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風見鶏通り17番地、今日も魔法日和  作者: リタイアルーキー


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第70話 角の丸い保温箱

 星冠暦826年・紅葉月20日・火耀日

 火耀日の朝、オスカーが居間の大机に目を向けると、昨日フィンとミアが使っていた小型照明魔法具が、まだ端に置かれていた。

 帳面も色鉛筆も片づけられている。窓辺の赤紫の花は朝の光を受け、また細く閉じていた。オスカーは照明が停止しているのを確かめ、工房へ持ち帰った。

「さて、こっちも片づけるか」

 工房へ照明を戻してから店に出ると、朝の空気には石畳の冷たさが少し混じっていた。店先ではミアの風見鶏の絵が、扉の隙間から入る風にかすかに揺れている。隣の古い記像板も、いつもの場所で光を受けていた。

 扉が開いたのは、そのすぐあとだった。

 訪ねてきた女性が、布に包んだ木箱をカウンターへ置いた。片腕で抱えられるほどの小さな箱だが、置くと底の金具がこつりと鳴る。

「中を温める方が、昨日から動かなくなったんです」

 布をほどくと、角の丸い保温箱が現れた。蓋は手のひらより少し大きく、表面には細かな擦り傷がいくつもある。片側の角だけは、ほかより色が薄くなるほど滑らかになっていた。

 オスカーは箱の内側を覗いた。薄い金属板と、小さな蓄魔石を収める溝がある。蓋の縁の接触印が合うと、金属板へ弱い熱が加わる仕組みらしい。

「まず状態を調べます。今日のうちに確認してみましょう」

「お願いします。買い替えた方が早いのかもしれないけれど……」

 女性の指が、色の薄くなった角に触れた。けれど、続きは言わなかった。

 オスカーも買い替える場合の値段を答えかけてやめた。まだ調べてもいないし、頼まれてもいない。修理できるかを先に確かめたいという相手の順番は、十分に筋が通っていた。

「まず、見てみます」

 女性はほっとしたように頷き、受取札を受け取った。箱を包んでいた布は畳んで持ち帰った。

 工房で箱を検めると、蓋の接触印はきちんと合っていた。蓄魔石にも試験に足りる魔力が残っている。問題は、そこから金属板へ続く導魔路だった。留め具が緩み、その下で導魔路の端がわずかに浮いている。

 オスカーは起動条件が成立していないことを確かめてから、蓄魔石を外した。緩んだ留め具を締め直し、導魔路を所定の位置に納める。壊れた部品を新しく作る必要はなかった。

 箱を閉じて試験すると、金属板がじわじわと温まった。出力は低いまま安定している。蓋を開けば魔力の供給が止まり、あとは板に残った熱がゆっくり引いていくだけだった。

 オスカーはその停止を確かめ、十分に冷めてから内側をもう一度見た。閉じる、温まる、開ける、止まる。もう一巡させても、動きは変わらない。

「うん。ここは大丈夫だ」

 修理は午前のうちに終わった。

 あとは受け取りまでに表面を拭いておこう。工房の棚から柔らかな拭き布を取り、蓋の周りをひと回りさせたところで、手が止まった。

 片側の角だけが、指にやさしく丸い。

 ほかの角と同じように形を整えれば、外見は揃うだろう。細かな傷も少しは目立たなくできる。だが、この角には割れもささくれもなく、危ないところはなかった。何より、表面の仕上げ直しを頼まれたわけではない。

 オスカーは布を置き、修理内容を書いた札を確かめた。

 直したかったのは、温まらなくなった中身の方だ。

 箱を受取棚へ収めると、滑らかな角は朝と同じ向きを向いていた。

 午後、店先を行き交う人影が長くなり始めたころ、女性が戻ってきた。今度は小さな女の子と一緒だった。少女はカウンターの上を見ようと、何度もつま先立ちをしている。

「直りましたか?」

「ええ。導魔路が留め具から少し浮いていました。今は温まりますし、蓋を開ければ給熱も止まります」

 オスカーは修理箇所を説明し、停止中の箱を台の上へ出した。それから女性の前で一度だけ起動させる。金属板が温まり、蓋を開けると魔力の供給が切れた。

「よかった」

 少女も箱に手を伸ばしかけたが、オスカーが穏やかに止めた。

「今はまだ中が温かいから、冷めるまで待ってね」

 小さな手が引っ込む。少女は代わりに、箱の片側の角をじっと見つめていた。

「そこ、気になる?」

「うん。わたし、そこがいいの」

 女性が笑った。

「小さいころから、私が持ってくるといつもその角に触るんです。つるつるしているでしょう」

 オスカーはあらためて角を見た。傷ではなく、何度も触れられた場所だったのかもしれない。少なくとも、少女が好んでいることは確かだった。

「外側は、汚れを拭いたくらいにしてあります」

「それで十分です」

 温度を確かめてから、オスカーは少女へ箱を少し寄せた。少女は迷わず、例の角に指先を置く。そのまま二度、小さく撫でてから顔を上げた。

「おんなじ」

 女性が声を立てずに笑い、オスカーもつられて口元を緩めた。

 支払いを済ませると、女性は朝と同じ布を鞄から取り出し、箱を包んだ。少女はその包みの脇へ寄り添い、女性に何か話し始める。店の扉が閉まると、二人の足音も少しずつ通りの音へ混じっていった。

 夕方、アルノに迎えられて花鈴幼年学舎から戻ったミアが、空になった受取棚を見つけた。祖父へ手を振ってから、店へ顔を出したところだった。

「パパ、ここにおはこあった?」

「今日はな。もう持ち主へ返したよ」

「なか、あったかいの?」

「温まるところを直したんだ」

「じゃあ、そとは?」

 オスカーは工房へ戻す工具を並べながら、少し考えた。

「外は、ほとんどそのまま。角が一つだけ、ずいぶん丸くなっていたな」

「まるいの、なおさなかったの?」

「そこは直すところじゃなかったんだよ」

 ミアは自分の指で机の角をなぞり、ふうん、と声を出した。それ以上は聞かず、居間へ戻っていく。エルナが本を開き、その向こうではフィンが今日の出来事を話していた。

 窓辺にいたルクスが、ミアの声に一度だけ頭を上げた。

 店先へ戻ると、斜めの夕日が床を照らしていた。ミアの風見鶏の絵はいつもの場所にあり、古い記像板にも柔らかな光が落ちている。

 オスカーは受取棚を拭き、使い終わった拭き布を畳んだ。居間の方ではミアの声にフィンの笑い声が重なった。何の話かまでは聞き取れない。それでも手を動かすあいだ、しばらく耳だけがそちらへ向いていた。

 直した箱も、それを持ち帰った二人も、もう見えない。仕事が一件終わり、店にはいつもの棚と、秋の夕方の光が残っていた。

 その棚の上へ、白い翼がふわりと降りた。

 ルクスは脚をそろえ、畳まれた拭き布を一瞥した。オスカーが顔を上げると、窓辺から来た白い姿は、わざとらしいほど平然と翼を畳む。

「箱は持ち主のところへ帰ったんだろ。……俺はまだ、どこへ行くとも言ってないぞ」


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