第38話 遠いままで一枚にいる
星冠暦826年・収穫月18日・金耀日
金耀日の午後、保健院から戻ったリディアは、庭の端に細長い木箱が置かれているのを見つけた。
見覚えがある。
その横ではマルタ・ローデが映姿板を支え、オスカーと一緒に何やら庭を見渡していた。学校から戻ったエルナとフィンも近くにいて、ミアは木箱の留め具を眺めながらしゃがみ込んでいる。
「マルタさん?」
「お帰りなさい」
マルタが顔を上げた。
「今日は修理?」
「いいえ。ちょっと違う写し方を試したくて」
リディアが庭へ降りると、オスカーが映姿板の側面を指した。
いつもの肖像なら、最初に拾った景色から離れた反応を切り分け、指定した相手だけを見やすく一枚へ並べ直す。
今日はそこまで進めない。
最初に拾った庭全体を、試験用の記像板へそのまま残してみるのだという。
「近いものは近く、遠いものは遠いまま?」
リディアが尋ねる。
「そう。間にあるものも消さないで」
マルタは母屋から離れへ視線を移した。
午後の日差しが庭を斜めに横切っている。
「離れて二人立ってもらえると、ちょうどいいんだけど」
その声が聞こえたのか、離れの扉が開いた。
研究室から出てきたアルノが、庭の人数を見て足を止める。
「何をしておる?」
マルタとリディアは顔を見合わせた。
ほどなくして、アルノは離れの軒下に立っていた。
リディアは母屋寄りの日向にいる。
二人の間には石畳が伸び、低木の葉が午後の風に揺れていた。
「お父さん、そこから動かないでね」
「立っておるだけでよいのか?」
「ええ」
「簡単すぎる仕事じゃのう」
「お父さんの場合は、途中で何か調べ始めないことも仕事に入るわ」
アルノが何か言い返す前に、オスカーがそっぽを向いて笑った。
マルタは映姿板へ試験用の記像板を入れる。
今日は指定銅片を使わない。
庭の中から誰かだけを選ぶのではなく、板が正面から拾ったものを配置ごと残すためだった。
「そのままね」
淡い光が庭を横切った。
熱も風もなく、すぐに消える。
マルタが記像板を抜くと、子どもたちが自然に集まってきた。
「ママ、おおきい」
ミアが真っ先に言った。
手前に立っていたリディアは、板の中でも大きく見える。
それは予定どおりだった。
「おじいちゃんは?」
フィンが板の奥を覗き込む。
離れも軒下もちゃんと写っている。
人影もある。
けれど暗い軒下へ沈み込み、服と戸口の境目が分かりにくい。顔はもっと見えなかった。
「いるけど……柱みたい」
エルナの呟きに、アルノが記像板を覗き込んだ。
「わしはそんなに四角くないぞ」
「形の話じゃないわよ、お父さん」
リディアも笑いながら板を見る。
マルタは映姿板へ異常がないことを確かめると、今度は暗い場所の違いを拾いやすいよう基準を寄せた。
二度目の光が庭を横切る。
新しい記像板では、軒下のアルノがずっとはっきり見えた。
その代わり、手前にいたリディアの肩や袖は明るさへ溶け、輪郭が頼りなくなっている。
「ママ、きえそう」
「さっきはおじいちゃんが消えそうだったのに」
フィンが二枚を見比べる。
リディアも覗き込みながら、実際の庭へ目を戻した。
板の中だけの問題ではない。
自分は午後の日差しの中。
父は軒下。
最初から、受けている光がまるで違う。
「私の方を少し暗くしたらどうかしら」
「こっちを?」
オスカーが日向を指す。
「お父さんのところを明るくするより簡単でしょう?」
アルノがそれを聞いて、離れの方へ顎を向けた。
「減光環が一枚あったはずじゃ」
持ってきたのは、以前にも庭で使った黒い環だった。
低い支持台へ載せ、リディアのいる場所へ一枚分の陰りだけが落ちるよう位置を決める。
起動しても、布や板が現れるわけではない。
ただ、強かった日差しが円く柔らかくなった。
リディアが自分の袖を見る。
白く照り返していた布の色が落ち着いている。
「ママのとこだけ、おそらくもり」
ミアが言った。
「ずいぶん小さい曇り空ね」
リディアは笑った。
離れの軒下は、そのままだった。
アルノを前へ動かしたわけでもない。
自分が父のそばへ寄ったわけでもない。
二人の位置は最初と何も変わっていなかった。
マルタが三枚目の記像板を入れる。
そのとき、母屋の屋根へ白い影が降りた。
ルクスだった。
庭の騒ぎを見つけて来たらしいが、本人としては見学しているつもりすらないのだろう。屋根の端へ座ると、下を一瞥しただけで羽を整え始めた。
「いくわよ」
マルタの声に、リディアは正面を見る。
離れの軒下ではアルノもようやく姿勢を整えた。
薄い撮像光が、母屋の近くから離れまでを一度に撫でて消えた。
記像板を取り出したマルタが、今度はすぐに笑った。
リディアもその一枚を覗き込む。
手前には自分。
ずっと向こう、離れの軒下にはアルノ。
先ほどより父の姿は小さい。それでも服も顔も見え、誰が立っているのか迷うことはない。
その間には、石畳も低木も庭の空間も、そのまま残っていた。
「これがいいわ」
リディアの口から自然に言葉が出た。
普段の肖像なら、見やすいよう二人を近くへ並べられる。
今日の一枚では違う。
父は離れの前にいて、自分は母屋の近くにいる。
毎日の暮らしで見慣れた位置のまま、同じ一枚の中へ収まっていた。
離れていることを消さなくても、一緒には写れる。
そのことが、リディアには妙に嬉しかった。
「わし、ずいぶん小さいのう」
アルノの声で、思わず笑みがこぼれる。
「遠くにいるんだから当然でしょう?」
「もう少し前へ出れば――」
「それだと今日の試しにならないわ」
リディアが笑うと、アルノも諦めたように肩をすくめた。
マルタは試験用だった記像板を差し出した。
「これ、持っていてくれる?」
「いいの?」
「ええ。今日は欲しかったことが分かったから」
受け取った板には、庭が思っていたより広く入っていた。
その広さを目でたどっていたリディアは、上端に小さな白いものを見つけた。
母屋の屋根。
そこに、米粒ほどのルクスがいる。
何も知らずに見れば白い点にしか見えないほど小さいのに、家族にはすぐ分かった。
「ルーちゃんもいる!」
ミアが見つけ、嬉しそうに板の上端を指す。
屋根の本人が、ゆっくりこちらを見下ろした。
見るからに不本意そうだった。
夕食のあと、リディアは今日の記像板を居間へ持ってきた。
どこへ置くかは、まだ決めない。
椅子へ腰掛けたまま膝の上に載せ、しばらく眺める。
手前にいる自分と、遠くにいる父。
途中の庭。
そして屋根の端の小さな白。
きれいに並べ直された肖像とは違い、余白の多い一枚だった。
けれど、その余白まで含めて見慣れた家だった。
ミアが隣から覗き込み、やはり最初に見たのは屋根の白い点だった。
「ルーちゃん、ちっちゃいね」
窓辺で翼を整えていたルクスの動きが止まる。
一度だけ記像板を見てから、露骨に面倒そうな顔でミアへ視線を戻した。
「勝手に遠くから写しておいて、大きさに文句を言うな」




