第4話
なんとか満員電車を耐えきり、イザベラたちが降りたのは以前買い物に来た商業区だった。
二人が入ったのは、路面電車の駅から5分ほど歩いたところにある海沿いのカフェだ。
通されたのは海にせり出したデッキの上にあるテラス席で、ロットのオススメだという朝食用のパンケーキに舌鼓を打つ。
「ここのパンケーキすごく美味しい」
「ああ、これは美味いな。あとでロットに礼を言わねば」
「そういえば、いつの間にあの子とそんな仲良くなったの?」
ケーキを頬張るクリードに、ふとイザベラは問いかける。
「この前店で女性たちに揉みくちゃにされているとき、彼が色々と助けてくれたんだ」
それに彼とは不思議と気があうのだと、クリードが笑う。
「しかし、あの子は君にずいぶん懐いているようだな。執事ならイザベラの駄目駄目な私生活をまともにしろと大人びた顔で言われたぞ」
「私、そんなダメダメじゃないし」
「でも、クッキーばかり食べていたんだろう」
「ビスケットも食べていたわ」
それも栄養価の高いビスケットだと主張したら、そこでまた笑われた。
「もしかして、『グリットおばあちゃんのビスケット』か?」
彼が口にしたのは、この国で最も有名なビスケットの名前だ。
「ええ、それよ」
「旅をしていたときから、君はあればかり食べていたな」
「安いし、栄養価が高いのよ。それにあれを食べてると、解呪にも集中できるの」
軽い味で気軽に口に放り込めるから、作業のお供に最高なのだ。
「あのビスケットがあれば、どんな呪いでも解ける気がする」
「だとしても、主食にするのは論外だ」
「今はちゃんと、あなたのご飯を食べているじゃない」
「でももし俺がいなくなったら、君はビスケットに戻るのだろう?」
確かにそうかもしれないと思いつつ、ビスケットをかじる未来を想像した途端、イザベラの胸が痛くなる。
(そっか、いつまでもクリードがいてくれるわけない……)
当たり前のことをすっかり失念していた自分に、イザベラは落胆を覚える。
「よかったら、明日から料理を教えようか? 君でも作れる簡単なものとか」
「別にいい。ビスケットで十分だし」
「君は俺の話を聞いていたか?」
「だって、あなたの美味しい料理になれた後に、自分のまずい料理なんて絶対食べられないもの」
思わず本音がこぼれてしまい、イザベラは慌ててパンケーキごとあふれた気持ちを飲み込んだ。
(このパンケーキだって、美味しいけどクリードのご飯には叶わない)
気がつけばしっかり胃まで掴まれて、この先自分はどうしたらいいのだろう。
そんなことを考えていると、突然フォークを握っていた手を掴まれる。
「そんな可愛いことを言われたら、叱れないだろう」
声につられて顔を上げると、クリードの困ったような笑顔がそこにある。
「俺の料理を、そんなに気に入ってくれたのか?」
「そりゃあ、あんなに美味しいんだもの」
「だったらもっと早く、君に食べてもらえばよかった」
ため息をひとつこぼし、重なった手を優しく撫でられる。
そのぬくもりにほだされ、イザベラの口から、一度飲み込んだ気持ちがあふれ出す。
「これから、いっぱい食べさせてって言ったら困る?」
イザベラの言葉にクリードが目を見開き、それからギュッと重ねた手を握る。
「もし作り続けたら、食べてくれるか?」
「私でいいなら」
「君に作りたい。叶うことなら一生」
まるで告白のような言葉に、イザベラの顔が熱くなる。
「本音を言うと、君が食べるパンケーキにも嫉妬していた。ここは確かに美味いが、俺の方がもっと上手く作れる」
「きっと、あなたの方が美味しいだろうなって私も思ってた」
「なら明日は、俺の焼いたパンケーキを食べてくれるか?」
「いいね、楽しみ」
「その次の日は、フレンチトーストにしようか」
「ふふっ、甘い物尽くしね」
「君は、朝から甘いものを食べるのが好きだろう? 朝食の後に、よくビスケットをかじっていたし」
まさか気づかれているとは思わず驚けば、クリードがふっと笑う。
「君が食べたいものを、たくさん作る」
「じゃあ、謎を解くときに食べるビスケットも焼いてくれる?」
「グリットおばあちゃんに、俺は勝つぞ」
「それはさすがに無理じゃない?」
「勝ってみせる。そしてイザベラを、もう二度とビスケットをご飯にできない身体にする」
自信満々なクリードを見ているとおかしくて、イザベラは思わず吹き出した。
笑っていると、そこで重なっていた手が遠ざかる。
「食べ終わったら、また繋ごう」
寂しく思う間もなくそう言われ、イザベラは照れながらも頷いた。
「……あの、さ」
「ん?」
「クリードがやじゃなかったら、恋人っぽいつなぎ方をしてもいい?」
そしていつもは言わない言葉を、そっと声にのせる。
直後、握っていたフォークを突然奪われる。
驚いていると再び手が重なり、そのまま指が絡み合った。
「すまない、食べるまで待てなかった」
「い、いいけど、パンケーキ冷めちゃうよ」
「じゃあ俺が食べさせる」
「た、たべ……!?」
「恋人同士なら、皆やるだろう」
言うなりパンケーキを口元に運ばれ、イザベラは思わず空いた手で顔を覆う。
「それはちょっと、私にはまだ早すぎる」
「大丈夫だ、口を開けるだけでいい」
「それが恥ずかしいの!」
「ビキニアーマーを着るよりは恥ずかしくないと思う」
「今、それ持ち出すの狡い」
思わずあははと笑ってしまうと、その隙にパンケーキを口に突っ込まれる。
「ほら、簡単だろう」
全然簡単じゃないと言いたかったが、パンケーキを頬張ることに精一杯で文句は言えない。
(本当に狡い)
そしてイザベラは、恨めしい気持ちも幸せな高揚感も、パンケーキと一緒に飲み込んだ。




