第53話 縫い目のある膝掛け
星冠暦826年・紅葉月3日・土耀日
紅葉月最初の土耀日は、朝から足元へ冷たさが残っていた。
寒い、と言うほどではない。
けれど夏には気持ちよかった庭からの風が、今日は戸口を抜けるたび、床に近いところだけを少し冷やしていく。
朝の買い物から戻ったリディアは、食料の包みとは別に二枚の毛織布を抱えていた。
どちらも一人の膝へ掛けるなら十分な大きさだったが、居間で何人かが一緒に使うには心許ない。色味もよく似ていて、並べて初めて片方が少し明るいと分かる程度だった。
リディアが二枚を食卓へ広げると、ミアがすぐに椅子から身を乗り出した。
「これ、なに?」
「膝掛けにしようと思って」
「ふたつ?」
「今はね」
二枚の長い辺を寄せる。
「ここを縫えば、大きな一枚になるでしょう?」
ミアは合わせたところを指でなぞった。
「くっつく?」
「そう」
その指が止まり、今度は居間の壁へ向いた。
そこには「おえかきのおうち」が掛かっている。
「これみたいに、もどる?」
古い小物掛けの一部には、今も昔の形を覚えた術式が残っている。
夏にそこへ新しい布を足したとき、古い縫い目が元の形へ戻り、新しく縫ったところまで一緒に引かれたことがあった。
リディアも同じ方を見た。
「ううん。今日は、そういう術式の残っていない普通の布にしたの」
「なんで?」
「膝掛けは、毎回同じ形じゃないもの。畳んだり、丸めたり、誰かが端を引っぱったりするでしょう?」
ミアは想像したらしい。
二枚の布を見てから、自分の身体へぐるぐる巻く真似をした。
「ミア、こうする」
「たぶんすると思った」
それなら、昔の形へ戻ろうとしない方が都合がいい。
リディアは糸箱を開いた。
二枚の布に紛れそうな糸を探していると、隣から小さな手が一本を取り出す。
「これ!」
布とはずいぶん違う、明るい色だった。
「それだと縫ったところが見えるわね」
「うん!」
「私は見えない方を探してたんだけど」
「なんで?」
リディアは二枚の布を見た。
色も完全には同じではない。
一枚にしても、もともと二枚だったことは分かるだろう。
少し迷ったあと、ミアが差し出している糸を受け取った。
「まあ、膝掛けだものね」
「これにする?」
「これにしましょう」
ミアが満足そうに笑った。
週休日の居間には、平日より人の気配が長く残っている。
リディアが針を進めているあいだにも、フィンが水を取りに来て布を覗き、エルナは本を抱えて空いている椅子へ座った。オスカーも工房から戻るたび、食卓いっぱいに広がる毛織布へ目をやる。
「ずいぶん大きくなりそうだな」
「一人用を二枚買うより、こっちの方が居間では使いやすそうだったの」
「俺の分もある?」
フィンが尋ねた。
「完成する前から取り分を決めるの?」
「先に決めた方が広いところ取れるかなって」
ミアはすでに明るい方の布へ手を置いていた。
「ここミア!」
「ほら、遅かった」
「まだ一枚になってないでしょう」
エルナが笑う。
縫い目は、ゆっくりと二枚の間を伸びていった。
急ぐ仕事ではない。
針が布を抜ける音は小さく、庭からは乾き始めた葉の擦れる音がときどき入ってくる。
ミアは最初こそ縫い目が長くなるところを熱心に眺めていたが、やがて待ちきれなくなった。
まだ離れている側の布を膝へ掛ける。
「もうあったかい」
「そっちは縫わなくても膝掛けだからね」
「じゃあ俺こっち」
フィンも反対側を少し持ち上げた。
「完成前から使わないの」
リディアが言うと、二人ともいったん手を離した。
その後もしばらく、布は食卓の上で少しずつ一枚になっていった。
午後になってアルノが母屋へ来たころには、中央を走る明るい糸もかなり長くなっている。
「ほう。今日は裁縫か」
「ひざかけ!」
ミアが答えた。
「こっちミア」
「まだ決まってないわよ」
リディアがすぐ訂正する。
フィンまで反対側を示した。
「じゃあ、こっち俺」
「だから決めてないって」
「なら、わしはどこじゃ?」
アルノが面白がって尋ねた。
ミアは布を見渡した。
さっきまで十分広く見えていたのに、人数を置こうとすると急に足りなくなる。
「おじいちゃんは……」
しばらく考える。
「ここ」
示したのは中央の縫い目だった。
「細いのう」
「縦に長いぞ」
オスカーが笑った。
「わしを寝かせるつもりか?」
ミアも笑い出し、それで場所決めは曖昧になった。
窓辺のルクスだけは、自分の取り分を尋ねなかった。
広げられた毛織布へときどき目を向けているが、近づいては来ない。
一度、リディアが縫う位置を変えるため布を大きく引いたとき、端が窓辺近くまで広がった。
ルクスの片足が上がる。
そのまま柔らかな布へ降りそうになったところで、リディアと目が合った。
「まだ針があるから駄目よ」
白い足が元へ戻る。
「乗るとは言ってない」
「そうね」
「見ただけだ」
「分かったわ」
ルクスは窓の外へ向き直った。
夕方になる前、最後の針が布を抜けた。
リディアは糸を留め、長く続いた縫い目を手のひらでならす。
端を持って布を持ち上げると、もう片方も一緒についてきた。
今度は途中で分かれない。
二枚だった毛織布は、一枚の大きな膝掛けになっていた。
とはいえ、境目が消えたわけではない。
左右にはわずかな色の違いがあり、その間をミアが選んだ明るい糸が一本、まっすぐ走っている。
「できた!」
ミアが声を上げた。
フィンも縫い目へ目をやる。
「真ん中、すごい見えるな」
「ミアの糸だよ」
「知ってる」
エルナが指先で境目を軽く撫でた。
「でも、こっちから持っても全部ついてくる」
ミアがさっそく片側を持ち上げる。
反対側までふわりと浮いた。
それが面白かったらしく、今度は反対から持つ。
やはり全部ついてくる。
「一まい!」
「一枚になったのよ」
リディアは針と糸を片づけ始めた。
縫い目を隠す飾りを足すことも考えなかった。
夕食まではまだ少し時間がある。
完成した膝掛けは、そのまま居間へ持っていかれた。
昼間に誰がどちら側を使うと話していたかは、座ってしまえばすぐ曖昧になった。
端を取った者が少し引けば全体が寄り、足を伸ばせば中央の縫い目も曲がる。色の境目は膝の上を斜めに走ったり、皺の中へ隠れたりした。
ミアが「こっちだった」と明るい側を引き寄せれば、反対側まで一緒に動く。
フィンが自分の足元を取り戻そうとすると、今度はエルナの膝の上で縫い目がずれた。
「引っぱりすぎ」
「だってミアが先に」
「ミアの!」
「一枚なんだろ?」
言われて、ミアが止まる。
自分でさっき「一まい」と喜んだばかりだった。
少し考えたあと、布を取り返す代わりに、自分の足をフィンの側へ伸ばした。
「じゃあ、ここもミア」
「広がってきた」
笑い声と一緒に、膝掛けもまた少し形を変えた。
リディアがあとから腰を下ろすころには、昼間に決めた場所などもう残っていなかった。
誰の側とも言いにくいところへ足を入れ、空いている端だけを取る。
普通の毛織布は、それに逆らわなかった。
丸めたところは丸まり、引かれたところは寄り、皺になったところにはそのまま皺が残る。
窓の外が暗くなり始めたころ、ミアが水を飲みに立った。
空いた場所へ、膝掛けがふわりと沈む。
その瞬間、窓辺から白い翼が降りた。
ルクスは床へ着くと、膝掛けの前でほんの一度足を止めた。
左右を見比べたようにも見えたが、選んだのはどちらの色でもなかった。
中央を走る縫い目の上へ歩き、そのまま身体を丸める。
戻ってきたミアが目を丸くした。
「ルーちゃん、まんなか!」
ルクスは目だけを開けた。
「空いてたから座っただけだ。……縫い目の上まで誰の場所か決めるな」




