第60話 五つの灯りの夕方
星冠暦826年・紅葉月10日・土耀日
「ミア、あしたになったら、ろくさい?」
朝食の席でそう尋ねたのは、ミア本人だった。
パンへ果実煮を塗っていたリディアが顔を上げる。
「そうよ。明日が六歳のお誕生日」
「じゃあ、きょうは?」
「まだ五歳」
ミアは自分の両手を見た。
昨日と同じ十本の指がある。
「さいごの、ごさい?」
「そういうことになるわね」
ミアは少し考えたあと、嬉しいのか惜しいのか分からない顔でパンをかじった。
昼を過ぎても、そのことは頭に残っていたらしい。
庭から戻ってきたところで、フィンへ尋ねる。
「いまも、ごさい?」
「まだ五歳」
「よるは?」
「五歳」
そこへエルナが本から顔を上げた。
「寝て起きたら六歳。途中では増えないよ」
「おきたら?」
「六歳」
「おお」
ようやく境目が見えたらしい。
ミアは満足して、また庭へ戻っていった。
*
午後も遅くなったころ、ミアは工房の戸口から中を覗いた。
「パパ」
「ん?」
オスカーは作業台の上を片づけていた。
「ごさいのうちに、なんかしたい」
「ずいぶん広い頼みだな」
「ごさいのやつ」
「もっと広くなったぞ」
近くにいたフィンが笑う。
「五個なんかやれば?」
「ごこ?」
「石五個並べるとか」
ミアは真剣に考え始めた。
庭を見る。
工房を見る。
それから、棚の方を指さした。
「あかり」
そこには、工房で手元を照らすために使っている小型照明魔法具が収まっている。
「ごこ、つけたい」
オスカーも棚を見た。
「五つか」
「ごさいだから」
理由は、それだけだった。
「暗くなってきてからな」
「やった!」
「それと、置く場所はこっちで決める。勝手に触らないこと」
「うん!」
*
夕方。
空の青が薄くなり始めたころ、家族は庭へ出た。
オスカーが工房から小型照明魔法具を五つ運んでくる。
どれも掌に収まるほどの大きさで、小さな蓄魔石から淡い光を出す、いつもの仕事道具だった。
「前みたいに紙を基準にするのはやめよう」
エルナが言った。
「そうだな」
以前、同じ照明を庭で使ったときには、位置を決める基準紙そのものが風で動いた。
今日は庭へ続く石段の角を基準にする。
そこなら動かない。
オスカーとエルナが位置を確かめ、五つの照明を人の通る場所から外して、庭の開いたところを囲むように留めていった。
一つ目が灯る。
二つ目。
三つ目。
四つ目。
最後に五つ目。
「ごこ!」
ミアが指さした。
「そこは合ってる」
フィンも見上げる。
まだ夕空に明るさが残っているので、淡い灯りは昼ほど目立たなかった。
けれど日が傾くにつれ、一つ一つの光が庭の中ではっきりしてくる。
「それで、何するの?」
フィンが聞いた。
ミアは五つの灯りを順に見た。
「……みる」
「見るだけ?」
「だめ?」
「別に」
結局、しばらくは本当に見るだけだった。
五つの小さな灯り。
その下の石畳と庭土。
見慣れた場所なのに、明るいところと暗いところの位置がいつもと少し違う。
最初に気づいたのはエルナだった。
「ミア、足元」
「ん?」
ミアが下を見る。
「あ!」
地面へ、何本もの薄い影が伸びていた。
一つの身体を、違う場所から五つの灯りが照らしている。
右へ長く伸びる影。
左へ淡く落ちる影。
途中で別の影と重なり、太く見えるもの。
ミアが右手を上げた。
地面の影も一斉に形を変える。
今度は両腕を広げる。
「いっぱい!」
その場でくるりと回ると、影が庭の上を滑った。
「ごこある?」
「待て。重なってる」
フィンがしゃがみ込む。
「これ一つ。こっちが……二つ?」
エルナも覗き込んだ。
「あんたの影も入ってる」
「え?」
フィンが後ろへ下がる。
すると今度は、そのフィンからも何本もの影が伸びた。
「俺も増えた」
「増えてないから」
ミアが笑う。
フィンも自分の影を見回し、結局笑った。
そのころ、離れからアルノがやってきた。
「何をしとるんじゃ?」
「ごさい!」
ミアが答えた。
アルノは五つの灯りと、その下の孫たちを見た。
「説明になっとらんのう」
「今日まで五歳だから、五つだけ借りたんです」
オスカーが言う。
「なるほど」
アルノが灯りの中へ一歩入る。
白い髭の影まで、あちこちへ伸びた。
「じいちゃん、ひげもいっぱいある!」
フィンが吹き出す。
「増えとらん」
アルノが髭へ手をやる。
地面の髭もいっせいに動いた。
それを見て、エルナまで笑い出した。
少し遅れて庭へ出てきたリディアは、事情を聞くより先に、何本もの影を作っている家族を見渡した。
「あら。ずいぶん大勢ね」
「母さんまで言うのかよ」
フィンが笑った。
*
空が暗くなるにつれ、影はさらにくっきりした。
ミアは灯りの間をゆっくり歩く。
少し進むだけで、影同士が近づいたり離れたりする。
さっき二本に見えたものが一つへ重なり、今まで隠れていた影が別の方向へ現れる。
「いち、に……」
ミアが数え始める。
途中で首を傾げた。
「ごさいなのに、ごこじゃない」
「五つなのは灯りだからね」
エルナが言う。
「かげは?」
「ミアがどこに立つかで変わるよ」
ミアは一歩右へ動いた。
影の重なり方が変わる。
今度は左へ。
また変わる。
「ほんとだ」
そこで満足したらしい。
それ以上、影の数を五つへ合わせようとはしなかった。
アルノは石段へ腰を下ろし、リディアもその隣へ座った。
エルナは二人の近くで膝へ頬杖をつく。
フィンは自分の影をできるだけ長くしようと、庭の端を行ったり来たりしている。
オスカーも五つの照明を一度見回したあとは、腕を組んでその様子を眺めていた。
塀の上には、いつの間にかルクスもいた。
五方向から淡い光を受け、足元には白い身体とは反対向きの影がいくつも重なっている。
本人だけは、まるで気づいていないような顔をしていた。
ミアが五つの灯りを見上げる。
「パパ」
「ん?」
「あしたは、ろくこ?」
オスカーは一瞬だけ工房の方を見た。
灯りなら、まだある。
けれど、今日は五つだ。
「今日は五つでいいんじゃないか?」
ミアも頭上を見た。
一つ、二つ、三つ、四つ、五つ。
「うん」
それで話は終わった。
*
夕食の匂いが母屋から流れてくるころ、オスカーが声をかけた。
「そろそろ片づけるぞ」
「あといっかい」
「一回だけな」
ミアは五つの光の中へ立った。
今度は走らず、ゆっくり一周する。
影が伸びる。
重なる。
また離れる。
最初の場所へ戻ると、ミアは自分から足を止めた。
「おしまい」
オスカーが一つずつ照明を止めていく。
一つ消えるたび、庭の影も減った。
四つ。
三つ。
二つ。
一つ。
最後の灯りが消える。
庭には、夕空の残り明かりだけがあった。
照明は全部、工房へ戻された。
飾りも光も残らない。
母屋へ戻りかけたところで、ミアが一度だけ振り返る。
「きょう、まだごさい?」
「まだ五歳」
フィンが答えた。
「そっか」
ミアは満足そうに家へ入っていった。
最後まで塀に残っていたルクスは、誰もいなくなった庭と、消えた五つの灯りの跡を順に見る。
「影の方が多いなら、それでいいだろ。数まで灯りに合わせる必要はない」




