↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
風見鶏通り17番地、今日も魔法日和  作者: リタイアルーキー


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
77/87

第77話 緑の一枚を挟む場所

 星冠暦826年・紅葉月27日・火耀日

 朝、エルナは読みかけの本を閉じる前に、手元の控え紙を一枚、栞代わりに挟んだ。

 細い紙の片面には、登校前に確認していた数式の途中が残っている。試しに本を開き直すと、物語の続きが気になる場所のすぐ隣へ、何の関係もない数字が顔を出した。

「これじゃ、本を開いても学院にいるみたい」

 つい独り言をこぼすと、朝食の皿を運んでいたフィンが振り返った。

「姉ちゃん、本にまで勉強の紙を入れてるの?」

「栞にしただけ。ちょうど細かったから」

「それで、そこにも計算があるんだ」

「あるね……」

 否定できない。エルナは控え紙を本から抜き、鞄の筆記具入れへ戻した。今日は学院からの帰りに、ちゃんと栞を一枚選んでこよう。好きな本を読むためだけの、何も書いていない紙がほしかった。

 放課後、西工房区の通りへ出ると、石畳の上を乾いた風が流れていた。荷運車が低い駆動音を残して過ぎ、店先の布看板が短く揺れる。エルナはいつもの帰路から一つ角を曲がり、トビアス・ヘルンの紙店へ向かった。

 展示窓はよく澄んでいた。以前、透光護膜を整え直した窓だ。中には色と厚さの異なる紙が幾列にも並び、秋の光を受けている。

「こんにちは」

「おや、エルナさん。今日は何を探しているんだい?」

「本に挟む、細い紙を一枚。あまり派手じゃない色がいいんです」

 トビアスは店内の浅い棚から、小さな見本束を出した。淡い灰色、青みのある白、黄色がかった薄茶。その奥に、くすんだ緑色の紙もある。

 エルナが緑の一枚をつまんだところで、入口の方に人影が差した。

 肩までの茶色い髪を後ろでまとめた女性だった。腕には、まだ表紙のついていない紙の束を抱えている。

 エルナは顔を見て、思わず背筋を伸ばした。

 収穫月に学院の授業へ来てくれた製本職人、ニーナ・ロートだ。

 ニーナもエルナへ目を向けた。エルナは相手の正面へ身体を向け、あの日教わった短い挨拶を、ゆっくり手で示してみる。細かな形にはまだ自信がない。けれどニーナは笑顔になり、同じ挨拶を返してくれた。

 エルナは嬉しくなって、危うく話し始めるところだった。代わりに会釈をすると、ニーナも軽く頭を下げ、抱えていた紙束をトビアスへ見せた。

 トビアスはニーナと目を合わせ、筆記具と小さな紙片を差し出した。ニーナが必要な紙の厚みと大きさを書くと、店主は棚の二か所から見本を取り出した。仕事の用件らしい。エルナは自分の一枚を選ぼうと、少し脇へよけた。

 トビアスは二人から見えるよう、卓の中央を手で示した。

「よかったら、ここで比べてみて」

 そこへ置いたのは、掌二つほどの小さな見本台だった。表面に浅い印が二組あり、縁には小型蓄魔石と停止片がついている。

「薄い紙を重ねて見るためのものなんだ。手で持つと、どうしても片方が傾くからね」

 彼は見本紙の端についた試し用の印を、一組ずつ台の印へ合わせた。起動すると二枚の紙は卓から指一本ほど浮き、わずかな高さの差を保って静止した。枠の中で支えるのは印のついた端だけ。紙の種類も、どちらを選ぶべきかも道具は判断しない。

 窓からの光が二枚を通り、台の面へ淡く落ちた。一枚だけなら明るい。重なったところは色が少し深くなる。手を離しても重なり具合が変わらないので、横からも上からも見比べられる。

 ニーナは紙の束を卓に置き、浮いた二枚の下へ持参した紙の端を差し入れた。どの色が下の文字を透かすか、表紙として重ねたときにどう見えるかを確かめているようだった。

 エルナも緑の紙を別の見本と重ねてみたくなった。トビアスは停止片へ触れ、最初の二枚が台へ降りたのを確かめてから見本を入れ替えた。緑と薄茶の紙の端にある試し用の印を、それぞれ台の印へ合わせて再び起動すると、二枚は先ほどと同じ間隔で浮いた。

「上からだと、緑の方がずいぶん濃く見えますね」

「重なれば光が通りにくくなるからね。横からなら、別々の紙だと分かるでしょう」

 少し屈んで覗くと、確かに二枚の間には細い隙間があった。魔法は紙を選んでいるのではなく、同じ位置関係を保っているだけだ。その間を通る光の見え方を、エルナとニーナがそれぞれ別の目的で見ている。

 トビアスが停止片へ触れると、紙は台へ静かに戻った。ニーナは見本を受け取り、指で端をそっと曲げてから戻した。それからエルナの緑の紙へ視線を向ける。

 エルナは片手を開き、もう一方で本の頁をめくる真似をした。栞にしたいのだと伝わっただろうか。ニーナは少し考え、小さな紙片へ短い言葉を書いた。

『角が尖っていると、頁や鞄に引っかかることがあります』

 続けて、見本紙の角を一つだけ緩く丸める形を、指先で示す。紙を切らずに折り込むやり方だった。エルナはその手元を見てから、ニーナの顔へ視線を戻した。

「ありがとうございます」

 今度は短い挨拶ではない。エルナは礼を言って会釈した。ニーナは微笑み、トビアスが差し出した紙へ選んだ品の数量を書き始めた。仕事の続きへ戻る横顔は、学院で見たときよりずっと身近なものに感じられた。

 エルナは緑の紙を一枚買った。細長く切り揃えてもらい、角だけは自分で折るつもりで、そのまま受け取る。ニーナは別の厚い紙を買い、包んでもらっていた。二人の買い物は同じ卓で始まったが、最後に手へ残ったものは全く違った。

 トビアスは使い終えた紙見本を束へ戻し、停止済みの見本台を棚へ片づけた。

 エルナが戸口で振り返ると、ニーナがこちらを見ていた。学院で見せてもらった別れの挨拶を、覚えているところまで手で示してみる。ニーナの返事を最後まで見てから、店を出た。

 *

 家へ帰るころには、庭へ差す光が少し橙色になっていた。

 エルナは玄関の背板へ鞄を預け、居間で本を開いた。買ってきた緑の紙は頁の高さより少し長い。端がちょこんと顔を出すのが、なんだか嬉しい。

「おねえちゃん、なにそれ?」

 幼年学舎から帰っていたミアが、机の向こうから覗き込んだ。

「栞。どこまで読んだか分かるように、本に挟む紙だよ」

「みどりのおみみ!」

「本の耳、かな」

 ミアは指先で触ろうとして、一度手を止めた。

「さわっていい?」

「いいよ。まだ挟んでないから」

 エルナは紙を手渡した。ミアは両端を見比べ、尖った角へ小さな指を当てる。エルナは紙店でニーナが見せてくれた形を思い出し、一方の角を薄く内側へ折った。もう一方も同じようにする。

「まるくなった!」

「ほんの少しね」

 ミアはしばらくその形を眺めてから、ぱっと顔を上げた。

「ミア、ちいさいまる、かいてもいい?」

「一つだけなら」

 居間の壁の「おえかきのおうち」から色鉛筆を一本取り、ミアは紙の端へ小さな黄色い丸を描いた。大きな風見鶏でも、複雑な絵でもない。緑の端にぽつんと黄色い点が一つ。

「これで、わかる!」

「何が?」

「おねえちゃんの!」

 エルナは笑った。店で買ったばかりの紙が、黄色い丸一つですっかり自分の栞になったように見えた。

 本を開いて、今夜読み始めたい頁を探した。緑の紙を挟もうとしたとき、窓の隙間から入った風が端を持ち上げた。

「あっ」

 栞は机を滑り、窓辺へ向かう。エルナが手を伸ばすより先に、そこにいたルクスの片脚がすっと下りた。

 緑の紙はその脚の下で止まる。黄色い丸だけが、脚の外へ少し覗いていた。

「ルーちゃん、つかまえた!」

 ミアが喜ぶ。ルクスは答えないまま、目だけをエルナへ向けた。エルナがそっと紙の端を持つと、脚はすぐに離れた。

「ありがとう、ルクス」

 返事はなかった。

 エルナは今度こそ栞を本へ挟み、そっと閉じた。緑の端と小さな黄色い丸が、頁の上から少しだけ覗いている。朝の数式は、もうそこにはなかった。

 ルクスはその一枚をしばらく見下ろし、それから何事もなかったように翼を畳んだ。

「その一枚は、もう逃がすなよ。……俺の脚より、本の中の方が落ち着くだろう」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。