第1話 星待ち灯は暗すぎる
星冠暦826年・実成月12日・水耀日
実成月の午後は、窓を開けても風までぬるかった。
風見鶏通り17番地では、夏季休業まっただ中の三人が、それぞれ好きな場所に散らばっていた。エルナは居間で本を読み、フィンは庭から汗だくで戻り、ミアは床いっぱいに紙を広げて何かを描いている。
そこへ工房から、オスカーが上機嫌で顔を出した。
「できたぞ」
エルナが本から目だけを上げた。
「何が?」
「その聞き方、もう少し期待してくれてもよくないか?」
「期待はしてるよ。だから先に用途を聞いてるの」
フィンが水を飲みながら笑った。
「父さんの『できた』って、完成したって意味と、これから試すって意味の二種類あるし」
「今日は後者だ」
「やっぱり」
ミアだけがぱっと立ち上がった。
「ミア、みる!」
「よし。ミアは分かってるなあ」
窓辺で羽づくろいをしていたルクスが、白い頭をわずかに上げる。オスカーの手にあるものを一瞥すると、また羽へ嘴を戻した。
掌ほどの銀色の輪に、小さな蓄魔石と細い術式線が組み込まれている。試作の調光具だった。
「今朝から街で、今夜は夜空を走る光がいつもより多く見えそうだって話になってただろ。せっかくだから庭で見ようと思ってな」
「それで明かりを暗くするの?」
エルナが立ち上がる。
「そう。ただ消すんじゃ危ないから、周囲の明るさに合わせて足元灯を自動調整する」
仕組みは単純だった。
周囲がまだ十分に明るければ、照明の出力を最低まで落とす。暗くなって足元が見えにくくなる境目まで来たら、決められた出力まで明るく戻す。術式核に固定された条件と、制御環による二段階の出力切り替えだけで動く。
「変な出力になったら安全術式で止まる。そこは先に確認した」
オスカーが言うと、フィンがうなずいた。
「止まれるの、大事だもんな」
「そういうことだ」
オスカーの返事は短かったが、少しだけ満足そうだった。
昼すぎには保健院から戻っていたリディアも、試作品を覗き込む。
「星を見るための道具なのね。素敵じゃない」
「だろ?」
「ええ。ちゃんと試してから使うなら」
オスカーが一拍置いた。
「……もちろん」
エルナとフィンが同時に視線をそらした。
夕方、店に客がいない時間を見計らって試験が始まった。
対象にしたのは、庭の照明と、庭へ光が漏れやすい居間と店先の照明だけだった。オスカーは三つを試験用の導魔路へまとめ、銀の調光具を接続する。
西の空から赤みが薄れ、石畳の影が長くなる。
やがて周囲の明るさが設定した境目を下回った。
ぱっ、と三つの照明が足元灯の明るさまで上がる。
「おお」
フィンが声を上げた。
次の瞬間。
すうっ、と三つとも暗くなった。
「あれ?」
また、ぱっ。
すうっ。
ぱっ。
すうっ。
庭と居間と店先が、そろって妙に律儀な明滅を始めた。
ミアが目を輝かせる。
「おうち、まばたきしてる!」
「してほしくないまばたきだな!」
オスカーが調光具を外そうとする。その横からエルナが術式線を覗き込んだ。
「待って、お父さん。壊れてない」
「分かってる。だから困ってる!」
明るさが境目を下回る。
足元灯が明るくなる。
その光を調光具自身が拾い、今度は境目を上回る。
照明を落とす。
暗くなった結果、また境目を下回る。
同じ一つの境目を、行ったり来たりしているのだ。
しかも切り替えているのは、最初から許可された二つの出力だけである。過負荷でも暴走でもない。安全術式からすれば、何ひとつ異常ではなかった。
「正常に迷惑だ……」
オスカーが額を押さえる。
そのとき、離れの方からアルノが歩いてきた。庭と店先が同じ調子で明滅していれば、さすがに研究室にいても気づく。
「オスカー君。新しい祭りなら、わしにも予定を知らせてほしいんじゃが」
「先生、祭りじゃありません」
「見れば分かる」
アルノは調光具を覗き込み、すぐに白い眉を上げた。
「境目が一つか」
「やっぱりそこですよね」
「明るくする境目と暗くする境目を少し離せば――」
「往復しなくなる」
エルナの声が重なった。
アルノが楽しそうに笑う。
「先に言われたのう」
エルナは少し得意そうに胸を張った。
「理屈は単純だから」
「じゃあ姉ちゃん、直せる?」
「もちろん。たぶん」
「最後だけ急に弱いな」
フィンは笑いながら、オスカーに頼まれる前に工具箱を持ってきた。明滅の間を縫って床へ置く。
「父さん、これでいい?」
「助かる」
「暗いから足元、気をつけてね」
リディアが手持ちの小さな照明を掲げた。一定の明るさで灯るだけの、ごく普通の魔法具だ。
オスカーが工房へ急ごうとした瞬間、リディアが微笑む。
「オスカー」
「はい」
「走らない」
「……はい」
声は穏やかだった。
オスカーは素直に歩いた。
その頃ミアは、庭木の枝に移っていたルクスを見上げていた。明るくなったり暗くなったりするたび、白い姿だけが妙に目立つ。
「ルーちゃん、くらくてもみえるね!」
ルクスは片方の目だけでミアを見た。
「こっちおいでー」
返事はない。
けれど次に庭が暗くなったとき、白い翼が静かに開いた。ルクスはミアのすぐそばへ降りると、何でもないことのようにその場へ座り込む。
ミアは嬉しそうに隣へしゃがんだ。
工房では、オスカーとエルナが二つの切り替え境界を離して設定し直していた。アルノが術式の流れを確認する。
やがて、明滅が止まった。
庭の灯りは足元だけを淡く照らし、居間と店先も必要以上に庭へ光を投げなくなった。
「今度こそ大丈夫」
エルナが術式を確認する。
オスカーも一つずつ照明を見てから息を吐いた。
「最初からこうしておけばよかった」
「試作なんだから、今分かってよかったんじゃない?」
リディアの言葉に、オスカーは顔を上げた。
「……そうだな」
「ただし」
「はい」
「今日は改良版をもう一台作らない」
「まだ何も言ってないだろ」
「顔に書いてあるわ」
フィンが吹き出し、エルナも笑った。
夜が深まると、一家は庭へ椅子を出した。
昼間の熱を残していた空気も少しずつやわらぎ、屋根の上には星が増えていく。試作の調光具は今度こそ余計な切り替えをせず、足元にだけ控えめな光を落としていた。
フィンは椅子ではなく芝生へ寝転び、エルナは空を見上げながら、さっきの制御条件をまだ指で数えている。
「境目の幅は、もう少し狭くても――」
「姉ちゃん」
「何?」
「あっち」
フィンが指さした。
細い光が一筋、夜空をすっと横切って消えた。
「あ」
エルナが固まる。
「見逃した……」
「理論見てて空見てないからだよ」
「次は見る」
少しむっとしながら、今度は本当に空だけを見上げた。
ほどなくして二本目が流れた。
「見た!」
今度はエルナが誰より先に声を上げた。
ミアも両手を振る。
「ミアもみた!」
オスカーが笑い、リディアも空を見上げた。アルノは椅子へ深く腰掛けたまま、目を細めている。
さっきまでの明滅が嘘のように、庭は静かだった。
ミアが急に目を閉じる。
「お願いごと?」
リディアが尋ねると、ミアは大きくうなずいた。
「うん!」
「何をお願いしたの?」
「ひみつ!」
その答えに、皆が笑う。
ルクスだけは笑わなかった。
けれど、ミアの隣から離れもしなかった。
もう一つ、光が夜空を走る。
オスカーはそれを見届けてから、庭の片隅で静かに働く試作品を眺めた。
「明日、注意書きを付けるか。『自分の照明を測定に含めるときは、切り替え境界を分けること』」
「それ、絶対に書いた方がいい」
エルナが即答した。
「俺も覚えた」
フィンが言う。
「ミアも!」
「ミアは何を覚えたんだ?」
「おうち、まばたきする!」
「そこじゃないなあ」
また笑い声が上がった。
ルクスは家族の顔を順に見回し、最後に足元の灯りへ視線を落とした。
「星は暗いほどよく見えるらしいが、お前たちまで見えなくするな。……転ばれて騒がれるのは迷惑だ」




