葉をくり返しながらも、その声はどんどん冷たくなっていく。
これはマズいと思ったクリードは、昔仲間から教わった「正座」という反省のポーズをとり、弟を仰ぎ見る。
「えっと、注意を怠るな……か?」
「それもあるが、兄上の弟としてどうしても言わねばならないことがある」
彼は大きなため息を吐き、クリードを睨めつけた。
「メイド服は今後一切着るな」
「そ、そこか?」
「何よりも重大なことだろう!」
シャルロットはこの世の終わりでも見たかのような顔で、額を押さえる。
「暗殺者のことよりも、そっちだとは思わなかった」
「それも、あとで怒る」
「怒るのか」
「でも何よりも、あの服が一番許せない!」
そういうシャルロットの怒りは、かなりのものだ。
「兄上を尊敬し、陰ながら見守ろうとしていた僕が、あの情けない姿にどれだけ驚き失望したかわかるか!?」
「な、なんだかすまない」
「兄上は強くて、かっこよくて、僕よりも王にふさわしい人なのにメイド服だぞ!」
憤慨するシャルロットを見て、クリードは今更のように彼が「ブラコン」であることを思い出す。
多くの人々がクリードを王族としてふさわしくないと思う中、共に戦ったシャルロットだけは「誰よりもふさわしい」と言ってくれたのだ。
下の弟から得た情報によると、シャルロットは長いこと『兄』に憧れていたそうだ。そしてクリードのパーティに入ったとき、彼は理想の兄の姿をクリードに重ねた。
『俺はずっと、あなたのような兄が欲しかった』
もしかしたら彼は、本能的に血のつながりを感じていたのかもしれない。
まるで告白でもするかのように、魔王討伐前夜にそう言われたことを今でもよく覚えている。
そしてクリードも自分を慕ってくる彼に、親しみを覚えていた。
ただちょっと、距離の詰め方が急なので戸惑ったりはしたが、それでも好意は抱いていたのだ。
「まあ執事服は……かっこよかったから許そう。だがもう二度と、変な服は着るんじゃない!」
ならば今まさに、服の下にビキニアーマーを着ているのはマズいだろうか。
後ろめたさから顔を背けると、そこでぎろりと睨まれる。
「もしや、もう何か着たのか?」
「だ、大丈夫だ。もうすぐ脱げるから」
「……その服を脱げ」
「いや、見ないほうがいいと思う」
「弟なのだから見る権利がある!」
謎の主張をし、詰め寄ってきたシャルロットにシャツを思い切り引っ張られる。
武闘派ではないものの、成人男性の力にシャツは容易く負けた。
「う、うそだ……」
裂かれたシャツの下で、ビキニアーマーの金属がシャランと揺れた。
途端に、この世の終わりのような顔で、シャルロットがよろける。
「あの女のせいで、兄上がどんどんおかしくなる……」
「別に、イザベラのせいではない」
「だがあの女のために着たのでは?」
さすが、見抜かれていた。
「あの女はやはり危険だ」
「いや待て、イザベラは無害だぞ」
「だが兄上は、あの女に気に入られるためになんでもするだろう」
「まあ、するかもしれない」
「あの女のどこにそんな魅力があるんだ。確かにちょっと可愛くて、抜けているところには愛らしさを感じるが……」
「おい、シャルロット……」
「庇護欲をそそられるし、笑顔は多少魅力的ではあるが……」
「お前も、イザベラのこと結構好きだろう」
思わず突っ込んだ途端、弟の顔がぶわっと赤くなる。
「そ、そんなわけないだろう!」
「そんなわけある顔だ」
「だって、イザベラだぞ! ビスケットばかり食べて、仕事に夢中になると周りが見えなくなって、ふにゃって笑う女だぞ!」
「そこが好きなんだな」
クリードもそこが好きなので、嫌でもわかってしまった。
「と言うかお前、いつからイザベラのそばにいたんだ?」
「……あの女が、パーティーを抜けてすぐだ」
「ずるいぞ」
「あのころはまだよくわからない女だと思っていたし、兄上にふさわしいか見てやろうと思って!!」
そして見事、沼落ちしたのは想像に難くない。
(なるほど、確かに俺たちは似ているかもしれない……)
今更のように納得していると、おずおずとシャルロットが顔をのぞき込んでくる。
「兄上の女を取ろうとか、そういうつもりはない」
「女では……」
「だがいい雰囲気だ」
「それがよいこととは、思えないがな」
クリードは己の手を見つめ、今も残る人を斬った感触に眉をひそめる。
「……イザベラがいないと気がついて、自分でもあれほど取り乱すとは思わなかった」
「そのとき“あれ”は?」
「確実に目覚めていたと思う」
ため息をこぼしながら、クリードはシャルロットの瞳をじっと見つめる。
「さっきの男たちは、王子ではなく“あれ”を殺しに来たのでは?」
「気づいていたのか……」
「少し前、俺の中で何かが目覚める気配がした。それを察知したのだと、今はわかるよ」
「……言っておくが、父上や弟たちの手のものではない。ただ古くから、王家を守護し――王家の罪を隠す者たちがいると聞いた」
「そいつらだと?」
「俺はそう思っているし、これから調査をさせる」
「それで、お前の立場が悪くはならないか?」
「いいんだ、全部兄上のためだ」
「……イザベラのためでも、ちょっとはあるだろう」
「そ、そんなことはない、ありえない」
わかりやすく身体をこわばらせる弟が可愛くて、クリードは声を上げて笑った。
「と、ともかくだ! イザベラは聡いから、兄上の隠し事にいずれ気づくぞ」
「わかってる」
「それにいつか、時が来れば……」
「すべてを受け入れる覚悟は出来ている」
――呪いがこの身を“悪しき魔”に変えた時、必ず命を絶つ。
かつて弟や父に告げた言葉に嘘はない。
断言すれば、シャルロットの顔がくしゃりと歪む。
彼はそれを隠すように顔を背けたけれど、クリードはすべてを察して弟の身体をそっと抱き寄せた。
「なあ、イザベラにも兄上の呪いは解けないのだろうか? あの子ならば、救ってくれる未来はないのだろうか?」
「この呪いは人が扱うにはあまりに危険なものだ。このまま、俺と共に滅びたほうがいい」
「だとしても、俺は……」
何か言いかけながら、シャルロットがおずおずとクリードの背中に腕を回す。
すがるように巻き付いた腕を、クリードは振り払えない。
そしてクリードは、弟の背を優しく撫でた。
何か言ってやりたいが、上手い言葉が浮かばない。
ただただ申し訳ないという気持ちでいると、不意にシャルロットが身体をこわばらせた。
「……待て、誰か来る」
遅れて、クリードも人の近づく気配に気がついた。
どうやら感傷に浸りすぎて、感覚が鈍っていたらしい。
イザベラだったらと思い慌てて黙り込んだとき、戸口に見えたのは見覚えのない女の顔だった。
相手は抱き合う二人を見て目を見開き、固まっている。
「あの女、また鍵をかけ忘れたな……」
シャルロットの言葉に慌てて距離を置くが、そこで事態は悪化した。
「な、何なのその格好は……!?」
女性の眼が捕らえていたのは、ビキニアーマーだ。
そういえばシャツは破り捨てられていて、抱擁もひどい光景になっていただろう。
今更気づいてもどうすることもできず、クリードは慌てて両手で胸を隠す。
「お、お客様……ですか?」
「母、です」
誰のと問わなくても、クリードはその正体がわかってしまった。
「お、お母さん……!?」
「あなたみたいな息子を持った覚えはありません!!!!」
そんな絶叫に驚いたイザベラが飛んできたのは、五秒後のことだった。




