第33話 五つだけの長い道
「たりない」
午後の庭で、ミアが石畳を見つめていた。
足元には四角い紙が五枚、端を少しずつ重ねるように並んでいる。その一番先には、工房でもらった丸い木片がちょこんと乗っていた。
木片には炭筆で目が二つ描いてある。
通りかかったエルナが覗き込んだ。
「これは何?」
「おうま」
丸い。
脚もない。
それでもミアの中では、立派な馬らしい。
「おうま、あっちまでいくの」
小さな指が庭の反対側を示した。
けれど五枚全部を並べても、紙の道は庭の三分の一にも届いていない。
そばにしゃがんでいたフィンが、一番後ろの紙を拾った。
「じゃあ、これを前に置けばいいんじゃない?」
先頭へ移してやる。
ミアは木片を一枚進めたあと、今度は自分で最後尾の紙を持ってきた。
「できた!」
もう一枚。
また木片が進む。
五枚しかないのに、後ろを前へ運べば道は少しずつ伸びていく。
ただ、馬を一度進めるたびに道まで運ばなくてはならない。
三度ほど繰り返したころ、離れから出てきたアルノが足を止めた。
「ほう。忙しい道じゃな」
「おじいちゃん」
ミアは最後尾の紙を持ったまま振り返った。
「みちがたりないの」
「五枚しかないからな」
フィンが説明する。
「だから後ろのを前に持ってきてる」
アルノは、木片よりも紙の動きをしばらく見ていた。
一枚減った後ろと、一枚増えた前。
白い眉が少し上がる。
「それなら、道を運ぶ方だけ手伝わせてみるか」
「だれに?」
「魔法にじゃ」
フィンが笑った。
「じいちゃんまで始めるんだ」
「わしはお前たちの紙運びを楽にしようとしておるだけじゃぞ」
工房の開いた窓からオスカーの声がした。
「その言い方、信用すると大体何か始まるんですよ、先生」
「オスカー君は仕事をしておれ」
「はいはい」
しばらくして庭へ持ち込まれたのは、小さな蓄魔石と青く塗られた平たい円板だった。
大がかりなものはない。
ミアの「おうま」の裏側には、アルノが小さな銅片を一枚留めた。
紙の道は片づける。
代わりにアルノが蓄魔石へ魔力を流すと、石畳から指二本ほど浮いたところに、淡い金色の縁を持つ四角が現れた。
その先へもう一つ。
さらに三つ。
全部で五枚。
まるで透き通った紙が空中へ置かれたようだった。
ミアは横から覗き込んだ。
「ういてる」
「軽いものだけを預けられる面じゃ」
アルノが指先で端へ触れると、金色の四角はすぐ淡くなった。
人の手足ほどの重さを支える力はない。
誰かが乗るための道ではなく、小さな木片のためだけの遊び場だった。
形成する場所も、何も置かれていない庭の石畳の範囲から外れないよう決めてある。
青い円板は、五つの足場より少し先へ置かれた。
アルノは木片を最初の四角へ載せた。
「上からつまんで進めてごらん。足場へ手を置かんようにな」
「うん」
ミアは木片の頭をつまみ、一枚ずつ先へ動かした。
一枚目。
二枚目。
三枚目。
最後の五枚目へ木片が届く。
ほんの一瞬だけ金色の縁が明るくなった。
すると、一番後ろにあった四角が音もなく消えた。
代わりに、先頭よりさらに向こうへ新しい一枚が現れる。
「わあ!」
ミアの手が止まった。
後ろを見る。
さっきまであった一枚がない。
前を見る。
そこには新しい一枚がある。
「みち、あるいた!」
「道そのものが歩いたわけではないがの」
「あるいた!」
訂正する気はないらしい。
ミアはまた木片を前へ進めた。
先頭へ着くたび、後ろの一枚が消え、そのぶん前へ新しい一枚が現れる。
どれだけ進んでも、見えている道は五つだけだった。
けれど丸い馬は庭を少しずつ横切っていく。
自分で紙を運んでいたときと同じことが、目の前で勝手に続いている。
ミアは何度も前と後ろを見比べた。
「五つなのに、いっぱいある」
「同時に五つじゃな」
エルナも庭へ降りてきていた。
「後ろで使わなくなった一つを、前に作り直してるんだ」
「おねえちゃんも、あるいたっていって」
「……道が歩いてるみたいだね」
「うん!」
満足した。
木片が庭の半ばまで進んだころ、ミアは少し先に置かれている青い円板へ目を向けた。
さっきから、道はその円板へ向かって真っ直ぐ伸びている。
「おじいちゃん」
「なんじゃ」
「これ、こっちにしたら?」
ミアは円板を指し、それから横の石畳を指した。
アルノが目を細める。
「ほう」
「みち、まがる?」
その質問には、エルナまで青い円板を見た。
アルノは少し考えてから笑った。
「曲がるはずじゃ」
「やる!」
「待て待て。動かすのはわしじゃ」
いったん魔力を止め、青い円板を少し右へ移す。
それだけである。
再び金色の道が目を覚ますと、ミアは木片を先頭まで進めた。
最後尾が消えた。
次に現れた一枚は、今までの真っ直ぐな列からほんの少し右へずれていた。
「まがった!」
もう一枚進むと、道はさらに緩やかに向きを変えた。
ミアの顔が、さっきまでとは違う意味で輝く。
最初は庭の向こうまで行ければよかった。
けれど今は、真っ直ぐ着くことより、どこを通るかの方が面白くなったらしい。
「つぎ、あっち」
ミアが庭木と花壇の間を指す。
「そこへ向けるなら、このくらいかの」
アルノが円板を移す。
今度の道は花壇へ入らないよう、その手前でゆるく左へ折れた。
「次は俺が決めたい」
フィンが言うと、
「これはミアのおうま!」
と即座に断られた。
「道くらいいいだろ」
「だめ!」
「じゃあ一個だけ」
「いっこだけ」
交渉は成立した。
フィンが選んだ方へ一度だけ曲がり、次にはまたミアの指が飛ぶ。
長椅子から眺めていたリディアも、いつの間にか窓辺まで来ていた。
「ずいぶん遠回りになったわね」
「最初は向こうへ行くだけだったんだけどな」
オスカーも仕事の手を止め、工房の窓から笑っている。
そのころには、庭を横切るはずだった小さな旅は完全に寄り道へ変わっていた。
五つの金色だけが、古い後ろを残さず、ミアの示す方へ少しずつ場所を変えていく。
庭木の手前を曲がり、石畳の広いところへ戻り、今度は窓の方へ。
その先にはルクスがいた。
白い身体を窓枠へ落ち着け、初めから何の興味もなかったような顔で羽を整えている。
ミアが見つけた。
「あ」
ルクスの片目がこちらへ向いた。
ミアも見返す。
そして迷うことなく指を伸ばした。
「つぎ、ルーちゃん」
ルクスの羽づくろいが止まった。
アルノも止まった。
「……そちらへ行くのか?」
「うん!」
青い円板は窓の手前へ移された。
木片が進む。
金色の道も、ゆっくり窓辺へ向きを変える。
ルクスはしばらく動かなかった。
別に逃げる必要などない、とでも言いたげだった。
ところが木片が近づくにつれ、ミアが嬉しそうに、
「ルーちゃんのとこいくよ!」
と何度も報告する。
とうとう白い翼が開いた。
ルクスは一つ隣の窓枠へ移った。
「あっち!」
すぐにミアの指も動く。
ルクスが振り返った。
道はまだ五つしかない。
それなのに、行き先だけはいつの間にか庭の向こうではなく、白い姿のいるところになっていた。
アルノは笑いをこらえながら青い円板を持った。
「まだ追うのかの?」
「おうま、ルーちゃんにあいたいの」
「俺は会いたくない」
昼からほとんど黙っていたルクスが、そこで初めて口を開いた。
フィンが吹き出した。
その笑い声につられ、エルナもリディアも笑う。
ミアだけは真剣だった。
「おうま、こんにちはするだけ」
「いらん」
けれどルクスは飛び去らなかった。
木片の道から少し離れた窓枠に居座り、近づいてくる丸い馬を最後まで見ていた。
やがて、あらかじめ決めてあった回数まで道が組み替わると、新しい一枚は現れなくなった。
五つの金色は午後の光へ溶けるように淡くなり、最後には石畳だけが残った。
庭のかなり遠いところまで来ていた丸い木片を、ミアが拾いに行く。
出発した場所を振り返った。
途中に道は一枚も残っていない。
それでも自分の馬が、あそこからここまで来たことは分かる。
「おじいちゃん」
「なんじゃ」
「こんど、もっとまがる」
「真っ直ぐ行く遊びではなかったのか?」
「まがるほうがたのしい」
アルノは一瞬だけ口を開き、それから楽しそうに笑った。
「それなら次は、曲がる方から考えんとな」
夕方になると、金色の足場も青い円板も庭からなくなっていた。
玄関には昨日作った三つの鞄の場所があり、壁の「おえかきのおうち」には十個の紙輪が収まったままになっている。ここ数日に増えたものの間へ、今日の魔法だけは何も形を残さなかった。
代わりに、居間の床ではミアが長い紙へ線を描いていた。
真っ直ぐではない。
右へ行き、左へ戻り、また大きく曲がる。
昼間の金色の道より、ずっと勝手な道だった。
その終わりに、ミアは白い翼のようなものを大きく描いた。
窓辺から覗いていたルクスが、それに気づく。
「ルーちゃん、ここ」
ミアが終点を指した。
「おうま、ここまできたの」
ルクスは紙の端を見つめ、それからミアへ目を向けた。
昼間も、行き先を変えるたび、最後にはなぜか自分の方へ道が伸びてきた。
しばらく黙っていたが、やがて白い翼を身体へ畳む。
「……道の先に、毎回俺を置く必要はないだろう」




