第82話 膝掛けの端の空席
星冠暦826年・霜降月1日・陽耀日
霜降月になった最初の朝、ミアは居間の長椅子で、膝掛けにすっぽり隠れていた。
色合いの少し違う二枚の毛織布を縫い合わせた、大きな膝掛けである。真ん中には縫い糸が一本、はっきり見える。ミアが頭からかぶると、その縫い目が鼻先のあたりへ下りてきた。
「ミアはどこでしょう!」
「長椅子の真ん中」
フィンが即答した。
「まだ、みつけちゃだめ!」
「じゃあ聞くなよ」
膝掛けの下から笑い声がして、布がもこもこと揺れた。
窓から入る空気は昨日より冷たい。月の名前が変わったからといって一晩で冬になるわけではないが、フィンも今朝は長椅子へ腰を下ろし、余った布を膝へ引き寄せた。
「おにいちゃん、ミアのおうち!」
「端っこを借りるだけだって」
二人で布を引き合っているところへ、リディアが温かい飲み物を運んできた。
「おうちが広がりすぎて、お茶を置く場所がなくなっているわよ」
フィンが手を離すと、引っぱられた布がミアの方へ戻った。ミアは顔だけ出し、長椅子の端をぽんぽんと叩く。
「ここなら、いいよ」
「どうも」
フィンが座り直すと、今度は二人とも同じ布の下で静かになった。
午前のうちに、オスカーが工房から小さな暖房板を持ってきた。小型蓄魔石を使い、決められた向きの低い空間へ弱い暖かさを渡す道具である。人が近づいたか、寒がっているかを見分けるものではない。
オスカーは居間の大机や長椅子から離れた床へ据え、紙や布が垂れかからず、台所への通り道も空いていることを確かめた。停止片で熱の供給を切れることを確認してから、弱い出力で起動する。
「この辺りだけ、足元が少し暖かくなるぞ」
フィンは長椅子を離れ、板から距離を取ったところへ座ってみた。
「お、暖かい」
「ミアも!」
ミアは膝掛けを肩からずり落としたまま立ち上がりかけた。リディアが端を受け取って長椅子へ戻すと、ミアは靴下の足で、とことこと兄の隣へ向かった。
「板のそばへ布を持っていかないようにね」
「うん!」
フィンの隣へ座ると、たしかに足元がほんのり暖かい。ミアは両足を揃えて伸ばし、しばらく満足そうにしていた。
ところが、顔を上げると、みんなが同じ場所にいるわけではなかった。エルナは窓辺で本を読み、リディアは台所へ杯を戻しに行き、オスカーは工房の方へ戻りかけている。アルノはまだ離れだ。
「みんなも、こっちにきたらいいのに」
ミアは自分の小さな椅子を持ってきて、暖かい範囲の外側へ置いた。
「ここ、あいてるよ!」
「俺は床でいいよ」
フィンが笑う。ミアは椅子と兄を見比べ、今度は窓辺の姉を呼んだ。
「おねえちゃんも!」
「誘ってくれてありがとう。でも今は、ここがいいな」
エルナは本を少し掲げた。頁の端には、くすんだ緑色の栞と、ミアが描いた黄色い丸が覗いている。
「窓の光で読みたいところなの」
「みどりのおみみ!」
「そう。これがあるから、あとで閉じても続きから読めるよ」
ミアは椅子の背を握ったまま、ちょっと考えた。暖かいところに席を作れば、みんなが集まってくれると思ったのだ。それなら、もう一脚増やしたらどうだろう。
大人用の椅子へ手を掛けようとしたところで、工房から戻ったオスカーが声をかけた。
「ずいぶん席を増やすつもりだな」
「パパと、ママと、おじいちゃんも!」
「六人分か。全部並べたら台所へ行けなくなるぞ」
ミアは戸口を見た。そこをふさぐように椅子が並んだところを想像したらしく、少し困った顔になった。
オスカーは暖房板を停止させ、熱の供給が切れたことを確かめてから、板に触れず、通路側へ寄りかけた椅子を元へ戻した。ミアの小さな椅子だけは、邪魔にならない場所に残す。
「ここに全員分の椅子がなくても、暖まりたいときに来られるだろ?」
「でも、パパは?」
「工房で動いてたから、今はちょうどいいんだ」
オスカーは腕をまくったまま笑った。フィンは足を温めたい。エルナは明るい窓辺がいい。リディアは長椅子に残した膝掛けを手に取っていた。
「私は、あっちを少し借りようかしら」
ミアは自分の椅子を見てから、長椅子を見た。小さな椅子はそのままにして、今度は母の後ろを追いかけた。
昼食のあと、アルノが離れからやって来た。
「おや。居間に小さな席が一つ増えとるのう」
「ミアが、あったかいせき、つくったの!」
「ほう。では、そこへ座るべきかの?」
「どっちでもいいよ!」
ミアは一度だけ小さな椅子を示し、それから膝掛けのある長椅子も指さした。アルノは両方を眺め、長椅子の方へゆっくり腰を下ろす。
「わしは、今日はこっちじゃな。お前さんの隣も空いておる」
「じゃあ、ミアも!」
ミアは布を引きずらないように持ち上げ、祖父の横へ座った。リディアも反対側へ腰掛ける。膝掛けを広げると、中央の縫い目がミアの膝の上を通り、色の違う布が三人の足を覆った。
「まんなか、ミア!」
「今日はそうね」
リディアが答えた。ミアは縫い目を指でなぞったが、今度は端を引っぱらなかった。
オスカーは暖房板の周りが空いていることを改めて確かめ、短い時間だけ起動した。フィンは板から少し離れた床へ戻り、足を伸ばす。エルナは窓辺で本の続きを開き、アルノは膝掛けに足を入れたまま、茶碗を両手で包んでいた。オスカーは長椅子の脇の空いた椅子へ座った。
居間では、頁をめくる音と、茶碗を置く音がしばらく交互に聞こえた。
やがてミアが、昨日広場で見た独楽のように指をくるりとひねった。フィンはすぐに気づく。
「まだ回してるのか?」
「ミアのこま、こんどはながいよ!」
何も持っていない手が空中で回る。フィンも真似をすると、アルノが笑って、昨日の独楽はどんな形だったのかと尋ねた。フィンが指だけでは足りず両腕まで動かし始めると、エルナも本から顔を上げた。オスカーが「そんなに大きかったか?」と突っ込み、ミアは膝掛けを揺らして笑った。
窓辺ではルクスがその様子を見ていた。ミアがふと気づいて、膝掛けの端を少し持ち上げる。
「ルーちゃんも、ここ!」
白い頭は動かない。
「ルクスは自分で決めるよ」
オスカーが言うと、ミアは少し考えてから布を膝へ戻した。
「あいてるだけ」
そう言って、また兄の手元を眺める。誰かが座るまで待つために空けておくのではなく、今はそこが空いている。それでも膝掛けは十分に大きかった。
夕方近く、暖房板は止められた。オスカーは作用が消え、板も扱える状態になったのを確かめてから工房へ戻した。ミアの小さな椅子も元の場所へ戻り、通り道が広くなる。リディアとアルノは長椅子に残り、エルナは読みかけの本へ緑の栞を挟んだ。フィンは床に座ったまま、指の独楽をもう一度だけ回している。
リディアが窓の隙間から入る冷たい風に気づき、窓を少し閉めた。その音に、ルクスが顔を上げる。
白い姿は窓辺を離れ、長椅子の背へふわりと降りた。ミアの後ろではあるが、膝掛けの空いた端とは別の場所だった。そこからなら、長椅子の三人も、床のフィンも、窓辺のエルナも見渡せる。
ミアは振り返り、嬉しそうに笑った。けれど布をかけようとはせず、膝に広げたままでいる。ルクスはその様子を一瞥すると、少し高い止まり木にでもいるように胸を張った。
「布はそっちで使え。こっちの方が、お前たちを見下ろすには都合がいい」




