第62話 校庭の斜めの光
星冠暦826年・紅葉月12日・月耀日
朝食の席で、ミアはパンを持ったまま、ふと思いついたように尋ねた。
「きょうも、ろくさい?」
「うん。昨日六歳になったから、今日も六歳」
エルナが答えると、ミアは満足そうに頷いた。向かい側ではフィンが、食べ終えた皿を前にして窓の外を見ている。秋の空はよく晴れていた。
「今日は体育があるんだ。校庭、使えるといいな」
「走りたいの?」
リディアが聞く。
「うん。休み明けだし、身体を動かしたい」
「その前にお皿を下げてね」
「あ、はい」
勢いよく立ち上がったフィンを、窓辺のルクスが一度だけ見た。フィンが皿を両手で持ち直すと、白い頭はまた翼の間へ戻っていった。
*
午後のリーデン市立西門初等学院。校庭には、走ったあとの足跡と、乾いた土の匂いが残っていた。風は少し涼しかったが、日差しの下ではまだ汗ばむ。
体育の終わり近く、教員が布袋から掌ほどの木片を二枚取り出した。どちらにも細い刻みがあり、中央には小さな蓄魔石が埋め込まれている。
「最後は二人組で、向こうの白線まで移動してみよう」
「競走ですか?」
「競走じゃないよ。二枚の間に出る光を、消さずに運べるか試すんだ」
教員は近くの生徒に一枚を渡し、両方の起動部を指で押した。すると木片と木片の間に、淡い金色の線が生まれる。持ち手が動くたび、線は傾き、長さを変えた。
「組になる二枚には対応する印がある。一定の距離を超えると光が消え、近づけばまた灯る。人の名前も、進みたい方向も分からない。ただ二枚の位置に反応するだけだ」
教員が生徒へ少し離れるよう合図すると、伸びた光は途中でふっと消えた。二人が近づけば、同じ線が戻る。
「走らず、周りの組も見て歩くこと。離れたら立ち止まって、声を掛け合いなさい。白線に着いた組から戻ってきてね」
刻みの対応する木片が、一組ずつ配られていった。
フィンは今日組になった生徒と木片を一枚ずつ持った。起動部へ触れると、二人の間に細い光が伸びる。木片の位置を少し上げるだけでも、線は斜めになった。
「じゃ、行こうか」
「うん。あんまり先に行かないでね」
「大丈夫だって」
フィンはそう言って、大きく一歩を出した。
すうっ、と光が消える。
「……早いよ」
「ごめん。まだ一歩だったのにな」
「その一歩が大きいんだって」
相手が笑いながら近づく。金色の線は何事もなかったように戻った。
今度は歩幅を小さくして進む。二人とも相手の木片を見ながら歩いたから、線はほとんど伸び縮みしない。これならうまくいく、とフィンが思ったところで、教員の声が飛んだ。
「フィンたち、白線はそっちじゃないよ」
顔を上げると、二人は校庭を斜めに横切っていた。木片ばかり見ているうちに、目指す白線からずれていたのだ。
「こっちはすごく揃ってたのに」
「どこへ揃って行くかは別だったね」
二人が顔を見合わせると、近くの組から笑い声がした。そちらでは木片を高く掲げて光を頭の上に通している。もう一組は、光を消さないまま二人で後ずさりしていた。
「みんな、普通に歩けばいいのに」
フィンが言うと、相手はにやりとした。
「それ、さっき斜めに行ってた人が言う?」
「……そうだった」
向きを直して白線へ向かおうとしたところで、相手が足を止めた。
「ねえ。ちょっとだけ、場所を入れ替えてみない?」
「歩きながら?」
「そう。この光を消さないで」
足元を確かめると、近くの組は十分に離れている。フィンは頷いた。二人は互いを見ながら、同じくらいの距離を保って半円を描くように立ち位置を入れ替えた。最初は相手の木片が正面にあり、それが横へ移り、気づけば反対側へ回っている。
その間、金色の線は地面と平行なまま、ゆっくり向きを変えていた。
「できた!」
「もう一回、回れるかな」
「白線へ行ってからにしよう。先生が待ってる」
今度はフィンがそう言う番だった。相手が笑い、二人は元の進行方向へ向き直った。
あと少し進めば終点だったが、相手が途中でふと立ち止まった。フィンも足を止める。
「どうした?」
「それ、ちょっと高くしてみて」
フィンが木片を胸のあたりへ持ち上げる。相手の手は腰の高さにある。二枚の間を渡る光が、斜めに持ち上がった。
「あ、坂道だ」
「光だけの坂道」
相手が手を少し上げると、坂道は緩やかになった。さらにフィンの手より高く掲げると、光は反対向きに傾いた。
二人で上げたり下げたりしているうちに、傾きが何度も変わった。速く進もうとしていたことを、フィンはすっかり忘れていた。
校庭の隅では、乾いた葉が一枚、風に押されて石の縁を転がっていく。二枚の間の光は、風に吹かれずにまっすぐ伸びていた。
いつまでも眺めていたかったが、白線はもうすぐそこだった。相手が木片を元の高さへ戻したので、フィンも手を下げる。
白線までの最後の数歩は、並んで進んだ。どちらが先とも決めなかったが、金色の線は消えず、二人の間を行き来するように小さく傾いた。
白線を越えても、光は消えなかった。二人はそれを結んだまま教員のところへ戻り、木片を渡した。停止部に触れられた二枚の光は消え、ほかの組の木片と一緒に布袋へ収まる。
「結局、あんまり前へ進まなかったな。ぐるっと回ったりしたし」
フィンが言うと、相手は靴底の土を落としながら答えた。
「白線には着いたよ。俺はあの回るところが面白かったな」
「……うん。俺も」
フィンは校庭を振り返った。白線へ真っすぐ向かったところよりも、二人の間でくるりと向きを変えた光が、先に目に浮かんだ。
*
帰宅したフィンは、玄関脇の一枚背板へ鞄を預けた。隣には、先に帰っていたミアの鞄がある。三つの保持点のうち、自分の分だけが弱く背面を受けた。
居間からミアが顔を出し、フィンの姿を見つけると駆け寄ってきた。
「おにいちゃん、おかえり! きょう、はしった?」
「ただいま。少しは走ったけど、最後は二人で歩いたんだ。木の札を持つと、間に光が出るんだよ」
フィンが両手で空中に短い線を描いてみせると、ミアは目を丸くした。
「ひかり、もってかえった?」
「道具は学校で返したよ。ここにはないんだ」
少し残念そうにしたミアは、それでもすぐフィンの横へ並んだ。
「じゃあ、ミアとあるく。おへやまで!」
「すぐそこじゃん。……まあ、いいけど」
笑いながらもフィンは歩き出す。ミアは小さな歩幅でついてきた。一歩目は揃わなかった。フィンが少しゆっくりにすると、今度は二人とも同じところで足を止めてしまう。
居間の窓辺ではルクスが羽づくろいをしていた。二人がぎこちなく並んで来ると、白い頭がわずかに上がる。羽づくろいはそこで止まったが、本人は知らん顔のままだった。
「いち、に、いち、に」
ミアが小さく掛け声をかける。フィンは笑いを堪えながら、一歩ずつ進んだ。そこに光はないし、目的地まであと数歩もない。それでも二人で居間の敷居を越えると、ミアは満足そうに手を広げた。
「ついた! おにいちゃんといっしょ!」
フィンは笑いながら、たった数歩の道のりを振り返った。今度は誰の手にも木片はなく、二人の間にも光はない。
ルクスは二人の足元をもう一度見て、何でもないことのように言った。
「最後の一歩、ずれていたぞ」




