200年②微、母となる
冬。
村には冷たい風が吹いていた。
【微】は庵の中で、膝の上に小さな布を置いていた。
「これ、こんなに小さくて大丈夫なのかな」
隣で【田疇】が書物を読んでいる。
「子供の服なら、それくらいだろう」
「そうなんだ」
【微】は布を広げた。
村の女たちが作ってくれたものだった。
「私、本当にお母さんになるんだね」
「ああ」
「まだ変な感じ」
【微】は笑った。
春に子供ができたと分かってから、季節がいくつも過ぎた。
身体も少しずつ変わった。
以前のように自由に動くことはできなくなったが、その分、村の者たちがよく気にかけてくれた。
「無理するんじゃないよ」
「重いものは持たなくていい」
「馬の世話も誰かに頼みなさい」
最初の頃は、【微】も何度も文句を言った。
「私、まだ動けるよ」
そう言うたびに、
「動けるのと、動いていいのは違うよ」
と言われた。
今では、【微】も素直に頼るようになっていた。
「……村の人たちって、優しいね」
「今さら気づいたのか?」
「分かってたよ」
【微】は少し頬を膨らませた。
「でも、こんなに心配されるとは思わなかった」
【田疇】は小さく笑った。
その日の午後。
【微】は庵の外に出ていた。
雪が少し残っている。
厩の方から馬の声が聞こえた。
「元気?」
【微】が声をかけると、馬がこちらを見る。
以前なら毎日のように世話をしていた。
今は他の者に任せることが多くなった。
「ごめんね」
【微】は馬の首に手を伸ばした。
「もう少ししたら、また一緒に歩こうね」
馬が鼻を鳴らす。
「うん。分かってる」
【微】は笑った。
その夜。
【微】は庵の中で、少し苦しそうにしていた。
「……あなた」
「どうした?」
「何だか、いつもと違う」
【田疇】が【微】を見る。
「痛むのか?」
「うん……少し」
【田疇】はすぐに立ち上がった。
外へ出て、村の女たちを呼ぶ。
しばらくすると、何人かの女たちが庵へ入ってきた。
「【微】、大丈夫だよ」
「本当に?」
「大丈夫。私たちがいるから」
微は頷いた。
【田疇】は庵の外へ出された。
「【田疇】さん、あんたは外で待ってな」
「だが――」
「男が中にいても何もできないだろう」
【田疇】は黙った。
「……分かった」
戸が閉じる。
外には冷たい風が吹いていた。
夜が深くなっていく。
【田疇】は庵の前に座っていた。
中から【微】の声が聞こえる。
何度か立ち上がりかける。
だが、何もできない。
ただ待つしかなかった。
やがて――。
庵の中から、小さな声が聞こえた。
泣き声だった。
【田疇】は顔を上げた。
しばらくして、戸が開く。
「生まれたよ」
村の女が笑っている。
「男の子だよ」
【田疇】は何も言わなかった。
ただ、小さく頷いた。
中へ入る。
【微】は疲れた顔をしていた。
けれど、その腕には小さな子供がいる。
「……男の子」
【微】が小さく笑った。
「うん」
「抱いてみる?」
【田疇】は少し戸惑った。
「私が?」
「あなたのお子さんでしょう?」
【田疇】は【微】の腕から、慎重に子供を受け取った。
あまりにも小さい。
軽い。
それなのに、不思議なほど重く感じた。
「……小さいな」
「でしょう?」
【微】が笑う。
「ちゃんと生きてる」
「ああ」
子供が小さく身じろぎする。
【田疇】はその顔を見つめた。
「泣かないな」
「さっきいっぱい泣いたからじゃない?」
「そうか」
【微】は少し身体を起こした。
「ねえ」
「何だ?」
「名前、どうする?」
【田疇】は子供を見た。
「まだ考えていない」
「じゃあ、一緒に考えよう」
「ああ」
二人は小さな子供を見つめた。
外では、村の人々が静かに眠っている。
この子が生まれたことを、まだ知らない者もいる。
けれど朝になれば、きっと村中に知れ渡るだろう。
誰かが祝い、
誰かが食べ物を持ってきて、
子供たちは新しい赤ん坊を見たがる。
そんな光景が、【微】には想像できた。
「……村の子たち、喜ぶかな」
「喜ぶだろうな」
「馬にも見せてあげたい」
「まだ早い」
「分かってるよ」
【微】は笑った。
そして、【田疇】の腕の中にいる子供を見つめた。
「この子も、ここで大きくなるんだね」
「ああ」
「私たちと一緒に」
「ああ」
【微】は目を細めた。
「よかった」
それだけ言って、【微】は子供の小さな手に指を添えた。
子供の指が、【微】の指をかすかに握った。
「……握った」
【微】が嬉しそうに笑う。
「私の指、分かるのかな」
「まだ分からんだろう」
「でも、握ったよ」
「そうだな」
二人はしばらく、その小さな手を眺めていた。
夜は静かに更けていった。
草原から来た【微】が、ここで家族を持った。
夫となった【田疇】がいる。
そして今、その腕の中には息子がいる。
村の外では、戦乱の世が続いている。
けれど、この小さな村では、人々が眠っている。
明日になれば、また畑を耕し、薪を集め、水を運ぶ。
いつもの暮らしが始まる。
ただ一つ違うのは、その暮らしの中に、新しい命が加わったことだった。
【微】は息子を見つめた。
「おやすみ」
小さく呟く。
「明日から、よろしくね」
隣で【田疇】が【微】を見る。
【微】は笑った。
「明日から、私たちがお父さんとお母さんだね」
【田疇】は少しだけ笑った。
「ああ」
静かな夜だった。
村に、新しい家族が生まれた。
200年。【曹操】と【袁紹】の官渡の戦い。外は戦乱真っ只中ですが、村は平和です。




