閑話:執事の葛藤
――繋いだ手は、思っていたよりずっと小さくて柔らかかった。
洗った食器を戸棚に戻したクリードは、ふと空いた手に視線を向ける。
イザベラの手を握ったのは、純粋に彼女の足下を心配したからだった。
でもこうして感触を思い出してしまうあたり、邪な心があったのかもしれないとクリードは反省する。
(でも執事なら、あれくらいして当然だ)
誰ともなく言い訳をしながら、クリードは背後にいるイザベラを窺う。
彼女は居間のソファに座り、雑誌に夢中になっている。
読んでいるのは、隔週で刊行されるパズルや謎解きが載る雑誌のようだ。
(そういえば旅の途中も、よくあの雑誌を買っていたな)
火の側で一人雑誌を開き、楽しそうにパズルを解いていたのを覚えている。
イザベラは基本、いつも一人だった。
でも寂しそうな顔をしたことはなく、いつも雑誌や解呪に夢中になり、ニコニコと楽しそうにしていた。
その笑顔がなんともいえず愛くるしいのだが、目が合うとすぐ逃げてしまうため、こっそりと見ることしかできなかった。
そして今も、クリードの視線に気づいたイザベラはビクッと肩をふるわせる。
「俺の事は気にしないで、続けてくれ」
細い指が雑誌を閉じようと動くのを見て、クリードは慌ててそういった。
「あの、でも……」
「パズルを解いている君を見るのが好きなんだ。だからそのままでいてほしい」
以前は言えなかった言葉を伝えると、イザベラは驚いた顔をする。
そして少し困ったように視線を彷徨わせたあと、雑誌のページをそっとめくった。
「見られてると、ちょっと緊張するかも」
「じゃあ、こっそり見る」
「言ってしまったら、こっそりにならないと思う」
でもどうしても見たくて、少しでも邪魔にならないようにと考えた結果、目にとまったのは側のテーブルだ。
その下に入れば存在感を消せるのではと思ったが、いざ入ってみると残念ながらクリードの身体には少々狭すぎた。
「それはちょっと、無理があるんじゃない?」
「……そうだな、ここは首が痛い」
「やっぱり普通に見て良いわ」
苦笑しながら、イザベラは手招きしてくれる。
言葉に甘えて隣に座ると、彼女が雑誌をクリードの方に動かした。
「あなたも、やってみる?」
イザベラが指し示したのは、驚くほど細かい迷路が書かれたページだった。
「入り口から出口まで線を引いていくとね、図柄が浮かび上がるのよ」
「面白そうだが、この細かさは解けそうもない」
「そう? 割と簡単な方だけど」
言うなりペンを握り、イザベラは細い迷路をなぞり出す。
一度も詰まることなく、彼女はまっすぐにペンを動かし入り口から出口へと線を繋ぐ。
「見て、可愛いネコちゃんだった」
ふにゃっと笑いながらそういう君の方が可愛いと、言いたくなった。
でも彼女は「可愛い」と言われることに慣れていないようで、すぐ照れて逃げてしまう。
せっかくの機会を失うのが惜しくて、クリードは「そうだな」と頷くにとどめた。
「しかしこの迷路をこんな短時間で解くなんて、君は本当にすごいな」
「小さな頃から遊んでいて、慣れているだけよ」
イザベラは謙遜するが、これもまた立派な才能だとクリードは思う。
「解呪が出来る魔法使いなら、誰だって出来るわ」
「だが俺は、君ほど早く呪いを解く人を見たことない」
「うーん、普通だと思うけど」
クリードの言葉に、イザベラは懐疑的だ。
(前々から思っていたが、この子は自分の能力を低く見積もりすぎだ)
呪いが何重にもかかった魔剣をたった数分で解呪するなど、並の魔法使いには無理だ。
そもそも、クリードが持ち込んでしまったとんでもない数の呪いの品々をミスなく恐ろしい速さで鑑定していたところからして、普通ではない。
イザベラが来る前に何人かの魔法使いを雇っていたが、時間はイザベラの三倍はかかったし、あまりの数に「集中力が持たない」「さばききれない」と根を上げ次々やめていった。
「あ、次はウサギさんだった」
いつの間にか二つ目の迷路を完成させたイザベラが、満足げに完成したページを眺めている。
「今の一瞬でやったのか?」
「今度のはさっきのより簡単だった」
どう見ても難易度が高くなっている迷路を、イザベラは事もなげに見せてくる。
「やはり、君はすごいと思う」
誤解だと思われないよう、力を込めて言い切る。
するとイザベラは頬を赤く染め、慌てて視線を下げた。
「ありがとう、ちょっと自信ついたかも」
ほんの少し声を震わせながら、彼女は言った。
(照れ屋なところも、可愛いな)
元々可愛いとは思っていたが、近くで見るともっと可愛い。
やはりここに来てよかったと思いながらイザベラを眺めていると、居間に置かれた柱時計が鐘を鳴らす。
「あ、もうこんな時間なんだ」
「そろそろ寝るか?」
「明日は店を開ける日だし、そうする」
名残惜しそうに雑誌を閉じ、イザベラは席を立った。
「あなたはどうする?」
寝ようかと思ったとき、胸のポケットにいれていた鏡が震えた。
「ん? 何の音?」
「通信用の魔法鏡だ。ミゲル老師とつながっていて、やたらと連絡が来る」
ただ、今は出たい気分ではない。
というか老師からは毎日毎日連絡がくるものだから、少々辟易していたのだ。
「出なくていいの?」
「どうせ些細なことだ」
「だとしても、大賢者様の連絡を無視するなんてクリードにしか出来ないよ」
そんな会話をしているうちに鏡は静かになった。
ひとまず今夜は諦めてくれたらしいとほっとしていると、そこで再び鏡が震えだした。
「無視は、出来ないみたいね」
「……割ろうかな」
「出てあげなよ、老師にとってクリードは孫みたいなものだし、きっと寂しいのよ」
そう言って笑うと、イザベラは「おやすみ」と告げて先に部屋に戻ってしまう。
会話を邪魔しないようにという配慮だろうが、一秒でも長くイザベラの側にいたかったクリードとしては複雑だ。
「……もしもし」
『その顔をしたいのは、こっちなんだが?』
不満を隠せずにいたクリードに、ミゲルが顔をしかめた。
「イザベラとの時間を邪魔されたら、こんな顔にもなる」
『邪魔されたくなかったら、定期連絡をいれろ。昨晩もわしの連絡を無視したじゃないか』
「昨日はイザベラとカードゲームをしていたから、無理だった」
『その言い訳の方が無理がある』
大きなため息をこぼし、ミゲルがジト目でクリードを睨んだ。
『わしだって邪魔をしたくないが、お主のことを陛下に報告する義務があるのだ』
「なんか、適当な報告をしておいてくれ」
『国王に嘘をつけと?』
「ミゲルは口が達者だから、なんとかなる」
『……無茶を言いおって』
文句を言いつつ、おとがめの言葉が止まったところを見ると、多分クリードの望みを叶えてくれる気なのだろう。
(なんだかんだ、ミゲルは優しいからな)
そこにつけ込んでしまおうと、クリードは「頼んだぞ」と微笑む。
「じゃあ、俺もそろそろ休むよ」
『ちなみに、体調はどうだ?』
「絶好調だ」
『ならよいが、問題があればすぐに連絡をよこすんだぞ』
「わかってる」
『あとイザベラとのことも、相談したいことがあればいつでも言え。わしは、恋愛のアドバイスにも長けているからな!』
100才を超える老人に、果たして本当にアドバイスが出来るのだろうか。
『おい、考えが顔に出ているぞ』
「うん、まあ、かんがえておく」
『おい、信じてな――』
話が長くなりそうだったので、クリードは通信をきった。
(そもそも、俺は恋愛をするために来たんじゃないのに)
ただ彼女の側にいたい。それだけがクリードの願いだった。
(執事でも手は繋げるし、それで十分だ)
ほんの一瞬だけ「その先」を考えてしまうも、クリードは邪な思いを振り払った。




