第78話 葉の裏から来た金色
星冠暦826年・紅葉月28日・水耀日
午前の庭で、アルノは一枚の落ち葉を拾った。
離れから母屋へ向かう石畳に、手のひらほどの茶色い葉が伏せていた。縁は一か所欠け、表には淡い色の斑がある。何気なく裏返すと、中央の太い筋から左右へ伸びる細い筋が、思いのほかくっきり浮いていた。
「ほう」
葉を日差しへ傾ける。盛り上がった筋の片側に、ごく細い影ができた。傾きを変えるたび、見える筋と見えない筋が入れ替わる。
離れの地下研究室なら、拡大して詳しく調べることもできる。だが、アルノがそのとき考えたのは、葉脈の仕組みではなかった。この枝分かれを、平らな紙の上でも見てみたい。しかも、葉の裏へ墨を塗るようなことはせずに。
あまりに薄い葉だから、強く押せば裂けてしまいそうだった。
アルノは柄のあたりをつまみ、母屋の工房を覗いた。
「オスカー君。触れたところへ、弱い光を移す術式板があったじゃろう」
「ありますよ。接触光痕の試験用ですけど、何か?」
「これの裏の筋を、紙へ写してみたいんじゃ」
オスカーは差し出された葉を眺め、棚から小さな術式板を取り出した。
「実成月に木の花で試したものですね。最初につけた光が、触れた先へ少しずつ移ります。転写するたび薄くなって、十五分ほどで消えますよ」
「それがよい」
「残らなくても?」
「うむ。今見えれば、それでよい」
オスカーは少し笑った。ずっと保存したい記録があるかと思えば、消えると聞いて嬉しそうにする。研究者としてのアルノには、そういうところがある。
「それなら、子どもたちが帰ってからやりましょう。場所を空けて、余計なものへ転写しないようにします」
「急ぐ必要もないしのう」
アルノは葉を離れの地上階の居室へ持ち帰った。机に何も重ならない場所を作り、風が当たらないよう窓を少し閉める。研究紙を広げても、目はときどき葉の方へ戻った。まだ光らせてもいないのに、午後が少し楽しみだった。
学院を終えたエルナとフィンが帰ってくると、アルノは二人へ葉を見せた。玄関脇の一枚背板へ鞄を預けたばかりのフィンは、裏側の筋を覗き込む。
「これ、光で写すの?」
「うむ。オスカー君に道具を借りるんじゃ」
「どんな道具?」
「木の花で試した、触れたところへ金色が移るやつじゃ」
フィンは自分の肘を見た。
「ああ! あれか。俺の肘にもついたんだよな」
「私の本にもついたよ。知らないうちにね」
エルナが笑う。あの日は木の花から布巾へ、食卓へ、手へと光が渡っていった。フィンもつられて笑いかけ、それから葉に伸ばしかけた指を引っ込めた。
「今日は、先に置く場所を決めておくんだな」
「そうじゃな。わしらが先に気をつけねばならん」
間もなく、ミアを迎えに行っていたオスカーが戻った。居間の大机から本や水差しを片づけると、ミアも使っていた紙を「おえかきのおうち」へ戻し、手伝いのつもりで椅子を一つ引いた。
「おじいちゃん、はっぱのおえかき?」
「絵になるかどうかは、やってみてのお楽しみじゃ」
「ミア、みる!」
大机には、光痕をつけるための木板と、白い紙を置くための別の平板が並べられた。白い紙の端は普通の挟み具で留め、ずれないようにしてある。二つの板の間には、葉を動かす手が十分通る隙間を空けた。
オスカーが術式板を手元へ据える。
「熱も、物を動かす力も出ません。でも光が残っている間は、触れた先へ移ります。木板も紙も、消えるまでは勝手に触らないこと」
「わかった!」
ミアは椅子に座り、両手を膝へ置いた。フィンとエルナもその後ろから覗く。ルクスは窓辺で羽づくろいを止めたが、そこから動こうとはしなかった。
オスカーが起動すると、木板の指定面に淡い金色が広がった。アルノは葉の柄を小さな木の挟み具で支え、裏側を下にして、光る面へそっと降ろす。
葉全体を押しつけることはしなかった。筋の盛り上がった部分だけが、板へところどころ触れる。
持ち上げて裏を見ると、中央の太い筋と、そこから延びる何本かに弱い金色が移っていた。触れなかった細い筋は、茶色いままである。
「ぜんぶじゃない!」
「そうじゃ。葉の形を知って選んでおるわけではない。板に触れたところだけじゃな」
アルノは柄を支えたまま、もう一方の平板へ葉を運んだ。オスカーが紙の端の留まり具合を確かめてから頷く。葉の裏を白い面へ静かに降ろし、少し待って持ち上げる。
そこには金色の筋が残った。
中央から右へ二本、左へ三本。途中で細く切れたものもあれば、ほんの点にしかならなかったものもある。元の葉と並べれば足りない筋が分かるのに、紙だけを見ていると、不思議とひとつの形に見えた。
「きんいろの、えだ!」
ミアの声が弾む。
「細い道みたいにも見えるな」
フィンが右側の短い筋を見つめた。
「こっちへ行って、途中で終わり。戻るなら真ん中の道?」
「紙の上なら行き止まりでも、葉にはその先があるよ」
エルナは元の葉へ目を移した。角度を変えれば見える筋が、紙には写っていない。
「でも、その欠けたところも面白いね。全部を写したわけじゃないから」
アルノは金色の線を眺め、目を細めた。
「思うたほど細かくは出んかったのう」
「もう一度、今度は少し強く押します?」
オスカーが尋ねると、アルノは首を振った。
「いや、これでよい。葉を破ってまで揃えることもあるまい」
使用した木板は紙から離して置き、葉も何にも触れないように支えた。余った光痕をほかへ移さないためだ。紙の上では、金色が少しずつ淡くなっている。
エルナが椅子を引き寄せた。
「今なら普通の筆でなぞって、残しておくこともできるね」
「そうじゃな」
「おじいちゃんは、残さないの?」
「今日は、こっちが消えていくのを見ようと思う」
答えると、アルノも椅子に腰を下ろした。ほかの誰かが原因を調べたり、直したりする必要はない。道具は初めから決められたとおりに働いている。
窓の外で、風見鶏通りを荷運車が通り過ぎた。低い車輪の音が遠ざかるころ、紙の右端にあった点が見えなくなった。ミアは声を出さずにエルナの袖を引き、その場所を指さす。
「そこ、消えたね」
エルナも小さく頷いた。フィンは最初に道だと言った線を追っていたが、いつの間にか途中の曲がり角を見失っている。
「さっきは、ここに曲がり道があったんだけどな」
「残っている方だけ見ていると、また違う形じゃのう」
アルノはそう言っただけで、新しい線を足そうとはしなかった。
金色は細い方から消え、最後には中央の太い筋も、白い紙へ溶けるように薄れていった。ミアは息を詰めて見つめ、完全に消えたところで長く吐いた。
「なくなっちゃった」
「うむ」
アルノが、光痕の消えた葉を裏返して見せる。先ほど紙へ写らなかった筋まで、窓からの夕日に細い影を落としていた。
「でも、葉はまだここにあるぞ」
ミアは葉と白い紙を見比べた。フィンも覗き込み、さっき「道」と呼んだ筋の続きを見つける。エルナは二人の指が触れないよう少し離れたところから、その先を目で追った。
オスカーが木板と葉と紙を確かめ、術式の光がすべて消えていることを確認した。板と術式板は工房へ戻し、白い紙もほかへ光を移さないことが分かってから、元の束へ重ねた。今日の金色は、どこにも残っていない。
アルノは葉を庭へ持って出た。元の木がどれかも分からない一枚なので、標本にするつもりはなかった。石畳の端の乾いたところへ置くと、茶色い葉は夕方の庭にすんなり紛れた。
ミアは縁へしゃがみ、そっと手を伸ばしかけた。けれど、そのまま膝へ戻す。もう魔法は消えていたが、乾いた葉を無理に触らなくても、裏の筋は見える。
窓辺のルクスが、片翼をわずかに緩めた。さっきから見ていたのか、今気づいたのかは分からない。アルノが庭から戻ってくると、白い頭だけをこちらへ向ける。
「もう金色は消えたんだろ。……なら、その葉まで慌てて触るな。せっかく無事に残ったんだからな」




