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風見鶏通り17番地、今日も魔法日和  作者: リタイアルーキー


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80/87

第80話 あとから灯る石畳

 星冠暦826年・紅葉月30日・金耀日

 朝、フィンは作業台から離して吊るしてあった上着を取り、袖口の内側へ指を差し入れた。

 昨日は縫い目のあたりがひんやりしていたが、今朝は湿り気を感じない。肩も軽かった。袖を通し、両腕を動かしてみると、台所から出てきたミアがすかさず真似をした。

「おにいちゃんのおようふく、ばんざい!」

「もう普通の格好だって」

 玄関脇の背板から鞄を取ったフィンは笑い、先に靴を履いていたエルナの後を追った。ミアも家族と一緒に登園する。三人の声が通りの方へ遠ざかると、家にはいつもの金耀日の時間が戻った。

 昼過ぎ、保健院の仕事から帰るリディアは、西工房区の広場へ続く通りで足を緩めた。

 前日の雨を残した石畳には、まだ濃い色の場所がある。荷を積んだ車が一台通り、軒先の店主が入口へ出していた品物を少し内側へ寄せていた。そんな見慣れた景色の中に、リディアの目を引くものがあった。

 通りの片側、数歩おきに埋め込まれた小さな金属の印。その広場側の隣の石には、細長い曇り硝子がはめられている。印も硝子も、同じ組み合わせで短い区間だけ続いていた。

 買い物客が印のある石を踏むと、隣の硝子が一瞬、淡く光った。昼の明るさでは見落としそうなほどだったが、リディアはその光を見つけて立ち止まった。

 夕暮れなら、きっともっとよく見えるだろう。

 今日はそこへ買いに行くものも、届けるものもない。それでも、もう一度歩きたいと思った。できれば一人ではなく、オスカーと。

 帰宅すると、オスカーは工房で仕事台を片づけていた。

「ねえ、オスカー。夕食の前に少しだけ歩かない?」

「どこかへ届け物か?」

「ううん。何も買わないし、何も届けないお散歩」

 オスカーは手にしていた布を畳み、妻の顔を見た。

「それはまた、珍しい注文だな」

「注文じゃないわ。お誘いよ」

「なら、喜んで」

 返事が早かったので、リディアは少し笑った。

 夕方、学院から帰ったエルナとフィンが居間へ落ち着くころ、オスカーもミアを幼年学舎から迎えて戻った。工房でその日の作業を終えると、アルノが離れから母屋へやって来た。子どもたちは祖父と居間で過ごすことになり、リディアは玄関で外套を羽織った。

「ママ、どこいくの?」

「広場の手前まで、二人でお散歩よ」

「おみやげは?」

「今日はないわね」

 ミアは一瞬考えてから、ぱっと顔を上げた。

「じゃあ、おはなし!」

「ええ。帰ったら聞かせるわ」

 何を話せるかも決まっていないうちから、帰宅後の約束ができた。

 外へ出ると、夕方の風は昼より冷たくなっていた。石造りの壁には斜めの光が残り、通りを行く人の影が長く伸びている。二人は店先の風見鶏の絵を横目に、広場へ向かう道へ入った。

「ここなの」

 リディアが示した先に、昼と同じ金属印と曇り硝子が並んでいた。近くの街灯はすでに柔らかく光っていて、そこを歩くのに不自由はない。だが石の縁の小さな灯りは、まだどれも暗かった。

 オスカーが印へ視線を落としたところで、リディアの靴が最初の石に載った。

 その石より広場側にある硝子が、ぽっと金色になった。

「あら、やっぱり」

 足を離れると、光は三つ数えるほどで薄れていった。オスカーは灯りが消えるのを見届けてから同じ印を踏む。すると同じ硝子が、同じように短く光った。

「踏んだときの荷重で起動するんだな」

「私でもあなたでも、同じ場所が光ったわ」

「印にかかる重さが一定以上になったときだけ、広場側の隣へ光を送る仕組みらしい」

 道端には、小さな蓄魔石を収めた覆い付きの箱があった。オスカーはそこへ一瞥をくれたが、蓋へ手を伸ばしたりはしない。歩く向きや人の気持ちを知っているのではなく、石の印と灯りの位置が初めから決まっているのだろう。ここではそれが分かれば十分だった。

「行きましょうか」

「ああ」

 リディアが次の印へ進む。広場側の硝子が淡く灯り、足を離れるころには消え始める。オスカーも続いた。二人の歩みに合わせ、金色が一つずつ先へ生まれた。

 オスカーはその現れ方が面白く、いつしか二歩ほど先へ出ていた。前の光が消えるのを待たず、次の石を踏む。さらにもう一つ。その向こうに、同じ印が見えた。

「オスカー」

 呼ばれて振り向くと、リディアは店の展示窓の前に立っていた。曇り硝子とは別の硝子に、夕暮れの空と向かいの屋根が重なって映っている。

「どうした?」

「こっちの窓も、きれいなの」

 彼女は店内の商品ではなく、硝子に映った薄い雲を見ていた。オスカーが戻ると、ちょうど雲の端に残った赤みが消えかけた。

「俺は次の灯りばかり見てたな」

「それも面白そう。でも、私はこっちも見たいの」

「じゃあ、しばらくここにいようか」

 リディアが頷いた。立ち止まっているあいだ、石の縁は静かなままだった。誰も踏まなければ、新しい光は生まれない。少し先では店から出てきた人が小包を抱え直し、軒下を通る風に布看板が揺れた。

 また歩き出すとき、オスカーはリディアの隣に並んだ。

 灯りが先へ生まれては消える。その間に、二人は同じ鉢植えを見たり、閉まりかけの店の戸を見送ったりした。広場はすぐそこだったが、急いで行く理由はなかった。

 広場の手前で引き返すと、リディアがまた印のある石を踏んだ。

 今度は、背後の硝子が光った。

「あら」

 二人は足を止めた。進んでいるのは家の方なのに、光ったのは広場側。来るときと同じ位置へ、同じ金色が現れている。

 オスカーはもう一つ手前の印を踏み、振り返った。今度も一枚だけ、背後に灯った。

「向きを変えたのは俺たちで、道具じゃないんだな」

「行きは前を照らして、帰りは後ろから見送ってくれるのね」

 リディアの言い方が気に入って、オスカーは笑った。

 先を照らすといっても、足元にはもともと街灯の明かりがある。石の小さな金色は、そこへ短い光を足しているだけだ。だからこそ、消えるところまで眺めても、道が暗くなる心配はなかった。

 帰り道、オスカーはもう灯りを追い越そうとしなかった。二人が同じ速さで歩くと、後ろで光る硝子を振り返るのも同じころになる。ときにはリディアが先に何かを見つけ、今度はオスカーが立ち止まった。

「今日は何も持って帰らないはずだったのに」

「何か拾った?」

「ミアに話すことが増えた」

「それなら、おみやげね」

 リディアが笑い、二人は最後の金色が消えるまで少しだけ待った。

 風見鶏通り17番地へ戻ると、店先に掲げられたミアの風見鶏の絵が、夕風にかすかに揺れていた。居間からはフィンとエルナの話し声、その間へ割り込むミアの高い声が聞こえる。

「ただいま」

 窓辺のルクスは顔を上げ、二人を一度見ただけで羽づくろいへ戻った。

 玄関へ走ってきたミアは、リディアの外套を見上げた。

「おはなし、あった?」

「ええ。踏むと次の石が光る道を歩いたのよ」

「いきは前に、かえりは後ろにね」

 オスカーが付け足すと、ミアは目を丸くした。

「うしろのひかり?」

「同じ灯りなの。私たちが反対へ歩いたから、後ろに見えたのよ」

 ミアは考え込み、それからリディアの後ろへ回った。両手を胸の高さでぱっと開いてみせる。

「ミアが、うしろのひかり!」

 リディアが振り返ると、ミアは両手を閉じた。母が前を向いて一歩進むと、また後ろから小さな手が開く。もう一度振り返れば、また閉じる。オスカーが笑い、リディアも笑って、二人ともなかなか居間へ進めない。

 窓辺でその様子を見ていたルクスは、とうとう羽づくろいをやめた。ミアが見せているのは、本物の魔法でも通りの景色でもない。それでも家族が一歩進むたび、廊下には新しい笑い声が生まれていた。

「灯りはもう消えたんだろ。……お前たちが毎回振り返るから、ミアの帰り道がいつまでも終わらんぞ」


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