第49話 古い一枚の居場所
星冠暦826年・収穫月29日・火耀日
収穫月二十九日の午後になると、夏とは違う角度から日が店先へ差し込んでいた。
クラウゼル魔法具店の窓辺にも斜めの光が入り、普段なら気にならない木枠の隅や、掲示物の縁に積もった細かな埃までよく見える。
オスカーはしばらく腕を組んで眺めていたが、見つけてしまったものは仕方がないという顔で布を取った。
「見えた以上は、やるしかないな」
店の奥にいたリディアが振り向いた。
「何を?」
「掃除」
「珍しいことを言うのね」
「俺だって掃除くらいする」
「するわね」
素直に認められたのに、なぜかオスカーは少し不満そうだった。
店先には、仕事の札に混じって、商売とは直接関係のないものもある。
黄色い点に囲まれた、ミアの大きな風見鶏の絵。
その少し脇には、一枚の古い記像板が留めてあった。
オスカーはまず風見鶏の絵を木の挟み具から外し、折らないよう店内へ置いた。それから古い記像板へ手を伸ばす。
板を外すと、その後ろだけ木枠の色が少し違って見えた。長く覆われていた場所には、周囲ほど埃が積もっていない。
「ずいぶん長くここにあるな、これ」
光へ傾ける。
板の中では、少し前のクラウゼル家が今も同じ姿で止まっていた。
映姿板を改修する前の試験で残った固定像である。写したかった家族五人だけでなく、近くにあった香草鉢も、その場にいたルクスも、一枚の中へ一緒に収まっている。
撮像の魔法はとうに終わっている。
だから今の板は何も選ばず、何も動かさず、あの日に定着した像をそのまま残しているだけだった。
オスカーは表面と縁を丁寧に拭き、机へ立て掛けた。
捨てるつもりなどない。
ただ、このあとにはミアが受け取った記像板がもう二枚ある。そのうち一枚は、エルナとフィンとミアの三人がきちんと収まった像だ。
掃除を終えたら、たまには店先の一枚を替えてみてもいいかもしれない。
思いついたのは、それくらいだった。
午後も少し遅くなったころ、迎えに行ったアルノと一緒にミアが帰ってきた。
「ただいまー!」
店へ飛び込んできたミアは、そのまま数歩進んでから急停止した。
いつもの場所に古い記像板がない。
そこだけ木枠がよく見えている。
「ない!」
離れへ戻ろうとしていたアルノまで振り返った。
工房から顔を出したオスカーは、慌てる娘を見て机を指す。
「あるぞ」
「どこ?」
「そこ」
記像板が無事に立っているのを見つけると、ミアはようやく肩の力を抜いた。
アルノはそれを確かめると、何も言わず笑って離れへ戻っていった。
「しまうの?」
「掃除で外しただけだ」
「もどす?」
「そのつもりだったんだけどな」
オスカーは布を置いた。
「居間に、あと二枚あるだろ」
ミアはしばらく父の顔を見た。
「ある」
「せっかくだから、どれをここに掛けるか見てみるか?」
ミアの視線が古い一枚へ戻る。
「これ、だめ?」
「駄目じゃないぞ」
「じゃあ、これでいいよ」
あまりに早い返事だった。
オスカーが笑う。
「見る前から決めるなよ」
ミアは少し考え、それもそうだと思ったらしい。
「もってくる」
居間へ走りかけ、戸口で一度速度を落とした。
ほどなくして、両腕に記像板を一枚ずつ抱えて戻ってくる。
オスカーは片方を受け取った。
「二枚まとめて落とすなよ」
「おとしてないよ」
「落とす前に言ってるんだ」
三枚の板が机へ並んだ。
ミアは最初に、三姉弟が写った一枚を覗き込んだ。
「おねえちゃん、おにいちゃん、ミア」
その隣の板にはエルナとフィンがいて、さらに一枚の古い記像板が写り込んでいる。板の中の板を覗けば、もっと小さな家族と香草鉢とルクスまで見えた。
ミアは顔を近づける。
「こっちにもルーちゃん」
窓辺から白い頭が上がった。
「俺を探す遊びにするな」
最後に、もともと店先へ掛かっていた古い一枚を見る。
「こっちにもいる」
「知ってる」
ミアは二枚を左右に見比べ、それから本物のルクスを見る。
指が一本ずつ立った。
「いちルーちゃん、にルーちゃん、さんルーちゃん」
「三羽もいない」
「いるよ」
「板の中を数に入れるな」
ミアは楽しそうにもう一度数えた。
ルクスは途中で諦め、窓の外へ顔を向けた。
そこへ、開けていた店の戸口から声が入った。
「今日はずいぶん賑やかな肖像比べね」
通りを歩いていたマルタ・ローデだった。
肩には記像板用の細長い木箱が掛かっている。仕事帰りらしく、店へ腰を落ち着ける様子はなく、挨拶のついでに足を止めただけだった。
「ルーちゃん、さんこ!」
ミアが報告する。
「増えてない」
本人が訂正した。
マルタは笑いながら机の三枚を眺め、古い一枚の前で目を細めた。
「あら。それ、今日は外したのかと思ったら、また戻すの?」
「掃除してたの」
「そうだったのね」
マルタは板の中の家族と香草鉢を眺めた。
「これ、あの日の最初の試験でできた一枚だったでしょう。こんなに長く店先にいるとは思わなかったわ」
「ずっといるよ」
「そうみたいね」
それ以上、マルタは何も言わなかった。
木箱の位置を肩で直す。
「じゃあ、私は帰るわ」
「おしごと、おわった?」
「今日はね」
「ばいばい!」
ミアが大きく手を振る。
マルタも軽く振り返し、そのまま風見鶏通りを歩いていった。
三枚の記像板だけが、また机に残った。
ミアはもう一度、三姉弟の像を見る。
次に、一枚奥へ古い記像板が入った像を見る。
最後に、店先から外してきた古い一枚へ顔を寄せた。
家族五人のそばで香草鉢が妙に立派に写り、ルクスは誰にも頼まれていないのに同じ一枠へ収まっている。
ミアはその板を両手で持ち上げた。
「これにする」
オスカーは「分かった」とだけ答えた。
新しい二枚を居間へ戻し、古い板を店先へ運ぶ。
掃除のあいだ空いていた場所へ合わせると、木の挟み具も以前と同じところで板を受け止めた。
オスカーが少し離れて眺める。
「右が下がってるか?」
外へ出たミアも首を傾けた。
「ひだり!」
「どっちだ」
父娘で反対側へ首を傾けたせいで、余計に分からなくなる。
結局、ほんの少しだけ位置を直した。
隣には風見鶏の絵も戻った。
午後のあいだ外されていた二つが元の場所へ収まると、店先は朝とほとんど同じ姿になった。ただ、木枠と板の表面だけが掃除したぶん少し明るい。
夕食前まで、店の戸は何度も開いた。
帰宅した家族が通り、客が出入りし、オスカーも何度か店先へ出たが、戻った記像板の前でわざわざ足を止める者はいなかった。
それくらい、その一枚はもう見慣れた場所にあった。
日が傾き、風見鶏通りの影が長くなったころ、ミアが一人で店先へ出た。
古い板は朝と同じ位置にある。
中では、あの日の家族が相変わらず動かない。
今日とは服も立つ場所も違い、香草鉢まで一緒に残っている。
ほどなく窓辺から白い翼が降り、ルクスがミアのそばへ来た。
ミアは板の中と、本物の白い姿を交互に見た。
「ルーちゃん」
「何だ」
「こっちのルーちゃん、ずっといるね」
ルクスも、自分の小さな固定像へ目を向けた。
しばらく眺めたあと、白い翼を一度だけ畳み直す。
「写った方の俺は、ずいぶん真面目だな。毎日そこにいて、一度も店番をさぼらない」




