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風見鶏通り17番地、今日も魔法日和  作者: リタイアルーキー


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第3話 ひなたは勝手に冷やさない

 星冠暦826年・実成月14日・金耀日

「いた!」

 実成月の朝、開け放した窓から入り込んでいた生ぬるい風を、ミアの声が勢いよく突き抜けた。

 二晩続けて夜空を眺めたクラウゼル家では、夏休みらしい少し遅めの朝が流れていた。居間ではエルナが本を開いているものの、頁をめくる間隔はいつもより長い。フィンも食後の水を飲みながら、まだ抜けきらない眠気に何度目かの欠伸をかみ殺していた。

 そんな家族の中で、五歳のミアだけは朝から元気だった。

「おにいちゃん、きて!」

 庭からもう一度呼ばれ、フィンは仕方なさそうに立ち上がった。ところが石畳へ出た途端、当のミアが唇に人差し指を当てて「しーっ」と言う。

「呼んだのミアだろ」

 小声で文句を言うと、ミアはさらに真剣な顔で、もう一度「しーっ」と念を押した。

 その指が示している先を見て、フィンも自然と声を潜める。

 庭の縁にある平たい石の上で、小さなトカゲがじっと朝日を浴びていた。灰色がかった緑の身体は石の色によく紛れ、瞬きをした拍子に見失いそうなくらいだ。

「ほんとだ」

 フィンがミアの隣へ腰を落とすと、トカゲの目だけがこちらを警戒するように動いた。

「かわいいね」

「近づきすぎたら逃げるぞ」

「ミア、さわらないよ」

 そう答えながら、小さな両手は膝の上にぎゅっと押しつけられている。触ってみたい気持ちと我慢していることの両方が、一目で分かった。

 やがて窓辺から様子を見ていたエルナも庭へ降りてきた。三人が少し離れて並ぶころには、石畳にも夏の日差しが広がり始めている。

 額に浮いた汗を手の甲でぬぐいながら、フィンは石の上の小さな生き物を見た。

「暑くないのかな」

「今はそこにいるね」

 エルナが答えた。

「でも、もう暑いぞ」

「フィンが暑いのは分かるけど」

「俺じゃなくて、トカゲが」

 フィンとしてはかなり真面目な心配だったのだが、言葉にしてみると根拠が薄いことに自分でも気づいたらしい。眉間に少し皺が寄る。

 そこへ台所からリディアも顔を出した。ミアが「トカゲさん」と小声で教えると、彼女も近寄りすぎずに足を止める。

「おみず、いるかな?」

 ミアが尋ねた。

「勝手にかけるのはやめておきましょうね」

 リディアが柔らかく答えると、ミアはすぐにうなずいた。

 けれどフィンの方は、まだトカゲと夏の日差しを交互に見ていた。

 困っていそうな相手を見つけると、何もしないでいる方が落ち着かない。それが本当に困っているのかと問われれば分からないのに、「暑いなら何かしてやれるかも」という考えだけが先に浮かんでしまう。

「冷たい場所もあった方がいいんじゃないかな」

 フィンは庭の端にあった小ぶりの平石を一枚持ってくると、トカゲから離れた場所へ置いた。

「嫌なら使わなきゃいいんだし」

 それなら押しつけることにはならない、と考えたらしい。

 手のひらを石へかざし、ほんの少しだけ熱を引かせる。学校の魔法基礎でも扱うような単純な冷却で、夏の水差しを飲みやすい温度にするのと大差はない。魔力が術式に沿って流れるにつれ、日に温められていた石から熱がゆっくり抜け、指で触れば心地よく感じる程度の冷たさになった。

「これならいいだろ」

 自信を取り戻したフィンの横で、ミアがさっそく「トカゲさん、こっち」と手招きした。

 もちろん、トカゲにその意味は通じない。

 しばらく何事も起こらなかったが、やがて小さな身体が動いた。フィンが用意した石とは反対へ素早く走り、少し離れた別の平石へ乗る。

 そこも、朝日がよく当たる場所だった。

「そっちの方が暑いって」

 フィンは立ち上がった。

「少し待ってみたら?」

 エルナの声が背中に届いたものの、フィンは「すぐ終わるから」と、今度はその近くにある石へ手をかざした。

 二枚目の石がひんやりすると、トカゲはしばらくして、また別の場所へ移った。

 そこにも日が当たっている。

 フィンは首をかしげた。

「気づいてないのかな」

 三枚目も冷やした。

 ところがトカゲは、そこからも離れていく。

 四枚目まで同じことを繰り返したころには、庭のあちらこちらに、周囲より少しだけ冷たい石が点々とできあがっていた。その表面には夏の湿った空気から生まれた小さな水滴が浮き、朝日にきらきら光っている。

 そして肝心のトカゲは、その冷たい点々を避けるように日なたから日なたへ移動していた。

 ミアにはすっかり追いかけっこに見えてきたらしい。

「おにいちゃん、トカゲさんとあそんでる!」

「遊んでない。涼しくしてやってるんだって」

 そう言ったフィンの声から、最初にあった自信が少しだけ消えていた。

 エルナは答えず、庭を見渡した。

「ねえ、フィン。さっきから、その子が自分で行った場所って、どこもどんなところ?」

「どんなって……」

 言われて、フィンも自分の作った冷たい石ではなく、トカゲの通った道を目で追った。

 最初にいた石には朝日が当たっていた。

 次に選んだところにも。

 その次にも。

 そしてフィンがそこを冷やすと、トカゲは別の日なたへ移っている。

 そこでようやく、フィンの顔に「あ」という表情が浮かんだ。

「もしかして俺、ずっと逆のことしてた?」

 そのとき、トカゲが急に石から飛び降りた。

 庭木の根元を抜け、植木鉢の陰へ小さな身体が消える。

「あっ」

 フィンは思わず追いかけかけた。

 けれど一歩踏み出したところで、自分から足を止めた。

「……追ったら駄目だ」

 今度は誰かに言われたのではなく、自分でそう決めた。

 三人は少し離れたところから植木鉢の向こうを覗いたが、もう姿は見えなかった。石と土と草の色が入り交じる庭では、小さなトカゲが身を隠せば探すのは難しい。

 さっきまで張り切っていた分だけ、フィンの肩が目に見えて落ちた。

「逃げちゃったかな」

「そうかもしれないわね」

 リディアは、濡れた指先を見つめるように冷えた石へそっと触れた。

「フィンは、涼しくしてあげたかったのよね」

「うん」

「だったら、その気持ちまで間違いだったわけじゃないわ」

 フィンが顔を上げる。

「ただ、何をしてあげるか決める前に、その子が何をしているのか、もう少し見ていてもよかったかもしれないわね」

 エルナも、朝日を受けている最初の石へ目を向けた。

「私たちが見つけたときから、ずっと自分で日なたを選んでたもんね」

 それはトカゲという生き物全部についての話ではない。ただ少なくとも、今朝ここへ来た一匹は、何度場所を変えても日の当たる石へ乗っていた。

 フィンは自分が冷やした四枚を見回した。

「じゃあ俺、あいつが行く場所を順番に冷やしてただけか」

「結果だけなら、そうなってるね」

 エルナの返事に責める響きはなかった。

 フィンも少しだけ情けなさそうに笑う。

「助けるつもりだったんだけどなあ」

「次は先に見ればいいのよ」

 リディアが言った。

「何もしない方がいいと分かるのも、ちゃんと見た結果でしょう?」

 隣で聞いていたミアが、難しい顔で考え込んだ。

「みるのも、おてつだい?」

「そういうときもあるわね」

 その答えに納得したのか、ミアは大きくうなずいた。

 それから四人は、トカゲを探すことにした。

 ただし今度は、庭を歩き回らなかった。追われればまた隠れてしまうかもしれない。石垣、庭木の根元、草の隙間、植木鉢の陰を、それぞれの場所からじっと眺める。

 夏の庭に、先ほどまでとは違う静けさが戻ってきた。

 蝉に似た虫の声が遠くから重なり、乾いた葉が風に擦れる。冷やした石についた水滴だけが、少しずつ小さくなっていた。

 窓辺では、いつの間にかルクスが白い翼を休めている。

 家族の捜索には加わっていない――少なくとも本人としては、そのつもりなのだろう。

 ただ、その頭がゆっくりと庭の右側へ向いた。

 誰も気づかない。

 しばらくして、もう一度同じ方向を見る。

 今度はミアが気づいた。

「ルーちゃん?」

 呼ばれても返事はない。

 けれど金色がかった目は、離れへ続く小道の脇から動かなかった。

 ミアがその視線を追い、小さく息を呑む。

「あ……」

 今度は叫ばなかった。自分で両手を口に当ててから、囁く。

「いた」

 大きな石の上に、小さなトカゲがいた。

 朝日がよく届く場所で、何事もなかったように身体を伏せている。

 フィンも見つけたが、今度は立ち上がらなかった。冷やすための手も伸ばさない。ただその場へ腰を下ろし、少し離れたところから眺める。

 ミアも隣へ座った。

 エルナまで加わって、三人でしばらく黙っていた。

 何もしないでいると、先ほどまでよりずっとよく見えた。

 トカゲはときどき頭を動かし、身体の向きを少し変える。それから十分に時間が経つと、今度は自分から石を降り、庭木の陰へ走っていった。

「行っちゃったね」

 ミアが名残惜しそうにつぶやく。

「うん」

 フィンは笑った。

「でも、今度は自分で行ったからいいんだよ」

 その言葉どおり、追いかけることはしなかった。

 昼前には、四枚の石もいつの間にか周りと変わらない温度へ戻っていた。

 工房から店の合間に庭へ出てきたオスカーは、不自然な間隔で並んだ石を見つけて首をかしげた。

 事情を聞いたあと、「なるほどなあ」と笑う。

「それで、何を直したんだ?」

 てっきり冷却術式の話を聞かれると思っていたフィンは、少し考えてから自分の胸を指した。

「魔法じゃなくて、使う前の俺」

 オスカーは一瞬きょとんとした。それから、息子の頭を軽く撫でる。

「そっちなら、忘れない方がいいな」

 午後になると、ミアは朝の出来事を一枚の絵にした。

 紙いっぱいの黄色い太陽。その下に、実物より何十倍も大きな緑のトカゲ。そしてなぜか、その隣には小さな白い鳥まで描かれている。

「ルーちゃんもかいた!」

 窓辺にいた本人へ差し出すと、ルクスはしばらく絵を見つめた。

 どう見ても、トカゲより小さい。

 白い翼の先がぴくりと動いた。

「ルーちゃん、トカゲさんみつけたから!」

 説明されても何も答えず、顔をそむける。

 フィンはそんな白い背中を見て笑った。

「ありがとな、ルクス」

 やはり振り向かなかった。

 けれど、窓辺から飛び去りもしなかった。

 夕方、日差しがいくらか柔らかくなってから、フィンとミアはもう一度、朝の石のところへ行った。

 トカゲの姿はなかった。

 明日また来るかもしれないし、もう来ないかもしれない。それは二人には分からない。

「またきたら、ひやさない?」

 ミアが聞く。

 フィンは少し考えたあと、笑って首を横へ振った。

「まず見る」

「おみずは?」

「まず見る」

「おいかける?」

「それも、まず見る」

 ミアはその答えが気に入ったらしく、「じゃあ、いっしょにみる」と満足そうにうなずいた。

 少し離れた窓辺から、ルクスが二人を眺めている。

 フィンが気づいて手を振ると、白い鷹のような姿は露骨に面倒そうな顔をした。

「助けるなら、まず相手を見ろ。勝手に世話を焼いて追い回した挙げ句、探すのまで付き合わされる方が迷惑だからな」


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