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風見鶏通り17番地、今日も魔法日和  作者: リタイアルーキー


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50/88

第50話 三つの陰りが消えるまで

 星冠暦826年・収穫月30日・水耀日

 夕食が終わったあと、ミアは居間の壁にある「おえかきのおうち」の前で、ずいぶん長いことごそごそしていた。

 色鉛筆を探しているのかと思えば違う。

 紙を出すのかと思えば、それでもない。

 やがて、普通布でできた横長の七つ目から、紙輪を三つだけ抱えて戻ってきた。

 夏休みの残りを数えるために作った十個の輪である。役目を終えたあとは、全部まとめてそこへしまってあった。

「何するの?」

 本を読んでいたエルナが尋ねた。

 ミアは答える代わりに、三つの輪を床へ少し離して置いた。

「おはなし」

「読むの?」

「やるの」

 フィンも食後の水を持ったまま近寄ってくる。

「何の話?」

「まだない」

「ないのかよ」

「これから!」

 そこだけは自信満々だった。

 ミアは三つの紙輪を眺め、一つを窓寄りへ、もう一つを食卓の近くへ、最後の一つを少し離れた場所へ置き直した。

 それだけで何かが始まるらしい。

 窓辺から見ていたルクスが白い頭を傾けた。

「床に輪を三つ置けば話になるのか?」

「なるよ」

「ずいぶん簡単だな」

 そこへ、夕食後に一度離れへ戻っていたアルノが母屋へ入ってきた。

 居間の床を見て足を止める。

「今度は何を始めたんじゃ?」

「おはなし!」

「まだ何も起きておらんようじゃが」

 ミアは三つの紙輪を見つめていたが、何か思いつくとアルノの袖を引いた。

「おじいちゃん、くらくするまる、ある?」

 アルノが一度瞬きをする。

 先に分かったのはエルナだった。

「減光環?」

「それ!」

「ああ、三枚ともあるぞ」

 ミアは嬉しそうに床を指さした。

「みっつ!」

 どう使いたいのか、アルノにも見えてきたらしい。

 少しして、離れから黒い減光環三枚と低い支持台が運ばれてきた。

 店を閉めたオスカーも居間へ戻り、床の様子を見るなり足を止めた。

「今日は何を作ってるんだ?」

「おはなし」

「何を作るか聞いたつもりなんだけどな」

「だから、おはなし!」

 ミアには違いがないらしい。

 アルノは紙輪の位置に合わせ、三枚の減光環を十分に離して据えた。順に起動すると、それぞれの下へ柔らかな円い陰りが落ちる。

 三つの紙輪は、その陰りの中に一つずつ収まった。

 完全な暗がりではない。

 普段の居間より少し光がやわらいだ場所が、床に三つできただけだった。

 けれどミアの目には、さっきまでとまるで違って見えたらしい。

「ここ、おみせ!」

 窓寄りの輪を指さした。

「何の店?」

 フィンが聞く。

「まだわかんない」

「店なのに?」

「これから!」

 二つ目は山になった。

 三つ目は海になった。

 どうしてそう決まったのかは、誰にも分からない。

 ミアがそう言ったので、そうなった。

 店には誰かが住んでいて、その誰かが山へ行くらしい。

「パンを買いに行く」

 フィンが言った。

 エルナが笑う。

「山まで?」

「山のパン屋」

「今できたでしょ」

「できた」

「ミアのおはなしだから、いいの!」

 本人の許可が出た。

 紙輪のそばにあった小さな紙片が、店から山へ移動する。

 それが人なのか荷物なのかも決まっていなかったが、ミアが高い声で喋らせると、フィンが妙に低い声で返事をした。

 聞いているうちに、エルナも山の向こうに別の誰かを一人増やした。

 オスカーは旅人が通る扉の音を頼まれてもいないのに引き受け、重そうな戸が開く音を口で作る。

「そんな扉、どこにあったの?」

 フィンが笑った。

「今できた」

「俺と同じじゃん」

「パパもこれから!」

 ミアが嬉しそうに言う。

 少し離れた椅子から眺めていたリディアは、海になった紙輪へ紙片が移ったところで、短い節を口ずさんだ。

 それまで笑っていたミアがぴたりと止まる。

「ママ、もういっかい」

 今度は少し長く歌う。

 ミアはその声に合わせて海の中の紙片を揺らした。

 フィンが指先で静かな波音を足し、オスカーの重たい扉まで、なぜかいつの間にか海辺へ移っている。

「父さん、その扉さっき山にあっただろ」

「同じ扉かもしれない」

「山から海まで?」

「そこはまだ決めてない」

 ミアが声を上げて笑った。

 話は、そのあたりから誰のものともつかなくなった。

 山へ向かったはずの旅人は途中で海へ寄り、海にいたはずの誰かが店から返事をする。

 エルナが筋道を戻そうとすれば、アルノがその隙に妙に荘重な声を差し込んだ。

「そこで旅人は、ついに気づいたのじゃ」

「何に?」

 フィンが尋ねる。

 アルノは少し間を置いた。

「まだ決めておらん」

 フィンが吹き出し、エルナもとうとう本を脇へ置いた。

 誰が最初の主人公だったのかも、何のために山へ出かけたのかも、もう怪しい。

 けれど誰かが声を変えるたびに、同じ紙片が旅人になり、店の人になり、海から返事をする誰かになった。

 リディアの声が流れる間だけ、窓寄りの陰りまで海の続きのように思える。

 三枚の減光環は、そんな家族の都合とは関係なく、最初から変わらない柔らかな陰りを床へ落としていた。

 窓辺にいたルクスは、かなり長いこと騒ぎを眺めていた。

 ミアが一番端の陰りを指さす。

「ここ、ルーちゃんのおうち!」

「違う」

「じゃあ、おやま」

「違う」

「うみ!」

「俺をどこかへ住ませるのをやめろ」

 ルクスは窓枠の上で向きを変えた。

 それで会話は終わったように見えた。

 ところがしばらくすると、白い翼がふわりと開いた。

 ルクスは床へ降り、三つの陰りの前で一度だけ足を止める。

 それから、一番端の円へ歩いて入った。

 柔らかな影の中央へ白い身体を収め、そこで何事もなかったように翼を畳む。

 さっきまで紙輪しかなかった場所が、それだけで急に賑やかになった。

 ミアが口を開く。

 フィンも何か言おうとした。

 二人とも、ルクスの目が細くなったのを見て声を抑えた。

 結局、ミアだけが小さく言った。

「ルーちゃん、でた」

「出てない」

 それ以上、ルクスは動かなかった。

 物語の方は続いていった。

 白い鳥が何役なのかは、誰も決めなかった。

 海にいるのか、山から来たのか、そもそも話とは関係なく、少し暗い場所へ座りたかっただけなのかもしれない。

 ミアも無理に役を付けず、ルクスのいる陰りをそこに残したまま、紙片だけをあちらこちらへ動かした。

 やがて、最初に起動した陰りの輪郭がふっと薄くなった。

 床へ戻った普通の明るさに、紙輪が一つだけ残る。

 少しして二つ目もほどけ、最後にはルクスのいる円からも柔らかな影が消えていった。

 居間は、何事もなかったように元の明るさへ戻った。

 店も山も海もなくなった。

 残ったのは紙輪と紙片、それから影の消えた場所へ座ったままのルクスだった。

「まだ、おはなしおわってない」

 ミアが少し残念そうに言う。

 オスカーは消えた陰りの跡を見るように床へ目を落とした。

「道具の方が先に終わったな」

「でも、どこまでやったんだっけ」

 エルナが聞くと、フィンはしばらく考えた。

「山にパンを買いに行って、海に行って、父さんの扉がついてきた」

「扉はついていってないぞ」

「二か所にいただろ」

「同じものとは言ってない」

「じゃあ二枚あったの?」

「それも決めてない」

 話し合うほど、ますます分からなくなった。

 誰も結末を決めようとはしなかった。

 ミアも途中で笑い出し、三つの紙輪を集めると、残りの輪と一緒に「おえかきのおうち」の横長の収納部へ戻した。

 アルノは減光環を一枚ずつ支持台から外し、三枚とも離れへ持ち帰った。

 少し前まで三つの場所があった床には、もう何もない。

 それでもルクスだけは、一番端の陰りがあったところに残っていた。

 今は居間の灯りをまともに受け、白い羽がさっきよりずっと明るく見える。

 ミアが戻ってくる。

「ルーちゃん」

「何だ」

「また、でる?」

 ルクスは床に残っていた小さな紙片を見つけると、嘴の先でミアの方へ押した。

 それから、何でもないことのようにその場へ座り直す。

「芝居に出た覚えはない。……ただ、あの暗い席なら、もう一度くらい使ってもいい」


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