191年③少女、旅人と語る
一応、一応三国志の武将が出ます。それだけ。
夜。
集落は、昼間とは違う静けさに包まれていた。
家々から漏れる明かりも少なく、道を歩く人の姿もほとんどない。
【微】は借りた部屋の外に座り、膝を抱えて空を眺めていた。
「……暇だなあ」
昼間のことを思い出す。
結局、何一つまとまらなかった。
持ってきた荷も、ほとんどそのままだ。
「無駄足だったなあ」
小さく息を吐く。
明日の朝には帰るつもりだった。
父には、なんと言おう。
そんなことを考えていると、
「まだ帰っていなかったのか」
背後から声がした。
【微】が振り返る。
そこに、昼間の男が立っていた。
「あ」
【微】は少し目を丸くした。
「昼間の人」
「そうだ」
男は小さく笑った。
「【田疇」という」
「私は【微】」
二人は、それだけ名を交わした。
【田疇】は【微】の隣に置かれた荷物へ目を向けた。
「昼間、何か売っていたようだな」
「見てたの?」
「ああ。少しだけな」
【微】は荷物を軽く叩いた。
「交易よ」
「うまくいったのか?」
「それがねー」
【微】は少し頬を膨らませた。
「全然ダメだったの」
「そうか」
「何軒も回ったんだけど、値段が合わなかったり、欲しい物がなかったりして」
【微】は荷物を見下ろした。
「結局、何も決まらなかった」
「それは残念だったな」
「うん」
【微】は小さく息を吐いた。
「朝は、何か持って帰れると思ってたのに」
【田疇】は顎に手を当てて黙った。
「……荷物を見せてもらってもいいか?」
「いいけど」
【微】は荷物の紐をほどいた。
中から取り出したのは、革袋だった。
「これは?」
「羊の乳よ」
微は革袋を持ち上げた。
「朝に搾ったものだから、まだ大丈夫」
【田疇】は革袋を受け取った。
手の中で重さを確かめる。
「いくらだ?」
「え?」
「これを一つ、買おう」
【微】は目を丸くした。
「買うの?」
「ああ。売り物なのだろう?」
「そうだけど……」
【微】は少し考えてから値を告げた。
【田疇】は懐から銭を取り出し、【微】へ渡した。
「これでいいか?」
「う、うん」
【微】は震える手で受け取った銭を眺めた。
「……売れた」
「売れたな」
【田疇】は革袋の口を開いた。
匂いを確かめるように少し顔を近づけ、それから一口飲む。
「……悪くない」
「でしょう?」
【微】の顔が少し明るくなる。
「朝に搾ったばかりなんだから」
【田疇】は革袋をもう一度眺めた。
「残りはどのくらいある?」
「まだあるわ」
「そうか」
【田疇】はそれ以上聞かなかった。
「今日はもう休め」
「うん、買ってくれてありがとう」
田疇は立ち上がった。
「では、また明日」
「明日?」
「朝になれば分かる」
そう言って、【田疇】はその場を離れていった。
【微】は首を傾げた。
「……何だろう?」
それでも、手の中の銭を見ると自然と笑みがこぼれた。
「一つは売れたし」
小さく呟く。
「今日は無駄足じゃなかったかな」
翌朝。
【微】が荷物をまとめていると、集落の外から馬の蹄の音が聞こえてきた。
顔を上げる。
昨日の騎馬の一団だった。
「おはよう」
昨日の男――【田疇】が馬を止めた。
「おはよう」
【微】も手を振った。
「昨日の乳だが、まだ残っているか?」
「あるわよ」
「全部、買わせてもらいたい」
「……全部?」
「ああ」
【微】は目を丸くした。
「そんなに?」
「皆が飲みたいと言っている」
【田疇】が後ろを振り返る。
二十騎ほどの男たちが、それぞれ馬を止めていた。
「本当に?」
「本当だ」
【微】は急いで荷物を開いた。
革袋を一つずつ取り出していく。
「これと……これと……」
並べていくうちに、昨日まで重かった荷物が少しずつ軽くなっていく。
「こんなにあったのか」
【田疇】が言う。
「売れると思ってたからね」
【微】は少し得意そうに答えた。
「でも、昨日は全然だったけど」
「そ、そうか」
【田疇】は苦笑した。
「ならば、今日は売れたな」
男たちがそれぞれ革袋を受け取っていく。
そのまま自分の馬へ積む者もいれば、仲間と分ける者もいた。
やがて、【微】の前には空になった荷袋だけが残った。
「……全部、なくなった」
【微】は呆然と荷物を見つめた。
「完売だ」
【田疇】が言った。
「完売……」
その言葉を口にすると、【微】の顔がぱっと明るくなる。
「やった!」
思わず両手を上げた。
昨日まで失敗だと思っていた。
帰ることもできず、仕方なく泊まった集落だった。
けれど今は、荷物が空になっている。
【微】は【田疇】を見上げた。
「ありがとう」
「礼を言われることではない」
「でも、あなたが買ってくれなかったら売れなかったもの」
「ならば、次は自分で売ればいい」
【田疇】はそう言って馬首を向けた。
「そういえば」
「なに?」
「商いを続けるつもりなら、幽州の方を覚えておくといい」
「なぜ幽州?」
「ああ」
田疇は頷いた。
「市が開かれている場所も多い。人の行き来もある」
「へえ……」
「漢人だけの市ではない」
【微】は顔を上げた。
「どういうこと?」
「鮮卑の者が来ても、商いを拒まない場所があるということだ」
【微】は少し黙った。
【田疇】は微の顔を見ていた。
「……それなら、私でも売りに行けるの?」
「そういうことだ」
「よく知ってるのね」
「旅をしていれば、それくらいの話は耳に入る」
【田疇】はそれ以上は言わなかった。
【微】も深くは聞かなかった。
「幽州か……」
小さく呟く。
「いつか行ってみたいな」
「商いをするなら、覚えておいて損はない」
【田疇】はそう言って、今度こそ馬首を向けた。
【微】はその背中を見送った。
なぜ【田疇】が、自分にその話をしたのか。
その時の【微】には、まだ分からなかった。
【微】主人公。191年で齢18。
田疇と出会う。
【田疇】三国志の武将
幽州の出身。今はある目的で旅をしている。
最初は同行する予定でしたが、長くなりすぎるのでやめました。




