第8話 映姿板は鉢植えも数える
星冠暦826年・実成月19日・水耀日
昼を少し過ぎたころ、クラウゼル魔法具店の扉が開いた。
最初に店へ入ってきたのは、細長い木箱だった。
その向こうから、箱を両腕で抱えた女性が顔を出す。
「こんにちは。オスカーさん、いる?」
店番を手伝っていたエルナが返事をするより早く、工房からオスカーが出てきた。
「ローデさん。こんにちは」
マルタ・ローデは、以前にも何度か店を利用したことのある顔見知りの客だった。人の姿を記念の肖像として残す仕事をしていて、今日は普段使っている道具を木箱ごと持ち込んできたらしい。
カウンターへ箱を置いたところで、彼女は窓辺の紙に気づいた。
昨日から飾られている、ミアの風見鶏である。
「これは新しい看板?」
居間から聞きつけた本人が、すぐに顔を出した。
「ミアの!」
「そうなの。ずいぶん立派な風見鶏ね」
胸を張るミアの頭上で、ルクスは窓枠に座ったまま外を見ていた。
マルタが木箱の蓋を開ける。
中には、黒い木枠に囲まれた銀灰色の板が収まっていた。背面に小さな蓄魔石があり、正面には薄い板を差し込むための溝がついている。
「映姿板ですね」
エルナが覗き込んだ。
「ええ。それが最近、妙に人数の多い肖像ばかり作るようになって」
「人数が多い?」
「三人を写したはずなのに、出来上がると四人とか五人とか」
マルタは試しに使った記像板を一枚取り出した。
小さく並んだ三人の横に、葉を広げた鉢植えが一つ、堂々と場所を取っている。
ミアが目を輝かせた。
「おはなも、うつりたかったの?」
「本人に聞けたら助かるんだけどね」
マルタは笑った。
以前は自分の仕事場で使うことが多く、背景も毎回ほとんど同じだった。ところが最近は客の家へ出向く機会が増え、部屋に鉢植えがあったり、小さな動物がいたりすると、出来上がった肖像へ予定外のものが混ざるようになったという。
「壊れている感じはしないんです」
「なら、まず同じことが起きるか見ましょう」
オスカーも、その場で術式へ工具を入れることはしなかった。
店の一角を空け、映姿板を壁際の台へ据える。
試験に並んだのはオスカー、エルナ、フィン、ミアの四人だった。そこへ、ちょうど保健院の仕事を終えて帰ってきたリディアも事情を聞き、そのまま加わる。
窓辺には、日当たりのいい場所へ移されていた小さな香草鉢が一つ。
さらにその上には、ルクスがいる。
どちらも動かさなかった。
今の状態そのものを試した方が、マルタの困り事を再現しやすいからである。
子どもたちが勝手に触らない位置へ板を置いてから、マルタは新しい記像板を差し込んだ。
オスカーも側面の停止溝を確認する。
映姿板が作動するのは、四つ数えるほどの短い間だけだった。弱い探査と像の写し取りをするだけで、物を押したり引いたりする力も、熱を生む作用もない。
準備が整うと、マルタが起動部へ触れた。
銀灰色の板を、薄い光が静かに横切った。
家族が息を整えているうちに光は消え、店内にはまた通りから聞こえる車輪の音と、夏の虫の声が戻ってきた。
マルタが記像板を抜く。
全員の視線が、自然とその一枚へ集まった。
中央に並んでいるのは、たしかに五人だった。
ただし、みんな妙に小さい。
五人分の横には、葉を大きく広げた香草鉢が一枠を使って収まり、そのさらに隣には、翼を畳んだルクスが同じくらいの幅を与えられて座っている。
肖像の中では、人間も鉢植えも白い鳥も、見事なまでに平等だった。
「ルーちゃんもいる!」
ミアだけは素直に喜んだ。
当のルクスは記像板を見つめ、それから自分の下にある香草鉢へ目を落とした。
もう一度、肖像を見る。
白い翼の羽先がわずかに浮いた。
フィンはその様子に気づき、笑い出しかけた口を手で隠した。
マルタの方は、すぐには笑わなかった。
記像板の中の七つの像を順に見たあと、実際の店内へ視線を戻す。五人の立っていた場所、香草鉢、ルクス。その間にある空間まで確かめるように目を動かした。
「全部、離れていたものね」
その言葉で、オスカーも映姿板の術式線へ目を落とした。
板は最初に、正面の決められた範囲を一枚の像として写し取る。
その一方で、細かな走査格子を同じ範囲へ重ね、互いに離れた生体魔力の反応域を拾う。
そして反応のない格子を挟んで離れているものを、別々の候補として切り出す。
最後に、それらが全部一枚へ収まるよう同じ幅を与えて並べ直す。
人間だから一件なのではない。
植物だから除外されるわけでもない。
映姿板にあるのは、離れた反応域を別々に扱うという幾何的な手順だけだった。
マルタは香草鉢を見て、小さく息を吐いた。
「仕事場で分からなかった理由も、それなら説明できるわ。背景には生きたものを置いてなかったから」
「道具としては、ずっと同じ動きをしてたんですね」
エルナが言う。
オスカーもうなずいた。
「人間だけ拾う条件を足すことはできなくもないでしょうけど、俺ならやりません」
何を人間とみなすかまで術式へ判断させれば、仕組みは一気に複雑になる。
しかもマルタが必要としているのは、人間を判定する道具ではない。
誰を肖像へ残したいかを間違えない道具である。
その違いを最初に口にしたのは、道具の持ち主だった。
「だったら、板に選ばせなくてもいいのね」
マルタは胸元を指で軽く叩いた。
「写りたい人が、自分で『私を写して』って印を持てばいい」
オスカーの表情が明るくなった。
「その方がずっと単純です」
工房にあった小さな銅片を五枚だけ使い、それぞれへ同じ指定印を入れた。
映姿板の側も、走査格子に現れた反応をすべて拾うのではなく、指定印の短い信号を含んでいる反応域だけを残すよう組み替える。
これなら板は人間を知らなくていい。
家族も客も知らなくていい。
印のある反応域を残し、ないものを捨てる。
それだけで済む。
調整が終わるころには、午後の日差しが店の床を細長く照らしていた。
二度目の試験では、五人がそれぞれ一枚ずつ銅片を服へ留めた。
ミアは自分の胸元を確かめたあと、窓辺のルクスへ目を向ける。
机にはもう銅片が残っていない。
それでも少し考えたらしく、ルクスと自分の印を交互に見た。
白い鳥は、その視線だけで何を考えているのか察したようだった。
身体をほんの少し窓の方へ寄せ、明確に参加する気がないことだけを示す。
ミアは追いかけなかった。
「じゃあ、ルーちゃんは見ててね」
それには返事もなかったが、飛び去りもしなかった。
もう一枚の記像板が差し込まれる。
薄い光が店内を横切り、短い探査が終わった。
今度の肖像には、五人だけがゆったりと収まっていた。
香草鉢の姿はない。
ルクスもいない。
マルタは最初の一枚と二枚目を並べ、しばらく見比べていた。
失敗したと思って持ち込んだ道具が、壊れていなかった。
むしろ、頼んでもいないところまで律儀に仕事をしていたのである。
「これなら、客の家でも説明しやすいわ」
彼女は指定銅片を一枚つまみ、満足そうに笑った。
「写りたい人に持ってもらう。それなら誰を残すか、最初から人が決められるもの」
夕方近く、マルタは調整された映姿板を木箱へ戻した。
二度目の記像板も一緒にしまう。
一枚目だけは手元へ残し、ミアへ差し出した。
「これは試験のお礼。よかったらもらってくれる?」
ミアは両手で受け取った。
そこには五人と、香草鉢と、ルクスがいる。
出来のいい肖像とは言いにくい。
人間は小さく、鉢植えは妙に立派で、ルクスに至っては本人の希望を一度も確認されないまま同じ一枠へ収められている。
それでもミアには、その不揃いさが気にならないらしかった。
「ここにいたの、みんないる」
そう言って、昨日の風見鶏の隣へ一枚を留めた。
マルタが帰ったあと、夕方の店には二枚の紙と板が並んだ。
大きすぎる風見鶏。
小さすぎる家族。
その横で、香草鉢と同じ幅を与えられた白い鳥。
扉が開くたびに入る風が風見鶏の紙を揺らし、記像板の表面には斜めの光が滑った。撮像の魔法はとうに終わっており、残っているのは定着した像だけだった。
フィンは前を通るたびに口元が緩むのを我慢し、エルナも本を取りに来たついでに何度か足を止めた。
ミアだけは飽きもせず、板の中と窓辺の本人を見比べている。
やがて夕食の匂いが居間から漂ってきたころ、ルクスもようやく自分の肖像へ顔を向けた。
鉢植えの隣で澄ましている白い姿をしばらく眺める。
そして、そこへ残っていること自体は否定しないまま、いかにも不満そうに目を細めた。
「板が数えるものと、残したいものは別だ。……俺は香草と同格で写るためにここにいるんじゃない」




