第40話 返しただけの白い羽
星冠暦826年・収穫月20日・陽耀日
陽耀日の昼下がり、ルクスは母屋の低い屋根で昼寝をしていた。
少なくとも、本人としてはそのつもりだった。
庭から白墨の擦れる音が聞こえ始めても目を開けず、そのあとフィンの、
「魔法なしって、球を軽くするのもなし?」
という声がしても、白い頭は翼の間に埋まったままだった。
「なし。落ちたら自分で拾うの」
エルナが答える。
「転がすのは?」
「いい」
「蹴るのは?」
「家ではなしにしよう。ミアもいるし」
そこでようやく、ルクスの片目が開いた。
庭の石畳には大きな白い輪が描かれていた。
その中でエルナが、手のひらほどの柔らかな布球を持っている。
金耀日の体育でやった運動らしい。
授業ではもっと決まりがあったそうだが、家で遊ぶのだから、誰かが受けやすいように送り、輪から大きく外れなければいいことになったらしい。
点数もない。
勝敗もない。
ずいぶん緩い話だった。
「ミアもする!」
母屋から飛び出してきたミアが輪へ入った。
その後ろからリディアも出てくる。
店先にいたオスカーは最初、眺めるだけのつもりだったようだが、フィンに呼ばれて庭へ降りた。
最後には離れから出てきたアルノまで加わった。
白い輪の周りに六人。
ルクスは屋根の上。
それで十分だった。
最初の布球がミアへ転がる。
ミアは両腕で抱えるように止め、フィンへ投げ返した。
球は半分ほどしか届かず、石畳を転がっていく。
フィンが拾った。
今度は少し強く投げる。
「強い!」
エルナの声が飛ぶ。
「取れたじゃん」
「取れればいいって話じゃないの」
ルクスはもう一度目を閉じた。
やかましい。
ところが、そのあとも白い頭は時折上がった。
ミアへ向かう球だけはゆっくり転がり、アルノへ行くときは胸の前へ柔らかく浮く。
フィンが勢いをつけすぎれば、次に受けたリディアがわざとゆるく返す。
誰かが決めたわけでもないのに、球の動きは相手に合わせて少しずつ変わっていった。
一度落としても笑って拾う。
白線を少し越えれば、その場所から続ける。
学院の練習とは、もう別の遊びになっていた。
「ルーちゃんもする?」
とうとうミアが屋根を見上げた。
ルクスは目だけを向ける。
「しない」
「たのしいよ」
返事はなかった。
ミアもそれ以上は誘わなかった。
すぐ目の前へ来た球を追いかけ、今度はアルノの方へ転がしていく。
誰もルクスのために輪を広げなかった。
場所を空けもしなかった。
それが気に入ったのかどうか、ルクスは屋根から動かなかった。
ただし眠りにも戻らなかった。
金色がかった目だけが、庭を行き来する布球を追っていた。
しばらくして、フィンがエルナへ投げた球が高く逸れた。
エルナの指先を越える。
その先には屋根がある。
もっと正確に言えば、ルクスがいる。
白い頭がさっと上がった。
布球が屋根の縁を跳ね、翼のすぐ脇へ転がってくる。
ルクスは一歩避けた。
それでも球は止まらず、今度は尾羽へ向かう。
白い翼がぱしりと動いた。
布球は屋根から押し返され、庭へ落ちる。
ちょうどオスカーの近くまで転がった。
一瞬だけ、庭が静かになった。
ミアの顔が輝く。
「ルーちゃん、した!」
「してない。邪魔だから返しただけだ」
それだけ言うと、ルクスは元の場所へ座り直した。
フィンが何か言いたそうに笑っていたが、エルナに先に球を渡され、結局そのまま遊びへ戻っていった。
ルクスも再び口を閉じた。
布球は庭へ戻り、人間六人の間を行き来し始める。
今度は屋根へ飛んでこなかった。
しばらくすると、ルクスは翼を伸ばした。
昼寝には少し暑くなったらしい。
屋根を蹴り、庭の反対側にある塀へ移る。
そこなら白い輪からも少し離れている。
誰にも邪魔されない。
それでも、庭を見るには屋根より低かった。
ミアの投げ方までよく見える高さだった。
午後の光が少し傾くころには、最初より皆の動きがゆっくりになっていた。
フィンの額には汗が浮き、アルノは一度輪を外れて椅子で休んでいる。
オスカーも店へ戻ったり庭へ出たりしながら加わっていた。
誰が何回受けたのか、もう誰も数えていない。
そのころ、ミアが転がした布球が石畳の継ぎ目へ当たった。
ぽん、と小さく跳ねる。
予想と違う方向へ曲がり、輪を越えた。
塀際へ向かう。
フィンが気づいて追いかけた。
球の先には低い植え込みがある。
入ったところで危険はない。
拾えば済む。
フィンならすぐ届く。
ルクスのいる場所からも、その全部が見えていた。
白い翼が開いた。
屋根へ球が飛んできたときとは違う。
今度は球の方が遠い。
ルクス自身が塀から飛び降りなければ届かない。
それでも白い影は地面すれすれを横切った。
植え込みへ入る直前の布球へ爪先が軽く触れる。
ほんの少し方向が変わった。
球は庭の中央へは戻らない。
横へゆっくり転がっていく。
そこにいたミアが両手で受け止めた。
「きた!」
ミアが顔を上げる。
ルクスはもう近くの塀へ戻っていた。
最初にいた屋根ではない。
白い輪から腕を何本か伸ばせば届きそうな、低い場所だった。
「ルーちゃんからきた」
返事はない。
フィンも何も言わなかった。
走るのをやめて球の行方を見たあと、口元だけを少し上げて輪へ戻った。
誰も「参加した」とは言わなかった。
その方が遊びは長く続いた。
ミアは受け取った球をリディアへ転がした。
そこからまた球が動き始める。
時には高くなり、時には地面を滑り、誰かの手を抜ければ笑い声が上がった。
塀の上のルクスは一度も輪へ入らなかった。
もう球にも触れなかった。
ただ、さっきまでより近い場所にいた。
夕方になる前に、遊びは自然に終わった。
誰かが終了を宣言したわけではない。
フィンが水を飲みに戻り、アルノが「今日はここまでじゃな」と立ち上がり、オスカーも店へ戻る。
エルナは石畳に残った白墨の輪を眺めた。
明日になればまた月耀日だ。
水を少し流すと、白い線はところどころ切れ、石畳の色へ戻っていった。
輪の中と外を分けていたものがなくなる。
ルクスは塀に残ったまま、その様子を見ていた。
ミアが布球を胸へ抱えて近づいてくる。
「ルーちゃん」
白い頭が向く。
「つぎもする?」
ルクスの目が細くなった。
「しない」
「じゃあ、つぎもとんできたら、かえしてね」
ミアはそれだけ言って母屋へ駆けていった。
ルクスは何も返さなかった。
飛び去りもしなかった。
白墨の跡がほとんど消えた庭には、もう輪の内側も外側もない。
それでもルクスは、最初にいた遠い屋根へは戻らず、夕食の匂いが流れてくるまで低い塀の上にいた。
やがて布球を片づけに来たフィンが、そんな白い姿を見つけて少し笑った。
ルクスは先に睨み返す。
「俺は遊んでない。二回返しただけだ――次も来るなら、返すかどうかは俺が決める」




