第73話 六枚ぶんの金耀日
星冠暦826年・紅葉月23日・金耀日
金耀日の夕方、ミアは玄関で靴を脱ぐなり、両手をぱん、と打ち合わせた。
「おしまい!」
花鈴幼年学舎へ迎えに行ったオスカーが、後ろで戸を閉めながら笑う。
「何が終わったんだ?」
「きょうの幼年学舎! あしたとあさってはおやすみ!」
「そうだな。まず鞄を戻してこい」
「うん!」
ミアは玄関脇の一枚背板へ鞄を預け、もう一度手を叩いた。今度は少し強く、ぱん、と鳴る。
居間では先に帰っていたフィンが帳面を閉じるところだった。妹の拍手に顔を上げ、首を傾げる。
「何かできたのか?」
「きょうがおわったおと!」
「学校は終わったけど、まだ夕飯も食べてないぞ」
「じゃあ、夕飯のおとは?」
「皿とか鍋とか……母さんが呼ぶ声とか?」
フィンが指を折って数えると、ミアはどれにも首を横へ振った。
「ミアがならすのがいい」
「自分で?」
「うん。おしまいって、わかるおと!」
フィンは机を指で一度叩いてみた。こつん、と乾いた音がする。ミアも真似をしたが、満足できないらしい。
そこへ工房からオスカーが顔を出した。
「音なら、作らなくても使えるものがあるぞ」
持ってきたのは、左右に丸い感応域を持つ木製の釣合い響盤と、銀色の計数片七枚だった。ミアの風見鶏の絵を店先へ飾るとき、家族が投票に使った道具である。
「あっ、それ!」
フィンが笑った。
「ルクスの一枚が、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしたやつだ」
窓辺にいたルクスの羽づくろいが止まる。白い頭がこちらを向いたのは一瞬だけだった。
「今日は投票じゃないぞ」
オスカーは響盤を机へ置き、計数片を一枚持ち上げた。
「こいつは左右に入った反応印の数を比べる。左が多ければ低い音、右が多ければ高い音。同じなら、二つがほとんど一緒に鳴る。それだけだ」
「じゃあ、置く順番を変えたら、違う音になるね」
そう言ったのは、ちょうど帰宅して鞄を片づけたエルナだった。オスカーがうなずく。
「響盤が歌を覚えるわけじゃない。順番はこっちが決めるんだ」
ミアは机を囲む家族を数えた。自分とフィンとエルナ、それからオスカー、台所にいるリディア、離れのアルノ。六人で六枚。
「みんなで、ひとつずつ!」
七枚目まで誰かの分にしようとは言わなかった。オスカーが残りの一枚を小箱へ戻すと、ルクスはまた羽へ嘴を入れた。
机の上を空け、オスカーが中央の停止溝を指さす。響盤は計数片を動かす力を持たず、止めたいときにはここへ触れればいい。皆が手を引いていることを確かめてから、起動した。
「ミアから!」
小さな指が、左の丸へ一枚を置く。
ぽん、と低い音。
「じゃあ俺、こっち」
フィンが右へ一枚置くと、今度は低い音と高い音がほとんど同時に響いた。
「ふたつ!」
「同じ数になったんだよ」
エルナが右へもう一枚置く。高い音だけが、すっと鳴った。
低い音。二つの音。高い音。
たった三枚で、ミアの膝が勝手に弾み始める。
「もういっかい!」
「まだ続きがあるよ」
エルナが言うのとほぼ同時に、リディアが台所から顔を出した。
「楽しそうね。何をしているの?」
「金耀日のおしまいを、みんなでならすの!」
「あら。私も入れてくれる?」
「もちろん!」
リディアは左へ一枚置いた。二対二になった響盤から、二つの音が重なる。
「おしまいというより、何か始まりそうね」
リディアが笑うと、オスカーも左へ一枚を置いた。低い音が一つ鳴る。
「あと、おじいちゃん!」
「呼んでくる!」
フィンが立ち上がった。オスカーが母屋から離れへ声を送る継声石の方を見る。
「ここから呼んでもいいぞ」
「すぐそこだし、俺が行くよ」
フィンは庭へ出て、離れの扉を叩いた。話を聞いたアルノは少し不思議そうな顔をしたものの、すぐに一緒に戻ってきた。
「金耀日を音にするのか。面白そうじゃのう」
「おじいちゃん、さいご!」
アルノが右へ一枚を置く。左右は三対三。低い音と高い音が重なった。
六人が一枚ずつ置き終えると、ミアは両手を広げた。
「できた!」
「でも、全部置いたら終わりだぞ」
フィンの言葉に、ミアは六枚の銀片を見つめた。まだ音を聞きたい。けれど、残っている七枚目を誰かへ渡す必要もない。
「動かしたら、どうなる?」
「試してみる?」
エルナが笑った。
フィンは右に置いた自分の一枚へ手を伸ばした。
「じゃあ、左へ移すぞ」
右の丸から取り上げた瞬間、数は左三枚、右二枚になり、低い音が鳴った。その一枚を左へ置くと、左が四枚になって、また低い音が鳴る。
ぽん、ぽん。
「二回!」
「そうか。取ったときにも数が変わるんだ」
フィンが感心すると、リディアが左の一枚をそっと持ち上げた。一度、低い音。そのまま右へ移すと三対三に戻り、今度は低い音と高い音が重なった。
「同じ一枚でも、行く先で続きが変わるのね」
ミアはそれを聞いて、嬉しそうに両手を膝へ置いた。片を動かす順番は、皆で譲り合う。先の一人が終わるまで次の手は出さない。それなのに、音は前よりずっと賑やかになった。
高い音が鳴ればフィンが細い声で真似をし、低い音にはエルナがわざと太い声で返す。アルノまで真剣な顔で「ほう」と唸ったので、その声が響盤の低音より立派に聞こえた。
「じいちゃん、それは片がなくても鳴るだろ」
「わしは長年使っておるからのう」
フィンが吹き出す。オスカーも笑い、リディアは自分の一枚を動かす番が来ても、しばらくそのやり取りを眺めていた。
いつの間にか、ミアの言う「おしまいの音」は一つに決まらなくなっていた。低いのも、高いのも、重なるのも面白い。誰かが次を鳴らす前の短い静けさまで、待ち遠しい。
「ねえ、さいごは、ふたついっぺんがいい!」
ならば同じ数に戻そう、とエルナが言った。最後の一枚はミアに任せることにして、ミアの片だけをいったん机の端へ置き、残る五枚を左三枚、右二枚に並べ直した。途中でも音は鳴ったが、皆が手を引くと静かになる。ミアは自分の一枚を持ち上げ、空いている右の丸へ置いた。
低い音と高い音が、ほとんど同時に響く。
「おしまい!」
オスカーが中央の停止溝へ触れると、響盤は静かになった。七枚の計数片を数え直し、使わなかった一枚も含めて小箱へ収める。
ところが、片づけているあいだもミアの膝はまだ小さく弾んでいた。フィンが指で机を二度叩き、エルナが一度返す。アルノも負けじと低い声を出した。
「じいちゃん、それ反則!」
「響盤はもう止まっておるぞ」
リディアは笑いながら夕食の皿を並べに戻った。オスカーが響盤と小箱を工房へ運ぶあいだも、居間の音はなかなか途切れない。
窓辺のルクスは、最後まで銀片に触れなかった。いつの間にか家族の方へ向き直っていたが、ミアがもう一度膝を叩いても、そこから飛び去ろうとはしない。
「響盤は片づけたんだろ。……お前たちは、まだずいぶんよく鳴るな」




