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風見鶏通り17番地、今日も魔法日和  作者: リタイアルーキー


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第5話 灯りの風見鶏は歩き出す

 冠暦826年・実成月16日・陽耀日

 実成月の日差しは、午後になっても庭の石畳へしぶとく居座っていた。

 風見鶏通り17番地では、夏休みらしい気の抜けた時間が流れている。窓を開けても入ってくるのは温い風ばかりで、フィンは居間の長椅子に半分沈み、エルナはその向かいで本を読みながら、時折冷たい果実水へ手を伸ばしていた。

 そんな暑さをものともせず、朝から床いっぱいに紙を広げていたのがミアである。

 黄色い花に、昨日見た蜂。隅には白い鳥。その上へ何度も線を重ねた末、紙の半分近くを占領する大きな鳥が完成した。

「おねえちゃん、みて!」

 差し出された紙をエルナが受け取る。

「大きいね。これ何?」

「かざみどり!」

 確かに、鳥の足元には横棒らしいものまで描かれている。ただし鳥そのものは、風見鶏通りにありそうな何かというより、ミアの想像の中でずいぶん立派に育っていた。

「おうちより、おっきいの」

「それは相当大きいね」

「おそらにかくの!」

 その一言に、エルナの目が紙の上で止まった。

 少し離れたところで寝転んでいたフィンが、その顔を見て身体を起こす。

「姉ちゃん、今なんか考えた?」

「ちょっとだけ」

「その顔、じいちゃんに似てる」

「どんな顔よ」

 口では返しながら、エルナの頭の中ではすでに線が点へ置き換わっていた。

 絵そのものを空へ浮かべる必要はない。夜になってから、輪郭に沿って小さな光を置けば、人の目には大きな鳥として見える。複雑な絵では無理でも、線を整理すれば風見鶏くらいなら作れそうだった。

 話を聞いたオスカーが貸してくれたのは、工房で手元や部品を照らすために使っている十二個の小型照明魔法具だった。

 どれも新しく作ったものではない。小さな蓄魔石を魔力源にして淡い光を出す、普段から工房で使っている道具である。

「壊すなよ」

「壊さないよ」

 即答したエルナへ、オスカーは一つ付け加えた。

「壊さないのと、安全なのは別だからな」

 その言葉には、この数日の出来事がいくらか混じっているらしい。

 エルナも反論せず、素直にうなずいた。

 十二個を一つずつ空中へ置こうとすれば、位置を合わせるだけで大変になる。そこでエルナは、一枚の大きな紙に単純化した風見鶏の輪郭と十二個の点を書き込み、その中心を基準点として使うことにした。

 それぞれの照明魔法具へ与えるのは、「風見鶏の頭になる」「尾羽になる」といった意味ではない。

 基準点から右へどれだけ、上へどれだけ離れた位置へ留まるか。それだけである。

 魔法具は鳥を知らないし、絵の上手下手も判断しない。固定された術式の範囲で、指定された位置を保つだけだ。

 十二個が全部そろった結果を、人間が風見鶏だと見る。

「理屈ではこれで合う」

 庭の卓へ紙を広げたエルナは、確認するようにもう一度点の位置を数えた。

 その横からフィンが覗き込む。

「『理屈では』ってつけると、ちょっと不安になるな」

「理屈が合ってなかったら最初から駄目でしょ」

「それもそうか」

 ミアは難しい話など聞いておらず、十二個の照明を一つずつ指さして数えるのに忙しかった。

 オスカーは配置術式そのものには手を出さなかった。

 代わりに、浮かせる高さを最初はフィンの膝ほどまでに抑え、移動速度にも上限を設ける。手動で止めた場合は、その場からゆっくり地面へ降りることも確認した。

 エルナの理論を尊重しながら、何かあったとき止められるところだけは大人が押さえる。

 それで試験が始まった。

 散らばっていた十二個の光が、石畳からふわりと浮き上がる。

 一つが右へ。

 二つが左へ。

 互いにぶつからないほどの遅さで、それぞれ指定された場所へ滑っていく。

 まだ昼の明るさが残っているため、光そのものは頼りない。それでも少し距離を取って眺めれば、点と点の間を目が自然につないだ。

 嘴。

 頭。

 背中。

 長い尾。

 足元の横棒。

「にわとり!」

 ミアが両手を上げた。

「風見鶏」

 エルナが訂正する。

「にわとり!」

 訂正は採用されなかった。

 フィンは庭の端まで下がって目を細めた。

「でも、ちゃんと鳥に見える。姉ちゃんすげえな」

「でしょう?」

 エルナの返事には、隠しきれない満足が混じった。

 計算した位置にもずれはない。十二個の光は静かに留まり、ミアが下を歩いても揺れない。エルナは一つずつ確かめてから、ようやく肩の力を抜いた。

「あとは暗くなるのを待てば――」

 言い終わらないうちに、庭木が大きく揺れた。

 午後いっぱい淀んでいた空気を押し流すように、風見鶏通りからまとまった風が吹き込んできたのである。

「あ、涼しい」

 フィンが顔を上げた。

 次の風は、最初より少し強かった。

 庭の卓に広げてあった大きな紙の端が、ぱたぱたと鳴る。

 そのときになって、エルナは初めて気づいた。

 計算した。

 術式も確認した。

 光の高さも速度も確認した。

 けれど、座標の基準にした紙そのものは、あとで数字を書き直せるよう卓へ置いただけだった。

 石も留め具も載せていない。

「……あ」

 風が紙を押した。

 ほんの手の幅ほどだった。

 それでも、基準点は確かに動いた。

 庭に浮かんでいた十二個の光が、いっせいに横へ滑り始める。

 ばらばらにはならない。

 むしろ見事なほど形を保っていた。

 大きな光の風見鶏が、石畳の上をそろそろと歩き出したのである。

「あるいた!」

 真っ先に喜んだのはミアだった。

「歩いてない!」

 エルナの声が裏返る。

「基準が動いたの!」

 光の鳥は、そんな事情など知るはずもなく、設定された相対位置を忠実に守りながら庭を横切っていった。

 慌てて追いかければすぐ紙を押さえられる。

 フィンも最初は一歩踏み出した。

 けれど、そこで止まった。

 一昨日、トカゲを助けようとして、相手を見るより先に動いた自分を思い出したのである。

 今回は生き物ではないが、まず何が起きているかを見る方が先だ。

 十二個の光そのものはゆっくり動いている。

 高さも低い。

 互いの位置も崩れていない。

 そして、その向こうで大きな紙が風に少しずつ滑っている。

「姉ちゃん、光じゃない!」

 フィンが紙を指さした。

「そっちが動いてる!」

 エルナも振り返り、ようやく原因を目で捉えた。

「紙!」

 フィンが追いかけなかったおかげで、今度はオスカーも状況を一目で確認できた。

 工房の戸口から光の鳥と紙の動きを見比べると、手元の操作板へ指を置く。

「止めるぞ」

 十二個の光が、その場でぴたりと横移動をやめた。

 そのままゆっくり下降していく。

 形を崩さず背を低くしていく様子は、巨大な鳥が庭へ座り込んだようにも見えた。

「すわった!」

 ミアだけは最初から最後まで楽しそうだった。

 光の嘴は、ちょうど居間の窓の近くで止まっている。

 窓辺にいたルクスは、自分へ向かってきた光の塊を避けるため、いつの間にか一つ隣の窓枠へ移っていた。

 そして今は、露骨に不機嫌そうな顔で庭を見下ろしている。

「ルーちゃん、にわとりさんきたよ!」

 ミアが教える。

 ルクスは答えなかった。

 そもそも、教えられるまでもなく目の前まで来ていた。

 原因が分かれば、直すのは難しくなかった。

 エルナは大きな紙を卓へ戻し、今度は四隅をきちんと留めた。フィンにも反対側を押さえてもらい、風が吹いても動かないことを確かめる。

「理屈は合ってたんだけどなあ……」

 紙を押さえながら、エルナが小さくこぼした。

 オスカーが隣で笑った。

「理屈を置く場所も、現実の中だからな」

 からかう声音ではなかった。

 エルナも少し悔しそうにしながら、結局は笑った。

「次から紙も計算に入れる」

「紙の重さまで式にする気?」

 フィンが尋ねる。

 エルナは一瞬、本気で考えた。

「留め具の方が早いか」

「そこは姉ちゃんでもそうなるんだな」

 日が落ちるまでに、もう一度だけ試験した。

 今度は風が吹いても基準点は動かない。

 十二個の光も、決められた位置で静かに留まり続けた。

 やがて空の青が深まり、風見鶏通りの家々にも夜が降りてくる。

 昼間には頼りなく見えた十二個の光は、暗さが増すにつれて輪郭をはっきりさせていった。

 少し離れた場所から見上げれば、夜の庭に大きな風見鶏が浮かんでいる。

 ミアはしばらく声も出さなかった。

 昼の騒ぎのときとは違う。今度の鳥は歩かない。ただ静かに光り、夏の夜に大きな形を描いていた。

「おねえちゃんのおえかき?」

 やがてミアが尋ねる。

「ミアの絵でしょ」

 エルナが笑う。

「ミアとおねえちゃん!」

 それなら異論はないらしい。

 フィンも芝生へ腰を下ろし、昼間自分が追いかけずに済んだ光を眺めた。リディアはミアの肩に手を置き、オスカーは十二個が安定していることを確認したあと、ようやく仕事の顔をやめて家族と同じように見上げた。

 離れから出てきたアルノも、庭に浮かぶ形を見て足を止める。

「ほう。なかなか見事じゃな」

 エルナの背筋が少し伸びた。

「私が配置を計算したの」

「途中で歩いた!」

 ミアがすかさず付け加える。

 伸びた背筋が少し縮んだ。

 アルノは白い髭の奥で笑った。

「動くところまで計算済みだったのかの?」

「そこだけ計算外」

「なら、よい勉強になったのう」

 エルナも今度は素直に笑った。

 庭に風が通る。

 木々の葉が揺れ、ミアの髪が頬へかかる。

 けれど紙はもう動かず、光の風見鶏も夜の中へきちんと留まっていた。

 少し遅れて、白い翼が窓辺から降りてくる。

 ルクスは誰に呼ばれたわけでもない顔をして、ミアの椅子の背へとまった。

 ミアは嬉しそうに振り返ったものの、今度は何も言わず、一緒に光を見上げることにした。

 昼間は庭を歩いていた鳥も、こうして動かなくなると、不思議なくらい大きく見えた。

 その下で家族の顔を順番に眺めたルクスは、最後に風でびくともしなくなった紙へ視線を落とした。

「空に大きなものを描くなら、まず足元の一枚を押さえておけ。……お前たちまで光を追って走り回られると面倒だからな」


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