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風見鶏通り17番地、今日も魔法日和  作者: リタイアルーキー


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第54話 日なたを冷やした午後

 星冠暦826年・紅葉月4日・陽耀日

 紅葉月四日の午後、庭の木々はまだ名前ほど紅くなっていなかった。

 葉の端に少しだけ色を変えたものが混じる程度で、窓から入る日差しも、秋だからと急に弱くなったわけではない。

 居間の床には、昨日リディアが縫い上げた膝掛けが広がっていた。

 長椅子から半分ほど垂れた毛織布へ、午後の光が斜めに伸びている。

 日に当たったところだけが、手のひらで触れると少し暖かい。

 ミアはそこへ足を入れ、膝掛けを腰まで引き上げていた。

 隣ではフィンが紙を読んでいる。身体は日陰にあるのに、靴下の先だけはしっかり光の中へ出ていた。

「そこだけ夏みたい」

 エルナが本から目を上げた。

「夏はもっと暑いよ」

 フィンが答える。

「知ってる。見た目の話」

「ひなた、あったかいよ」

 ミアが両足を伸ばす。

 そこへ工房からオスカーが出てきた。

 抱えていたのは、腕ほどの長さがある薄い灰青色の板だった。

 角には古い擦れ跡が残り、側面には小さな蓄魔石と平たい停止片が付いている。

 フィンが紙から顔を上げた。

「あ、それまだ出してたんだ」

「奥に置いたままだった」

 夏に店で使った、古い低出力の冷却板である。

「片づけるの?」

 ミアが尋ねた。

「拭いて工房の奥へ戻す。その前に、一度だけ動くか見る」

 オスカーは居間の端へ低い木台を置いた。

 床へ直接載せないのも、子どもたちが近づかないのも、もう一度教える必要はなかった。

 ミアは膝掛けの中から見ている。

 フィンもその場を動かない。

 オスカーだけが板へ手を掛けた。

「動いたらすぐ止めるぞ」

「今日は追いかけないの?」

 フィンが笑った。

「あれは一回で十分だ」

 夏の午後、店の中を移っていく涼しさを家族で追ったことがある。

 今さら同じことをするつもりはないらしい。

 オスカーが停止片を起こした。

 板は光らない。

 風も吹かない。

 側面の小さな表示だけが静かに変わり、冷却板はいつもの地味な働きを始めた。

 しばらく何も起きなかった。

 リディアが台所から茶を運んできて、食卓へ杯を並べる。

 頁をめくる音と、庭で葉の擦れる音が重なった。

 そのうち、膝掛けの中でミアの足がもぞもぞ動いた。

「ん?」

 布から片足を出す。

 もう一度入れる。

「ママ」

「なあに?」

「ここ、あったかくない」

 フィンも自分の足元へ手を伸ばした。

 窓からは、変わらず午後の日差しが入っている。

「ほんとだ」

 さっきまで温まっていた毛織布が、そのあたりだけ少し冷えていた。

 エルナが窓を見上げる。

 空には雲らしい雲もない。

 オスカーは板の表示と、窓際の床を一度ずつ見た。

「ああ」

 それだけで分かったらしい。

「ちゃんと動いてるな」

「そこ冷やすの?」

 ミアが不満そうに尋ねた。

「今日は、そこを冷やしてほしくなかったな」

 オスカーは笑いながら停止片を戻した。

 確認はそれで終わった。

「もうおしまい?」

「おしまい」

「別のところも見なくていいの?」

 フィンが聞く。

「動くのも止まるのも見た。十分だろ」

 板の仕組みを確かめるために、暖かな物を持ってきたり、日向を別の場所へ作ったりする者はいなかった。

 夏に一度、散々見たからである。

 オスカーは冷却板を木台から下ろし、乾いた布で表面を拭き始めた。

 それを横目に、ミアは膝掛けの中へもう一度足を入れた。

「あったかくならない」

「すぐには戻らないわよ」

 リディアが茶を一口飲む。

 日差しは同じでも、さっきまで冷やされていた布と床が、急に元の温度へ戻るわけではない。

 ミアは少し考え、膝掛けを自分の方へ引いた。

 昨日付けた中央の明るい縫い目が、床をするすると横切る。

「そっちまで持っていくの?」

 フィンが紙を持ち上げた。

「こっち、あったかい」

 冷やされた場所から、まだ温かさの残る隣の日向へ布をずらしたらしい。

 一枚になった膝掛けは、片方を動かせば全部ついてくる。

 フィンの足元も一緒にずれた。

「俺まで動いた」

「おにいちゃんも、あったかい」

「まあいいけど」

 エルナの膝へ掛かっていた端まで少し引かれた。

 本を持ったまま身体をずらし、布が落ちないところへ座り直す。

「昨日から、これ人の方を動かすよね」

「布は何もしてないでしょう?」

 リディアが笑った。

「使ってる人たちが勝手に引っぱってるだけよ」

 それを聞いても、ミアは膝掛けを離さなかった。

 日向の中で足を丸める。

 冷却板の方はもう静かだった。

 オスカーは拭き終わった板を持ち上げ、工房へ戻っていく。

 特別な調整もしなければ、「紅葉月だからもう使わない」と札を付けることもしなかった。

 必要になれば、また出せる。

 今日はしまう。

 それだけだった。

 居間へ残った家族の方も、ほどなく冷却板の話をしなくなった。

 茶が少し冷める。

 本の頁が進む。

 日差しは窓枠の形に沿って、ゆっくり床の奥へ伸びていく。

 ミアがそれに合わせて膝掛けを少し引いた。

 今度は誰も何も言わなかった。

 フィンも紙を持ったまま足を寄せ、エルナは布の端が膝へ残る程度に椅子をずらす。

 一人ずつ場所を決めたわけではない。

 暖かいところへ一枚の布が寄っていき、その周りへ人の方がなんとなく収まっただけだった。

 外では風が吹いた。

 紅葉月という名前にはまだ少し早いような緑の葉が揺れている。

 けれど、枝の先から一枚だけ乾いた葉が離れ、庭へ落ちた。

 ミアは窓越しにそれを見つけた。

「きのうのはっぱみたい」

「昨日のより大きい?」

 フィンが聞く。

「おっきい!」

「また大きくなってる」

 笑い声が小さく続いた。

 夕方へ近づくにつれて、午後の日差しは少しずつ弱くなった。

 膝掛けを追っていた光も細くなり、とうとう布の端から外れていく。

 誰かがそれを引き戻そうとはしなかった。

 今度は毛織布そのものの暖かさだけで十分だった。

 窓辺では、昼からずっと高いところにいたルクスが羽を整えている。

 夏に冷却板を使った日は、直射日光の来ない棚からほとんど動かなかった。

 今日は冷却板が工房へ消えてから、かなり時間が経っていた。

 白い翼が開く。

 ルクスは床へ降りると、膝掛けには乗らず、そのすぐ脇に残っていた細い日向へ歩いていった。

 そこだけは、まだ床に少し温もりがある。

 白い身体を収めると、翼を畳んだ。

 ミアがすぐに気づいた。

「ルーちゃんも、あったかいのすき?」

 ルクスは目を閉じかけたまま、ほんの少しだけ嘴を上げた。

「今日はな。明日の俺まで勝手に決めるな」


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