第7話 七枚目はまだ鳴らない
星冠暦826年・実成月18日・火耀日
朝の居間で、ミアは昨日までより少しだけ行儀よく散らかっていた。
紙は床ではなく机の上にあり、色鉛筆も使うぶんだけが手元に並んでいる。使い終えた一本は、昨日壁へ吊ったばかりの「おえかきのおうち」へ戻す。
六つの不揃いな袋を持つ古い小物掛けは、二日目にしてすっかり居間になじんでいた。
もちろん、片づけを覚えたのは小物掛けではなくミアの方である。
それでも一本戻しては次を取る姿を見ていると、道具にも新しい役目が板についてきたように見えた。
午前のうちに、ミアは二枚の小さな絵を描き上げた。
一枚は風見鶏だった。
赤い屋根の上で、実物よりずっと大きな鳥が胸を張っている。その周囲には黄色い点がいくつも散らされ、数日前に庭で歩き出した光の風見鶏を思わせた。
もう一枚には、夏の日差しを浴びる緑色のトカゲが描かれている。
大きな石。
大きな太陽。
その隅には、白い鳥も一羽いた。
トカゲより、かなり小さい。
窓辺で羽を休めていたルクスは、差し出された二枚を順に眺め、二枚目で視線を止めた。
「ルーちゃんもいるよ」
ミアが白い鳥を指さす。
ルクスは絵を見た。
ミアを見た。
もう一度、絵の中の自分らしきものを見る。
白い翼の先が、わずかに動いた。
「かわいいでしょ?」
返事はなかった。
ルクスは静かに窓の外を向いた。
昼前、ミアは二枚を抱えて店へ行った。
店の窓辺には、通りからもよく見える小さな空きがある。そこへ昨日使った木の挟み具で絵を留めたいらしい。
ところが、二枚並べてみると少々窮屈だった。
風見鶏を前にすればトカゲの頭が隠れ、トカゲを前にすると今度は風見鶏が半分ほど食べられたようになる。
工房から出てきたオスカーも眺めてから首を振った。
「一枚ならきれいに見えるな」
ミアは右手の風見鶏を見た。
左手のトカゲを見る。
もう一度、右を見る。
しばらくそうしていたが、答えは出なかった。
そこでエルナとフィンにも聞いたところ、見事に意見が割れた。
エルナは風見鶏。
フィンはトカゲ。
理由を尋ねれば、エルナには「店の窓から見やすいから」という答えがあり、フィンには「俺はこっちが好きだから」という答えがあった。
どちらも選ぶ理由としては十分である。
それがかえってミアを悩ませた。
「みんなできめる」
結局、それがミアの出した答えだった。
午後、保健院の仕事を終えてリディアが帰ってくると、二枚の絵はまた居間の机へ戻された。
離れにいたアルノまで呼ばれ、六人と一羽がそろう。
ルクスだけは呼ばれて来たわけではない。
朝から何度か場所を変えながら、たまたま今も窓辺にいるだけ――少なくとも本人としては、そういうことなのだろう。
事情を聞いたリディアが二枚を見比べた。
「それで、みんなで選ぶのね」
「とうひょうする!」
新しく覚えた言葉が気に入ったらしく、ミアは嬉しそうだった。
それを聞いたオスカーが、何か思いついた顔で工房へ消えた。
戻ってきた手には、掌二つほどの木の板がある。
左右に一つずつ丸い感応域が刻まれ、その上には小さな金属片が取り付けられていた。続いて机へ置いたのは、同じ形をした七枚の銀色の薄片である。
「釣合い響盤だ」
工房では、同じ魔力印を左右へ分けて置き、どちらの反応がどれだけ強いか比べるときに使う。
銀色の計数片には一枚ずつ同じ弱さの反応印が固定されている。響盤の感応域へ入ったときだけ、その印を小型蓄魔石から生じる検査用の場が拾う仕組みだった。
左の合計が強ければ低い音。
右が強ければ高い音。
同じなら両方がほとんど一緒に鳴る。
響盤に分かるのは、それだけだ。
誰が置いたのかも、何を選んだのかも知らない。
「手を挙げた方が早くない?」
エルナが言った。
「早いな」
オスカーはあっさり認めた。
「じゃあ何で出したの?」
「こっちの方が面白い」
フィンが大きくうなずき、ミアはそれ以上に大きくうなずいた。
採用された。
響盤がするのは音を鳴らすことだけで、計数片を動かす力はない。中央の細い溝へ触れれば止まり、放っておいても一定時間で切れる。
オスカーが起動している間だけ使うことにして、二枚の絵が左右へ置かれた。
風見鶏とトカゲ。
六人は一枚ずつ、自分が選んだ側へ計数片を置いていった。
オスカーとエルナは風見鶏。
リディアとフィンはトカゲ。
長いこと悩んだミアは、最後には風見鶏の側へ置いた。
アルノは二枚をじっくり見比べた末、トカゲを選ぶ。
「この白い鳥の大きさが、なかなか味わい深いからの」
窓辺で羽が一度だけ揺れた。
ルクスは外を見たままだった。
六枚目が置かれた瞬間、低い音と高い音が重なった。
三対三。
響盤にとっては勝ちでも負けでもない。ただ左右から拾う反応が、きれいに同じになっただけだった。
ミアは三枚ずつ並んだ銀片を数え、首を傾げた。
その視線が、机の端で止まる。
七枚目。
オスカーが最初から用意していた最後の一枚だけが、まだどちらにも置かれていない。
ミアはすぐに窓辺を見た。
「ルーちゃん、まだだよ」
白い頭は動かなかった。
「かざみどりと、トカゲ。どっち?」
やはり返事はない。
ミアは七枚目を手に取り、ルクスの近くへそっと置いた。
「これ、ルーちゃんの」
そこでようやく、金色がかった目が銀片へ向いた。
ルクスはそれを眺め、ミアを眺めた。
どう考えても関わりたくない、という顔をした。
そして翼の端で銀片を払った。
薄い片は机の上を滑り、そのまま右側の感応域へ飛び込んだ。
響盤から、高い音が一つ鳴る。
ミアの顔が輝いた。
「トカゲ!」
その言葉に、ルクスの頭が勢いよく上がった。
今のは違う。
少なくとも、その顔だけで十分にそう分かった。
ルクスは嘴を伸ばし、右側へ入ってしまった銀片を押し出した。
ところが少し勢いがつきすぎた。
銀片は中央を越え、そのまま左の感応域へ滑り込む。
今度は低い音が鳴った。
ミアが笑い出す。
「かざみどり!」
「違う」
とうとうルクスが言った。
一言だけだった。
それでも、そこから先は余計におかしくなった。
右へ入ればトカゲ。
左へ入れば風見鶏。
響盤はルクスの事情など知ったことではなく、銀片が感応域をまたぐたび、その時点の反応差だけを律儀に音へ変える。
ルクスも、どちらかへ票を入れたいわけではない。
自分が勝手に選んだことにされるのが嫌なだけである。
その結果、七枚目だけが机の上を行ったり来たりし、低い音と高い音が交互に響くことになった。
ミアはすっかり楽しくなってしまい、銀片が動くたびに風見鶏とトカゲの名前を口にする。
フィンは途中から顔を伏せて笑い、エルナも耐えきれず肩を震わせていた。
オスカーまで笑っている。
最後にはルクスが片脚で銀片を押さえ込んだ。
場所は二つの感応域の間にある細い空白。
どちらからも反応を拾われないところだった。
響盤が、ようやく黙る。
ルクスは勝ち誇るでもなく、ただ深く疲れたように目を細めた。
「ルクスが選びたくないなら、別の決め方にしましょうか」
リディアは笑いながらも、無理に銀片をどちらかへ置かせようとはしなかった。
ミアも少し考えてからうなずく。
どうしても七人目が決めなければならないわけではない。
六人で相談し直してもいいし、日によって入れ替えてもいい。
そう話がまとまりかけたころだった。
ルクスの脚が、わずかに動いた。
押さえていた銀片が、ほんの少しだけ滑る。
今度は勢いなどついていなかった。
机の木目の上をまっすぐ進み、左側の丸の中へ入ったところで止まる。
低い音が、一度だけ響いた。
偶然にしては、あまりにきれいな位置だった。
誰もすぐには何も言わなかった。
ミアだけが、嬉しそうに口元をゆるめた。
ルクスはすでに窓の外を見ている。
さっきまで散々動かしていた銀片も、もう押し戻そうとはしなかった。
こうして午後の店先には、風見鶏の絵が一枚飾られた。
木の挟み具に留められた小さな紙は、客が扉を開けるたびに入り込む風でかすかに揺れた。
立派な看板でも、店の品物でもない。
けれど黄色い点に囲まれた大きな風見鶏は、風見鶏通りの魔法具店には妙によく似合っていた。
選ばれなかったトカゲの絵も、ミアにとっては失敗作ではなかった。
夕方になると居間へ持ち帰り、壁の「おえかきのおうち」の前でもう一度広げる。
しばらく考えてから、灰色の色鉛筆を一本取り出した。
絵の隅にいた白い鳥の輪郭を、少し外へ描き足す。
翼を大きくする。
胸も少し広げる。
足元のトカゲはそのままなので、白い鳥は朝よりずっと目立つようになった。
それでも、ほんの少しだけトカゲの方が大きい。
ミアは出来上がった絵を窓辺へ持っていった。
ルクスは一度だけそれを見た。
朝より大きくなった自分らしき白い鳥を見て、それから何事もなかったように翼を整える。
けれど夕食の匂いが居間へ流れてきても、絵のそばから飛び去ろうとはしなかった。
「同数なら、最後の一枚が決まるまで騒ぐな。……俺をトカゲより小さく描いた方へ入れるほど、物好きじゃない」




