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風見鶏通り17番地、今日も魔法日和  作者: リタイアルーキー


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56/87

第56話 返事は庭を渡ってくる

 星冠暦826年・紅葉月6日・火耀日

 昼を少し過ぎたころ、オスカーは作業台の上から顔を上げた。

 壁の時計を見る。

 夕方には、修理の終わった品を受け取りに来る客がいる。ミアを迎えに出る時間と、ちょうど重なりそうだった。

 作業を急いで片づけるほどではない。

 店を閉めて出る必要もない。

 こういうときは、もう一人頼める相手がいる。

 オスカーは母屋の継声石の送信端末へ向かった。

 起動部へ触れる。

「お義父さん、今日のミアの迎え、お願いできますか」

 一息で言い終えると、淡い光が軒下へ走った。

 一枚目。

 少し遅れて二枚目。

 その先へ、三枚目、四枚目、五枚目。

 声は家の輪郭をなぞって、庭の向こうの離れへ消えていく。

 オスカーはその場で少し待った。

 何も返ってこない。

「……まあ、そうだよな」

 自分で言って苦笑する。

 継声石は母屋から離れへ声を送るためのものだ。

 向こうの返事まで運んでくれるわけではない。

 頼み事は届いた。

 だが、それを引き受けてもらえたかはまだ分からない。

 しばらくして、離れの戸が開いた。

 庭を渡ってきたアルノが、店先から顔を出しているオスカーへ片手を上げる。

「聞こえたぞ、オスカー君」

「すみません。お願いします」

「いつもの時間じゃな?」

「はい」

「分かった」

 それだけ告げると、アルノはまた庭を戻っていった。

 オスカーはその背中と、軒下の五枚の石を見比べた。

 声は石で届く。

 返事は本人が歩いてくる。

 ずいぶん釣り合いの違う会話だった。

 *

 午後。

 花鈴幼年学舎から出てきたミアは、迎えに来ている白髪の姿を見つけると、すぐに駆け寄った。

「おじいちゃん!」

「おう。そんなに急がんでも、わしは帰らんぞ」

 ミアは最後の数歩だけ速度を落とし、そのままアルノの手を握った。

「きょう、パパじゃないの?」

「今日はわしじゃ」

「なんで?」

「お父さんが店を離れにくいそうでな」

 二人で風見鶏通りの方へ歩き出す。

 昨日より少し風がある。

 道端の落ち葉が一枚、石畳の上をかさかさと転がっていった。

 昨日の夕方に家の前で浮いていた葉とは違う。

 今日の葉は、風が止まれば素直に止まった。

 しばらくして、ミアが顔を上げた。

「おじいちゃん、どうしておむかえってわかったの?」

「お父さんが継声石で知らせてきたんじゃよ」

「なんて?」

「今日の迎えを頼む、とな」

「おじいちゃんは?」

「引き受ける、と返事をした」

 ミアが数歩進んでから首を傾げる。

「でも、おいし、こっちからおへんじできないよ?」

 アルノが目を細めた。

「よう覚えとるな」

「できるようになった?」

「なっとらん」

「じゃあ、どうしたの?」

「母屋まで歩いていって言った」

 ミアの足が止まった。

「あるいて?」

「そうじゃ」

「おへんじだけ?」

「返事をせんかったら、お父さんも本当に任せてよいか分からんじゃろう」

 ミアは少し考える。

「おこえは、おいしでいくのに?」

「返事は足じゃったな」

「おこえはいし。おへんじはあし」

「妙な言い方を覚えたのう」

「もういっかいいう?」

「言わんでよい」

「おこえはいし、おへんじは――」

「言うとるではないか」

 ミアが笑う。

 アルノも笑った。

 横道から低い駆動音が聞こえ、推進術式の荷運車がゆっくり出てきた。

 二人は道の端で待つ。

 車が通り過ぎると、ミアはまた歩き始めた。

「おじいちゃん」

「今度は何じゃ」

「おへんじ、あるくのたいへん?」

「庭一つじゃ。大したことはない」

「ミアなら、はしるよ」

「走らんでよろしい」

「じゃあ、はやくあるく」

「普通に歩け」

 結局、家までの残りは二人とも同じ速さだった。

 *

「ただいま!」

 店へ戻ると、オスカーはちょうど客を見送ったところだった。

「おかえり」

「パパ!」

 ミアが駆け寄る。

「おじいちゃん、おへんじあるいてきたんだって!」

 オスカーがアルノを見る。

「そこが一番印象に残ったんですか」

「らしいのう」

「おこえはいしで、おへんじはあしなの!」

 玄関で鞄を外していたフィンが振り返った。

「何の話?」

 少し遅れて帰ったエルナも、背板へ鞄を預けながらこちらを見る。

「継声石?」

「うん!」

 ミアは嬉しそうに説明した。

 父が声を送った。

 祖父が聞いた。

 返事は石では戻せない。

 だから本人が庭を歩いてきた。

 話はそれだけだった。

「そのままだね」

 エルナが言う。

「そのままだから面白いんじゃない?」

 フィンは靴を揃えながら笑う。

 アルノは肩をすくめた。

「わしは普通に返事をしただけなんじゃがな」

 *

 夕食のあと、アルノは離れへ戻った。

 片づけがひと段落したころ、ミアは居間で描いていた絵から顔を上げた。

「おじいちゃんに、おやすみいう」

「もう離れだぞ」

 フィンが言う。

「おいしでいう」

 ミアは色鉛筆を「おえかきのおうち」へ戻すと、送信端末の前へ立った。

 オスカーが横から声をかける。

「一息でな」

「うん」

 ミアは大きく息を吸った。

 起動部へ指を置く。

「おじいちゃん、きょうおむかえありがとう。おやすみ!」

 淡い光が軒下へ走った。

 一枚。

 二枚。

 三枚。

 家の縁をたどり、五枚目まで届いて消える。

 ミアは送信端末の前に立ったままだった。

 少し待つ。

 もちろん、返事はない。

 フィンが本から顔を上げた。

「返ってこないぞ」

「しってる」

「じゃあ何してるの?」

「べつに」

 そう言って、ミアは窓の外を一度だけ見た。

 それから居間へ戻る。

 エルナは本を読み、リディアは食器を拭き、フィンもまた自分の頁へ目を戻した。

 オスカーは工房へ片づけに出ていく。

 いつもの夜になった。

 こん、こん。

 戸が鳴った。

 ミアが真っ先に顔を上げる。

 リディアが戸を開けた。

 外にはアルノが立っていた。

 離れへ戻ったときのまま、上着を一枚羽織っただけの格好だった。

「お父さん?」

「返事をしに来た」

 アルノは戸口から居間を覗く。

 ミアと目が合った。

「おやすみ、ミア。今日は迎えに行けて、わしも楽しかったぞ」

 ミアの顔がぱっと明るくなる。

「おやすみ、おじいちゃん!」

「うむ。今度こそ、おやすみじゃ」

 アルノが向きを変える。

「またあるいてきた!」

 背中へミアの声が飛んだ。

「それを喜ぶでない。わしの往復が増える」

 そう言いながら、アルノは笑っていた。

 ミアは戸口から、祖父が庭の向こうへ戻っていくのを見送った。

 軒下の継声石は暗いままだった。

 今度は何も光らない。

 ただ、アルノの足音だけが庭を渡り、離れの戸の向こうへ消えていった。

 リディアが戸を閉める。

「ちゃんと返ってきたわね」

「うん!」

 満足したミアは居間へ戻った。

 窓辺ではルクスが、離れへ帰っていくアルノを最後まで見ていた。

 その視線に気づいたミアが、今度は白い姿を見る。

「ルーちゃんも――」

 言い終わる前に、ルクスが片方の翼をわずかに持ち上げた。

「俺を見るな。返事のたびに庭を往復するほど暇じゃない」


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