第1話
小さな頃から、イザベラはよく母を心配させていた。
『あんたはもうちょっと自分を主張しなさい』
七人兄妹の真ん中だったイザベラは、上の兄とも下の妹ともちょっとずつなじめず、いつも一人でいた。
当人は寂しいと思うこともなく、いつも本を読んだりパズルをしたりと楽しく過ごしていたが、それを誰よりも心配していたのは母だ。
母は自己主張が強い人で、イザベラの兄妹たちもまたそうだった。そんな中いつも静かで、ぽつんと取り残されがちなイザベラに不安を抱いていたのだろう。
兄妹たちの輪に入れようとあれこれ手を焼いてくれたが、イザベラは最後まで周りのペースに合わせることが出来ず、一人でいる方を好んだ。
そんな娘に魔法使いの才能があるとわかったときも、母は喜ぶより心配していた。
イザベラが通った魔法学校は全寮制だった。家族の中でさえ浮いている子が、五年間も家を離れてやっていけるかと不安だったのだろう。
結果から言えば、それは杞憂だった。
決して多いとは言えないけれど友達は出来たし、上過ぎも下過ぎもしない成績で無事学校も卒業。
解呪魔法使いの資格も取り、親に心配をかけないだけの将来も掴んだつもりだった。
だが結局、店を構えるつもりが勇者のパーティに同行することになり、それを知った母は「危険すぎないか」「あのぼんやりした子が、旅なんて出来るだろうか」と心配ばかりしていた。
旅先にもしょっちゅう手紙が届き、そこにはいつもイザベラの安否を気遣う言葉があった。
イザベラも可能な限り手紙は返していたものの、少々五月蠅く感じていたのは事実だ。
特に20歳を超えてからは、結婚はどうするのかとそればかり聞かれて困った。
クリードに出会って以来、イザベラの心は異性に動かなくなった。
あんなに完璧で格好いい男がいれば当たり前だ。
旅先で異性にアプローチされたことは何度かあったが、どうしても「いいな」とは思えなかった。
それでもクリードと離れ、新生活を始めれば異性に興味を持てるだろうと楽観視していた。
もちろん、まさか彼が追いかけてくるとは思っていなかったからである。
「俺が君の完璧な彼氏になる。そうすればお母さんも、何も言えなくなるはずだ」
その上、クリードはとんでもないことを言い出した。
余りに予想外の言葉に、イザベラは「考えさせて」となんとか猶予をもらった。
だが結局答えは出ず、眠れぬ夜を過ごす羽目になっている。
(彼氏のふりとかされたら、絶対沼る……。でもこのままじゃ、確実に見合いをさせられる……)
今は結婚より、クリードと過ごしたい。
彼と暮らし始めてまだ短いが、既にイザベラはそう思うようになっていた。 ただその感情が、危険な物である予感もしていたが。
「本当にどうしよう……」
眠ることも出来ず、夜更けにベッドを這い出したイザベラは寝間着姿のまま1階の店にやってきた。
こういうときは無心で呪いを解いて頭をすっきりさせるに限る。
そう思い、イザベラは作業台に座ると、少し前にチコルから持ち込まれた呪いの品に手を伸ばす。
集められているのは、少々難解な呪いが施された物ばかりだ。
失敗すると死の危険があったり、解呪に時間がかかる物は、他の装備より長めに猶予をもらっている。
万が一失敗したとき周りに被害が出ないよう、護りの魔法をかけなければいけないためだ。
むしろイザベラは解呪より護りの魔法が不得意なため、どうしても時間がかかってしまうのである。
(でも今は、難しい呪いを黙々と解きたい気分かも)
よしっ! と気合いを入れて、イザベラが品物の山から取り上げたのは小ぶりなジュエリーボックスだった。
魔法裁縫に使う呪いの品を買ったらおまけにもらったとチコルは話していたが、多分この箱が一番価値が高いとイザベラは睨んでいた。
持ち上げるとずしりと重く、わずかに空いた隙間からは高そうな宝石が見える。
(複雑なの呪いがかかってるみたいだし、絶対に値打ち物よね……)
目をこらして呪いを覗けば、その特殊さにイザベラは息を呑む。
(これは、引き換えの呪い……?)
引き換えの呪いは、高価な物を守るためによく用いられる呪いだ。
欲をかいて中の宝石に手を出せば、逆にその人が最も大切にしている記憶を奪われるという呪いである。
この呪いは形状が複雑で、箱自体に施された仕掛けと紐付いているようだ。
箱にある隠しボタンを特定の順番でタイミングよく押せば呪いを発動させずに開く……というもののはずだが、その順番もまた謎かけになっている。
難解だが、気が紛れるのは間違いない。
そう考えたイザベラは、箱を手の中でひっくり返した。
(あれっ、この紋章見たことある……)
改めて眺めた箱には、魔王の印が密かに刻まれていた。
「これって……」
「俺が倒した魔王のものだな」
「……ッ!?」
突然耳元で声が聞こえ、イザベラは飛び上がる。
その手から転がり落ちた箱を掴んだのは、クリードの大きな手だ。
「い、いつからいたの?」
「君が部屋を出た音がして、ついてきた。眠れないなら執事として……いや彼氏として、何か出来ないかと」
「ま、まだ彼氏じゃないから!」
そもそも偽物だからと告げながら、イザベラはクリードの手の箱を取り上げる。
「仕事をするには、早すぎないか?」
「ちょっと眠れなくて」
「眠れないなら仕事より、ホットミルクを飲んだり誰かとおしゃべりした方がいいい」
その両方でもいいと、クリードは大真面目に言う。
「それは、あなたとしろって言ってる?」
「他に誰がいる」
「いないけど、付き合わせるのも悪いし」
「彼氏なのだから付き合って当然だ」
「まだ違うってば」
途端にしょんぼり顔になるクリードを見て、イザベラはウッと胸を詰まらせる。
(その反応、色々誤解したくなるから止めてほしい……)
まるでイザベラの彼氏になりたがっているようではないかと思いつつ、イザベラは箱を作業台に戻す。
「彼氏じゃないけど、ホットミルクは飲みたいかも」
「ならすぐに淹れよう」
言うなり手を掴まれ、そのまま2階の居間まで連行される。
(っていうか、手を繋ぐ意味あった!?)
ソファにエスコートされたイザベラは、そこで離された手を見つめる。
この数日で手を繋ぐ回数は劇的に増えたが、それでもまだ彼の手の大きさには慣れない。
ゴツゴツした硬い手は、かつて魔剣を握っていた手だ。
その手には魔王さえ屠る力があるのに、イザベラの手を握るときは優しい力でギュッとしてくれる。
繋ぐたび心は落ち着かなくなるけれど、同時に永遠にこのままでいたいと思わせる不思議な力が彼の手にはある。
(だめだ、乙女的な思考になりすぎてる。これはまずい……)
こう言う思想に陥りたくないからパーティを引退したのにと思っていると、ホットミルクを持ったクリードが戻ってくる。
「少しだけ、お酒を入れてみた」
「ありがとう、確かに酔えば眠れるかも」
カップを受け取ると、当たり前のようにクリードが隣に座ってくる。
最近では当たり前になった距離感だが、イザベラはまだ少し緊張する。
「それで、眠れないのは手紙のせいか?」
「まあ、そんなかんじ」
「眠れないほど嫌なら、提案を受け入れればいい」
事もなげに言うクリードに、イザベラは「できるわけないでしょ」と口をとがらせる。
「世界を救った勇者様に、偽彼氏になってもらうなんて恐れ多すぎる」
「でも、友人ならどうだ?」
クリードは、懲りない。
なんとしてでも「うん」と言わせるのだという迫力を感じ、イザベラは戦く。
「困っているとき、助け合うのが友人だろう」
「そうだけど、ふりとはいえ私の彼氏になるのよ」
「それの何が問題だ」
「恋人っぽい雰囲気を出さなきゃいけないし、それって難しくない?」
「まあ、確かに難しくはある。恋人に関する知識も、あるとは言えないしな」
「え、待って……ない……?」
聞こえてきた言葉が信じられず、イザベラはつい聞き返してしまう。
「知識も経験も無い。だから、君が懸念を示す気持ちはわかる」
「ち、違う違う! 私はむしろ、あなたは経験豊かだと思ってたの! だから、未経験の私とじゃ、上手く行かないかなって……」
「男女交際の経験値などないぞ」
「今まで、女の子にいっぱい言いよられたのに!?」
「言いよられてはいた」
「付き合おうとは思わなかったの」
「まったく」
「な、なんで?」
尋ねると、そこでクリードは首をかしげる。
「ダンジョンの攻略や魔王を倒すのに忙しかったし、付き合うという考えに思い至らなかった」
「そ、それはそうだろうけど……」
「それに、よく知らない相手に突然好きだと言われても、ちょっと怖いし付き合おうとは思えないだろう」
クリードは、そこでお化けでも見たような顔をする。
「容姿や強さを褒めてもらえるのはありがたいが、賛辞をかけるやいなや『一晩一緒に過ごそう』と言われても困るというか」
「でも男性はそういうのも嬉しいんじゃないの?」
「俺は嬉しく感じない。見知らぬ女性と過ごすより、君とおしゃべりする方が好きだったし」
それに……と、そこでクリードがイザベラの顔を見て笑う。
「不思議だが、君に見惚れられるのは嬉しかった。誰も彼も俺の顔を好きなようだが、君はぽうっとするだけで迫ってこないかったし」
「ぽ、ぽうっとなんて……」
「していただろう。この顔が好きなんだなとわかって、それがいつも嬉しかった」
まさかバレていたとは思わず、イザベラは恥ずかしさに手で顔を覆う。
「もう、あなたの顔見れない」
「それは困る。見てくれ」
「だって、なんか恥ずかしい」
穴があったら入りたい。むしろ入る穴を掘りたいとさえ思っていると、顔を覆った手をギュッと掴まれる。
「恥ずかしいことではないだろう。見たいなら見れば良い」
「だけど、じろじろ見られるのは嫌じゃない?」
「君なら嫌じゃないと言っただろう。むしろ目をそらされる方が寂しいから、もっと見てほしかった」
そういう間もイザベラの視線を待ち望んでる気配を感じ、おずおずと彼の顔に目を向ける。
「目を見て話したいと、ずっと思っていたんだ」
「さ、3秒で勘弁して」
「5秒頑張ってくれ」
そう言われても、4秒が限界だった。
「いつも見ないようにってしてたから、難しい」
「じゃあ君の分まで、俺が見よう」
「それはそれで恥ずかしいんだけど」
「でも目をそらしたままは、もういやなんだ」
クリードの指が頬に触れ、そのまま優しく上向かされる。
「時間は有限だ。だから可能な限り、君を見ていたい」
どこか切なさも含んだ視線から、イザベラは目が離せなくなる。
「そのためにも、俺は君の見合いを破壊したい」
「は、破壊って物騒ね」
「物騒だが、それが一番得意だから」
「確かに魔王もその城も破壊した男だものね」
「だから、彼氏に丁度良いと思うんだ。男女交際については未経験だが、そこは破壊力でカバーする」
とんでもない言葉と自信に、イザベラはつい笑ってしまう。
確かに彼なら、母にも勝ててしまいそうだ。
「あなたが嫌じゃないなら、お願いしようかな」
「嫌なわけがない。むしろ、君が結婚してしまう方が嫌だ」
そんなことを大真面目に言われると勘違いしたくなるが、さすがのイザベラもこの数日で彼の言葉に他意がないことは学んでいる。
「私は結婚しないわ。元々一人寂しくおばあちゃんになるのが夢だったし」
「それは独特な夢だな」
「誰かと結婚したいとか思えなかったし、何より昔からの憧れだったの」
「寂しいおばあちゃんが?」
「寂しいおばあちゃんが」
そう言うと、イザベラは居間の本棚から大切にしている絵本を取ってくる。
「これね、私が小さな頃から好きな絵本なの」
「たしか謎解きの絵本だな、孤児院で、子供たちが読んでいるのを見たことがある」
「ええ、私が解呪の呪いに傾倒したのも、この絵本の影響なの」
絵本には、どんな謎でも解いてしまう魔法使いのおばあさんが出て来る。
そのおばあさんが、持ち込まれる謎を可愛らしいメイドと協力して解いていくというのが、絵本の筋書きだ。
だが描かれた謎自体は難解で、子供には少し難しい。
「ロッキングチェアーに座りながら、おばあさんがあっという間に謎を解いてしまうのに憧れてた。あとこの可愛らしいメイドさんにも」
メイドさんの方は謎が不得意で、いつも失敗をしてしまう。
でもおばあさんは怒らず、解き方を優しく教える。
「『毛糸をほどくように、するするするする謎はとけるの』って決め台詞に憧れて、将来はこのおばあちゃんになるんだ! って本気で思っていたのよね」
「君なら、なれそうな気がする」
「まだまだよ。メイドさんもいないし、ロッキングチェアーもまだないし」
「そこは、執事ではダメだろうか?」
「可愛いメイドさんがいいの」
「じゃあ、メイド服を……」
「可愛いって、聞こえてた?」
途端に、クリードがしょんぼりと眉を下げる。
その顔があまりにおかしくて、イザベラは笑いを堪えきれなかった。
「まあ、執事でもいいかな」
「メイド服でもいいんだぞ」
「あなた、実は結構気に入ってる?」
「ビキニアーマーよりは好きだ」
そういえばこの男、今服の下にとんでもないものを着ているんだった。
思い出すとまた笑いがこみ上げてきて、イザベラはふはっと声を上げてしまう。
「っていうか待って、ビキニアーマーを着た彼氏ってこと?」
「……君のお母さんが来るまでに脱げなければ、そうなるな」
「それまでに呪いを解けるかしら」
「解いてもらわねば困る。さすがに、ビキニアーマーを着たままなのは気まずい」
「確かに、彼氏ですって紹介する人がビキニなのは気まずいわね」
自然と、二人は苦笑を重ねた。
「あとその執事服も、どうにかしないとね」
「そうか、彼氏の服がいるな」
「チコルに何か見繕ってもらう?」
「それか、国王から献上された服を持ってこようか? 恋人の母親に会うなら、仕立てのいい服の方がいいだろう」
「いや、さすがにあれはかしこまりすぎだと思う」
多分クリードが言っているのは、凱旋パレードできていた服だ。
イザベラは参加を逃れて遠くから見ていたが、白い礼服に赤いマント姿のクリードは本当に神々しかった。
でもその服で突然現れたら、イザベラの母は腰を抜かすと思う。
「普通の服で、いいからね」
「あれは、だめか」
「そもそも、相手が勇者だって知られたら大騒ぎになりそうだし、『リードさん』にお願いしたいかな」
「君が望むならそうしよう」
気がつけば彼氏化計画は走り始めている。
迷いが無いわけではないが、それでもやる気をみなぎらせているクリードを見ていると、まあいいかという気持ちになってきてしまった。
「……ふぁ」
ホットミルクに入った酒が回ってきたのか、不意に小さなあくびがこぼれる。
もともと、イザベラはお酒に余り強くない。その上すぐ、締まりが無くなり眠くなってしまうのだ。
「そろそろベッドに行こう」
だからそう言って抱き上げられたときも、いつもなら心の中が大騒ぎになるのに「うん」と身を委ねてしまった。
そしてあれほど来なかった眠気に、急にさいなまれてしまう。
「そうだ、君の母さんが来る前に予行練習をしようか」
「ん? 練習……?」
「俺は恋人としての振るまいがきっと上手くない。だから事前に練習しておきたい」
「なら、私も……したほうがいいかも……」
だって偽物でも、クリードが初めての彼氏だから。
そう言ってしまったことにも気づかぬまま、イザベラは逞しい腕の中でコテンと眠りこけてしまった。




