第2話 流れ星は台所を飛ぶ
星冠暦826年・実成月13日・木耀日
朝食のあと、オスカーは工房の机に向かっていた。
目の前にあるのは、昨夜使った銀色の調光具だ。
道具そのものには、もう問題はない。オスカーが真剣な顔で書いているのは、その横へ取り付ける小さな札だった。
『明るくする境目と、暗くする境目は分けること』
一度書いてから、首をひねる。
『自分の光を測定に含める場合は――』
「長い」
背後から声がした。
振り返ると、エルナがいた。
「注意書きは正確な方がいいだろ」
「正確でも、読まれなかったら意味ないよ」
「じゃあ、どう書く?」
エルナは少し考え、札を指さした。
「『切替境界を同じにしない』」
オスカーも考える。
「……短いな」
「短いね」
「よし、それでいこう」
素直に書き直す父を見て、エルナは少し笑った。
昨日、家と店先をそろって明滅させた甲斐が、少なくとも一つはあったらしい。
居間ではフィンが大あくびをしていた。
昨夜は流れる光を見ようと、いつもより長く庭にいた。夏休みで朝を急ぐ必要がないとはいえ、十一歳の身体には少々夜更かしだったようだ。
その横で、ミアだけは朝から元気だった。
「きょうも、おほしさまいっぱい?」
窓辺のルクスへ尋ねている。
ルクスは答えず、羽の間へ嘴を入れた。
「きょうも、ながれる?」
白い頭が一度だけ上がり、すぐ戻る。
ミアはそれを肯定と受け取ったらしい。
「ながれるって!」
「ルクス、一言も言ってないぞ」
フィンが笑った。
そこへ台所からリディアが顔を出した。
「今夜も見られるといいわね」
「ミア、きょうもみる!」
「じゃあ、少し早めにお昼寝しておこうか」
「しない!」
返事だけは流れ星より速かった。
しばらくして。
ミアは食卓で果実水を飲みながら、唐突に言った。
「ながれぼし、たべたい」
フィンの手が止まる。
「食べる?」
「うん」
「星を?」
「うん!」
エルナが真面目な顔になる。
「本物は食べられないよ」
「それは説明しなくても分かるだろ、姉ちゃん」
「ミアには一応――」
「星の形のお菓子なら作れるんじゃない?」
リディアが助け舟を出した。
ミアの顔がぱっと輝く。
「つくる!」
その声を聞きつけ、オスカーが工房から顔を出した。
「何を?」
「流れ星のお菓子」
フィンが答える。
「面白そうだな」
エルナとフィンが同時に父を見た。
昨日の今日である。
オスカーは苦笑して肩をすくめた。
「なんだ、その目は」
「別に」
「何も言ってないよ」
「言ってないから余計に分かるんだよ」
結局、作ることになった。
果実水へ細かく切った果物を混ぜ、六つの星形が並ぶ型へ流し込む。冷却術式を使えば、夕方まで待たなくても冷たい菓子にできる。
そこまでは問題なかった。
問題は、出来上がった星を型からきれいに外すところである。
「ここでだな」
オスカーが楽しそうに小さな術式板を取り出した。
「昨日のこと忘れてない?」
エルナが聞く。
「忘れてないから、今日は最初から試すんだ」
「それは進歩」
「褒め方!」
オスカーが作ったのは、型外し用の弱い浮揚術式だった。
凍った菓子を無理に引っ張る代わりに、それぞれを少しだけ浮かせる。
六つの星がぶつからないよう、型の各位置には、中心から外側へ離れる方向があらかじめ固定されていた。そのうえで小さな誘導環を皿の脇へ置くと、二段階目の術式が星を決められた受け取り位置へ寄せる。
人の言葉を理解して皿を探すわけではない。
離型する方向と、誘導環の位置。
参照するのは、それだけだった。
魔力源は小さな蓄魔石で、出力も菓子をわずかに浮かせられる程度に抑えてある。
「一個だけ試すぞ」
オスカーは手前の星だけを起動した。
氷菓が型からふわりと離れ、隣の星にぶつからないよう少し外へ動く。そこから誘導環に従って向きを変え、皿の上へ静かに降りた。
「おお」
フィンが身を乗り出した。
ミアは目を丸くしている。
「おほしさま、とんだ!」
「成功だな」
オスカーが胸を張った。
エルナも術式板を覗き込む。
「出力も安定してる。昨日みたいに、自分の結果を拾って切り替わる仕組みでもないし」
「昨日の話はもういいだろ」
「今日の設計に生きてるんだから、いいことでしょ」
「そう言われると反論しにくいな……」
残った五つを見て、ミアが両手を伸ばした。
「ミアもやる!」
「じゃあ一回だけな」
オスカーは術式板をミアの前へ置いた。
「ここに触ればいい。あとは道具が決めてある通りに動くからな」
「うん!」
そのとき、オスカーは最初の星を皿から取ろうとして、誘導環も一緒に持ち上げた。
ほんの一瞬だった。
本人も気づいていない。
ミアは目の前に残った五つの星を見た。
そして、満面の笑みで言った。
「ながれぼしみたいに!」
小さな指が術式板へ触れる。
五つの星が、ふわりと浮いた。
そこまでは予定どおりだった。
そして五つとも、それぞれの型に固定された方向へ動き出した。
一つは食卓の端へ。
一つは窓の方へ。
一つは戸棚の上へ。
残る二つは左右へ分かれ、ゆっくりと台所を横切っていく。
「……あ」
オスカーの手の中に、誘導環があった。
冷えた表面に夏の湿った空気が触れ、星の後ろへ細い白い霧が伸びている。
まさしく、小さな流れ星だった。
「わああ!」
ミアが歓声を上げた。
「本当に流れ星にしなくていいんだぞ!」
オスカーが慌てて皿を取る。
フィンは窓へ向かう一つを見つけた。
「こっちは俺が取る!」
「走らないでよ!」
エルナが声をかけながら、戸棚の上へ向かう星を追う。
浮揚そのものは弱い。
一定時間が過ぎれば術式が切れ、真下へ落ちる。
だから急がなくてはいけない。
しかし、急ぎすぎてもいけない。
ぽとっ。
「ほら!」
エルナが広げた布へ、一つ目が落ちた。
「取った!」
「こっちも!」
フィンが皿で二つ目を受け止める。
リディアは笑いをこらえながら、別の皿をオスカーへ渡した。
「慌てなくていいから、足元に気をつけてね」
「分かってる!」
「昨日も似たようなことを言ったわね」
「……言われたな」
三つ目がオスカーの皿へ落ちた。
四つ目は開いた戸口から工房へ向かっている。
その先には工具箱があった。
果実水まみれにはしたくない。
誰より先に動いたのはルクスだった。
窓辺から白い翼が降りる。
一度だけ羽ばたく。
弱い浮揚に乗っていた星が風に押され、ゆっくり進路を変えた。
くるり。
フィンが差し出した皿へ落ちる。
「おお!」
フィンが声を上げた。
「ルーちゃん、すごい!」
ミアが拍手する。
ルクスは何事もなかったように食器棚の上へ移り、そっぽを向いた。
最後の一つは、頭より少し高いところを漂っていた。
そこへアルノが台所へ入ってくる。
「何をしておる?」
全員が上を向いた。
アルノもつられて上を見る。
星形の氷菓が、ふわふわと目の前を横切った。
「……今日の天体観測は室内なのかの?」
「先生、違います」
「見れば分かる」
エルナが最後の星を布で受け止める。
これで全部。
床へ落ちたものはなかった。
オスカーは手の中の誘導環を見下ろした。
「原因、これだな」
「誘導環を外したまま起動したから、最初の離型方向へそのまま進んだんだね」
エルナが術式板を確かめる。
アルノもうなずいた。
「道具は間違えておらん。決められた方向へ、決められた時間だけ動いただけじゃ」
「ってことは、こっちの設計が甘い」
オスカーはすぐに椅子へ座った。
術式板を開き、誘導環との接続条件を書き足していく。
「誘導環が所定の位置にないときは、離型術式そのものを起動させないようにする」
エルナが横から確認する。
「うん。その方がいい。途中まで動いてから困るより、最初から動かない方が安全」
「動くことより、止まれること。ついでに、動かない方がいいときには動かないこと、だな」
オスカーが笑った。
フィンが皿の上の星を見下ろす。
「でも、ちょっときれいだったよな」
「ミア、もういっかいやりたい!」
「それは却下」
今度はオスカー、エルナ、フィンの声がきれいに重なった。
ミアはきょとんとしてから、楽しそうに笑った。
修正した術式でもう一度試す。
わざと誘導環を外す。
起動しない。
誘導環を所定の位置へ戻す。
今度は起動する。
残しておいた新しい星形の氷菓がふわりと型から離れ、決められた道筋を通って、仲良く皿へ降りた。
「できた!」
ミアが両手を上げる。
「今度こそな」
オスカーも笑った。
夕食のあと。
一家は昨夜と同じように庭へ出た。
昨日の調光具は、書き直された注意札をつけて静かに働いている。
その横の小卓には、昼間に作った星形の氷菓。
夜空を走る本物の光を待ちながら、一つずつ食べる。
「こっちのお星さまは、つめたいね」
ミアが言った。
「そりゃ氷だからな」
フィンが答える。
「本物は食べられないけどね」
エルナが付け足す。
オスカーは笑った。
「今日は本物より偽物の方がよく飛んだな」
「台所限定だけどね」
リディアも笑う。
やがて、頭上を一筋の光が走った。
今度の星は誰も追いかけない。
誰も皿を構えない。
ただ、一緒に見送った。
ミアの隣にいたルクスも、しばらく夜空を見上げていた。
それから昼間の騒ぎを思い出したように目を細める。
「星は空を飛ぶだけで十分だ。台所まで飛ばすな。……お前たちが散らばって追いかけると、見張る場所が増えて迷惑なんだ」




