第59話 二度鳴る入口
星冠暦826年・紅葉月9日・金耀日
午後のクラウゼル魔法具店へ、平たい板を抱えた客がやってきた。
「壊れたかもしれないんだ」
作業台へ置かれた板は、両腕で抱えられるくらいの大きさだった。
厚みはそれほどない。
表面には何度も踏まれた擦れ跡があり、端には小さな蓄魔石と共鳴片が付いている。
オスカーは板を裏返した。
「どんな具合です?」
「人が通ると一度なのに、荷車だと二度鳴ることがある」
「いつも二度?」
「いや。一度のときもある。だから余計に分からなくてね」
入口へ置いて使う踏み知らせ板だった。
ある程度以上の重さがかかると、小さな音を一度出す。
奥にいても、誰かが入口を通ったことに気づける。
オスカーは板を作業台から床へ下ろした。
まず手のひらで押す。
何も鳴らない。
もう少し体重を乗せる。
ちん。
澄んだ音が一度した。
そのまま押し続けても、二度目は鳴らない。
手を離す。
もう一度押す。
ちん。
「ここは普通ですね」
「そうなんだよ。こうやって試すと普通なんだ」
客の方が困った顔をした。
蓄魔石の残りは十分だった。
共鳴片にも欠けは見えない。
オスカーは板の術式を確かめてから尋ねた。
「荷車は、どんな形です?」
「小さい運搬用だよ。前に二輪、後ろに二輪」
「四輪が一度にこの板へ乗ります?」
「いや。そこまで板は長くない」
オスカーが顔を上げた。
「前が通ってから、後ろが来る?」
「そうだけど……」
客も途中で何かに気づいたらしい。
オスカーは工房から二つの木片を持ってきた。
上へ金具を載せ、板を鳴らせる程度の重さにする。
「荷車そのものじゃないですが」
一つ目を板へ載せる。
ちん。
その木片を向こう側へ移す。
板から重さが抜けた。
少し間を置いて、二つ目を載せる。
ちん。
客が目を丸くした。
「二回だ」
「ですね」
今度は、一つ目を載せたまま二つ目も加える。
最初に鳴ったきりで、二つ目を置いても音はしなかった。
「この板、一人とか一台とかは数えてないんです」
オスカーは木片を下ろした。
「軽い状態から、決められた重さ以上になったときに一度鳴る。重さが抜ければ、また次に鳴れる。それだけみたいですね」
客は板を見下ろした。
「じゃあ荷車だと、前の車輪で一度」
「前が抜けて軽くなったあと、後ろでまた一度」
「それで二回か」
「たぶん」
「一台を二台だと思ってるわけじゃないんだな」
「台数そのものを知らないですからね」
客が笑った。
「なるほど」
持ち込んだときより、ずっと軽い声だった。
「二回鳴らないようにはできる?」
「できますけど」
オスカーは少し考える。
「一度鳴ったあと、しばらく次の入力を受け付けないようにすれば、荷車は一回にできるかもしれません」
「それでいいじゃないか」
「ただ、その間に次の人が入ってきても鳴らなくなります」
客の表情が止まった。
「それは困るな」
「この板、何のために置いてるんです?」
「奥にいても入口に誰か来たって分かるように」
「荷車で二回鳴ると?」
「……ちょっとうるさい」
オスカーが笑った。
「なら、今のままでもよさそうですね」
「そうだな」
結論は、それで終わった。
オスカーは念のため、荷重をかけたり抜いたりして何度か動作を確かめた。
結果は同じだった。
重さが条件を越えれば鳴る。
押され続けている間は鳴らない。
軽くなってからもう一度重くなれば、また鳴る。
板は最初から、決められた通りに働いていた。
術式は変えない。
共鳴片も替えない。
客は持ってきたときと同じ板を抱え直した。
「次に二回鳴っても、前と後ろだと思えばいいわけだ」
「同じ鳴り方なら。違う様子が出たら、また持ってきてください」
「分かった」
戸が閉まる。
店内が静かになった。
オスカーは床に残った木片を拾い、工房へ戻す。
時計を見る。
「よし」
これなら、いつもの時間に間に合う。
上着を取り、ミアの迎えへ出た。
*
「きょう、なにをなおしたの?」
帰り道でミアが尋ねた。
オスカーは娘と手をつないだまま、少し考えた。
「今日は何も直してないな」
「おしごとなかったの?」
「仕事はしたよ」
ミアが見上げる。
「でも、なおしてないの?」
「壊れてると思って持ってきたものが、壊れてなかったんだ」
「じゃあ、よかった?」
「うん」
オスカーは頷いた。
「それが一番よかった」
ミアはしばらく考えながら歩いた。
「なにだったの?」
「踏むと音が鳴る板」
「ちんって?」
「ちんって」
「パパ、ふんだ?」
「手で押した」
「なんかい?」
「何回か」
「いっぱい、ちんってした?」
「仕事だからな」
ミアの顔が少し明るくなる。
「ミアもやりたい」
「もう持ち主が持って帰ったよ」
「えー」
「客の物だからな」
「ルーちゃんがふんだら、なるかな」
「どうしてそこでルクスが出てくるんだ」
ミアは答えずに笑った。
*
家へ戻ると、フィンとエルナもすでに帰っていた。
ミアは玄関へ入るなり言った。
「パパ、きょうなにもなおさなかったんだって!」
「その言い方だと仕事してないみたいだろ」
オスカーが靴を脱ぎながら訂正する。
フィンが居間から顔を出した。
「何も直してないの?」
「ほら増えた」
「なおしてないけど、おしごとはしたの」
今度はミアが父親をかばった。
エルナも鞄を背板へ預けながら振り返る。
「何だったの?」
「入口で鳴る板。荷車が通ると二回鳴るって相談」
オスカーが前輪と後輪の話をすると、エルナはすぐに頷いた。
「間で重さが抜けるんだ」
「そう」
「一台かどうかは分からないもんね」
「そういうこと」
フィンは少し考える。
「鳴ったあと、次に鳴るまで待つようにしたら?」
「それも考えた」
「だめだった?」
「次に来た人まで鳴らなくなるかもしれない」
「ああ」
それで話は終わった。
「じゃあ、そのまま持って帰ったんだ」
「そのまま」
「本当に何も直してないじゃん」
「だから最初からそう言ってるだろ」
オスカーが笑う。
店先には、いつもの風見鶏の絵と古い記像板が並んでいた。
その少し上では、ルクスが白い身体を休めている。
ミアが見上げた。
「ルーちゃん」
片目が開く。
「ふんだら、ちんってなるいた、しってる?」
返事はない。
「ルーちゃんなら、なんかいなるかな」
もう片方の目も開いた。
フィンが笑う。
「軽くて鳴らないんじゃない?」
「じゃあ、ぴょんってしたら?」
「試すな」
頭上から低い声が落ちた。
ミアが笑った。
ルクスは翼を一度整え、知らない顔で通りの方を向く。
「壊れてない板はもう帰ったんだろ。……次の試験台を勝手に俺にするな」




