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204年微、息子と暮らす

 春。


 村には、いつものように春が来ていた。

 畑では土を耕す音が聞こえ、家々からは朝の煙が上がっている。

 【微】は厩の前で馬の世話をしていた。


「ほら、ちゃんと食べなさい」


 馬が飼葉を食べる。

 その横では、幼い我が子【力】が馬をじっと見つめていた。


「母上」

「何?」

「馬に乗りたい」

「まだ早いよ」

「去年もそう言った」

「去年はまだ小さかったでしょう?」

「もう大きいよ」


 【力】は胸を張った。

 【微】は思わず笑った。


「そうね。大きくなったね」

「だから乗れる?」

「……少しだけなら」

「本当?」

「あくまで練習よ」


 【微】は馬具を用意した。

 【力】を馬の背に乗せる。

 まだ一人では身体が安定しない。

 【微】はすぐ横に立ち、手綱を握った。


「怖くない?」

「平気」

「じゃあ、手綱を持ってみて」

「こう?」

「そう。強く引かなくていいよ」


 【力】は真剣な顔で手綱を握った。

 【微】が馬をゆっくり歩かせる。

 【力】も馬の動きに合わせて身体を揺らした。


「上手」

「本当?」

「うん。でも、まだ一人では駄目」

「どうして?」

「馬は生き物だから。言うことを聞かせるだけじゃ駄目なの」


 【微】は馬の首を撫でた。


「この子がどうしたいのか、ちゃんと分かるようにならないと」


 【力】は馬を見た。


「馬の気持ち?」

「そう」

「分かるの?」

「少しはね」

「僕も分かるようになる?」

「練習すればね」

「じゃあ、練習する!」


 【力】は嬉しそうに手綱を握り直した。


「ゆっくりね」

「うん!」


 【微】は馬の横を歩きながら、息子に手綱の扱いを教えていった。

 歩き方。

 止め方。

 曲がり方。

 馬を怖がらせないこと。

 何度も繰り返す。


 それは、【微】にとって懐かしい時間でもあった。

 かつて自分が馬を覚えたように、今度は息子に教えている。


「母上」

「何?」

「僕、大きくなったら一人で乗れる?」

「乗れるようになるよ」

「いつ?」

「ちゃんと練習して、馬のことを分かるようになったら」

「じゃあ、毎日やる!」

「毎日は駄目」

「どうして?」

「馬も休みたいから」


 【力】は馬を見る。


「……じゃあ、明日は?」

「明日は少しだけね」

「やった!」


 【微】は笑った。

 馬も小さく鼻を鳴らした。


「ほら。この子も分かってるみたい」


 【力】は嬉しそうに馬の首を撫でた。


「よろしくね」


 その小さな手を見ながら、【微】は思った。

 自分が草原で馬に乗っていた頃から、ずいぶん遠くまで来た。

 今は、自分の息子に馬を教えている。

 それが、なんだか不思議だった。


 そして――嬉しかった。



 昼過ぎ。


 【力】は【田疇】のところへやってきた。


「父上」

「何だ?」

「今日も教えて」

「何をだ?」

「字」


 【田疇】は少しだけ笑った。


「午前中は馬だっただろう」

「うん。母上が教えてくれた」

「そうか」


 田疇は書物を脇へ置いた。


「では、今日は昨日の続きだ」

「うん!」


 【力】は【田疇】の隣に座った。

 【田疇】は木簡を一つ取り出す。


「これは何と読む?」

「……分からない」

「昨日教えただろう」

「忘れた」

「忘れるのが早いな」


 【力】は少し困った顔をした。


「もう一回教えて」

「仕方ない」


 田疇は字を指でなぞった。


「これは――」


 ゆっくりと読み方を教える。

 【力】も真似をする。


「……こう?」

「そうだ」

「できた!」

「まだ一つ覚えただけだ」

「でも、できた!」


 【力】は嬉しそうに笑った。

 【田疇】は次の字を書く。


「では、これは?」

「……分からない」

「これも昨日やった」

「忘れた」

「またか」

「だって難しいんだもん」


 【田疇】はため息をついた。

 だが、怒っているわけではなかった。


「ならば、もう一度だ」

「うん」


 【力】は真剣な顔で木簡を見つめる。

 何度も間違える。

 何度も書き直す。

 それでも、やめようとはしなかった。


 少し離れたところでは、【微】が布を繕いながら二人を見ていた。


「頑張ってるね」

「本人がやりたいと言ったからな」

「あなたも嬉しそう」

「そう見えるか?」

「見えるよ」


 【田疇】は【微】を見る。


「お前は何を見ても楽しそうだな」

「だって、二人とも楽しそうだから」


 【微】は笑った。

 しばらくすると、【力】が筆を置いた。


「父上」

「何だ?」

「僕、自分の名前を書きたい」


 【田疇】は少し考えた。


「力か」

「うん」

「なら、まずこの字からだ」


 【田疇】は木簡に、ゆっくりと『力』の字を書いた。

 【力】はそれをじっと見つめる。


「これが僕?」

「お前の名の一字だ」

「簡単そう、書いていい?」

「ああ」


 【田疇】は筆を渡した。

 【力】が筆を握る。


 【力】が筆を動かす。たかが二角文字と高を括っていた力の筆がぶれる。波打つ。


「……曲がった」

「そうだな」

「どうして?」

「筆を動かすことばかり考えているからだ。字は線だけで書くものではない」

「じゃあ、どうするの?」

「全体を見るんだ。ここが大きすぎる。こちらが小さい」


 【田疇】は十字線を書いてバランスを見る。


「一つ一つの線ではなく、字全体を見る」

「……難しい」

「だから練習する」


 【力】は少し安心したようだった。

 もう一度、筆を動かす。

 今度はさっきより少しだけ形が整った。


「できた!」

「そうだな」

「僕の字!」

「ああ」


 【力】は嬉しそうに自分の書いた字を眺めている。

 【田疇】はその横で、黙って見ていた。


「父上」

「何だ?」

「僕も父上みたいに字を書ける?」

「書けるようになる」


「いつ?」

「覚え続ければな」

「じゃあ、いっぱい覚える」

「それがいい」


 【力】は頷いた。

 【微】は二人のところへ近づいた。


「どう?」

「書けた!」


 【力】が木簡を見せる。


「まあ」


 【微】は笑った。


「上手じゃない」


「でしょう?」

「父上が教えてくれた」

「そうなの?」

「ああ」


 【田疇】は淡々と答える。

 【力】は得意そうに胸を張った。


「僕、字も馬もできるようになる!」

「欲張りだねえ」

「母上みたいに馬に乗って、父上みたいに字を書く!」


 【微】と【田疇】は顔を見合わせたくすっと笑った。


「それなら、頑張らないとね」

「うん!」


 【力】は元気よく答えた。


 その声が庵の中に響いた。

 外では、春の風が吹いていた。


 午前中は母と馬に乗り、

 午後は父から字を教わる。


 【力】にとっては、それもまた当たり前の一日になっていく。


 【微】はそんな息子を見ながら、静かに笑っていた。

息子【力】4歳との平穏な1日。


次からは明確に主人公も変えて話が進みます。

微は側にいるだけ。

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