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風見鶏通り17番地、今日も魔法日和  作者: リタイアルーキー


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27/87

第27話 乾いた端まで雨が来る

 星冠暦826年・収穫月7日・月耀日

 雨が降り始めたのは、午後になってからだった。

 朝のうちは薄い雲が流れていただけなのに、昼を過ぎるころから空の色が少しずつ重くなった。やがて風見鶏通りの石畳へ、ぽつり、ぽつりと濃い丸が増え、それが互いにつながるころには、軒を叩く音もすっかり雨らしくなっていた。

 居間の窓辺では、7から10までの紙輪が四つ揺れている。

「雨!」

 ミアが窓へ駆け寄った。

 庭へ出るつもりだったフィンは、開けかけた戸をそのまま閉じる。

「今日は無理そうだなあ」

「何が?」

 本を読んでいたエルナが尋ねた。

「外」

「広すぎない?」

「外で走るの」

「やっぱり走るつもりだったんだ」

 フィンが何か言い返そうとしたところで、店の扉が開いた。

「あ、ママ!」

 保健院での短時間勤務を終えて帰ってきたリディアは、軒下で上着についた雨粒を軽く払ってから中へ入った。それでも裾や履物から落ちた水が、入口の石床へ小さな染みをいくつも作る。

 迎えに行きかけたミアは、その手前で足を止めた。

「ぬれてる」

「そうね。ここはゆっくり歩きましょう」

 リディアも濡れたところを踏み広げないように中へ入る。

 工房から顔を出したオスカーは妻に「おかえり」と言ったあと、すぐ床へ目を落とした。

「結構落ちたな」

「思ったより降っていたの」

「この辺だけ濡れると、誰か踏んだとき危ないな」

 オスカーは乾いた布を持ってきて水を拭った。それだけで石床はほとんど元へ戻り、リディアはそこで話が終わったつもりで上着を掛ける。

 ところが振り返ると、オスカーの姿がない。

 代わりに工房から、引き出しを開けたり閉めたりする音が聞こえてきた。

「オスカー」

「まだ何もしてないぞ」

 奥から返事だけが来た。

 リディアは少し笑う。

「何をしようとしているの?」

「だから、まだ何も」

 長椅子から様子を見ていたエルナが本を伏せた。

「お父さん、それ昨日までに何回か聞いた答えだよ」

「回数は数えなくていい」

 雨脚が少し強くなった。

 軒先を流れる水の音を聞きながら待っていると、しばらくしてオスカーが厚手の敷布を抱えて戻ってきた。

 布の表面は細い術式糸でいくつもの四角へ区切られている。区画の境には水を通しにくい処理がされていて、そのままなら一つの区画へ落ちた水は隣へほとんど染み出さない。端には小さな蓄魔石と解除扣が付いていた。

「今作ったの?」

 フィンが身を乗り出す。

「試すところまでな」

 オスカーは敷布を乾いた床へ広げた。

「入口って、濡れる場所が偏るだろ。だったら一か所へ水が集まらないように、布の中で分けてやればいいと思って」

「乾かすんじゃなくて?」

 エルナが尋ねる。

「そこまではしない。布が抱えた水を、偏らせないだけだ」

 子どもたちを少し離れさせてから、オスカーは一つの区画へ匙一杯ほどの水を落とした。

 水は丸い染みになったものの、縫い目の向こうまでは広がらない。そこまで確かめてから蓄魔石を起こすと、しばらくして最初の染みがわずかに薄くなり、隣の四角へ新しい染みが現れた。

 その隣にも、さらに少し。

 初めは一か所だけ濃かった水が、術式糸を渡るようにゆっくり分かれていく。

 ミアが目を丸くした。

「おみず、おひっこししてる」

「そんな感じだな」

 やがて区画ごとの濡れ方が近くなると、それ以上は動かなくなった。

 オスカーは解除扣を外して布を確かめる。

「よし」

「成功?」

 フィンが聞いた。

「少なくとも、今の試し方ならな」

 その言い方に、リディアが少しだけ眉を上げた。

 オスカーも気づいたらしい。

「何だよ」

「何も言ってないわ」

「顔に書いてある」

「誰かさんに教わったの」

 雨はまだ降り続いていた。

 店に客がいないのを確かめ、オスカーは試作の敷布を入口へ置いた。布の半分は軒に近い外側、残りは店の内側へ入っている。

 濡れた履物で入ってきても、一か所ばかりが水浸しにならない。その程度の働きを期待していた。

 家族は布を踏まない位置から様子を見る。

 風に押された細かな雨粒が外側へ吹き込み、いくつかの四角を濃くした。ほどなくして水は隣へ分かれ始め、最初の試験と同じように、濡れ方の偏りが少しずつ消えていく。

「ちゃんと動いてるな」

 オスカーが満足そうに言った。

 ミアは増えていく染みを指で数えていたが、途中でその指を止めた。

「パパ」

「ん?」

「雨、こっちに歩いてる」

 指しているのは店の内側だった。

 外から雨が吹き込んでいる場所ではない。

 それなのに、さっきまで乾いていた一番外寄りの四角から、その隣、そのまた隣へと、濡れた色が少しずつ近づいてきている。

 窓辺にいたルクスも羽づくろいをやめた。

 オスカーは布のそばへしゃがみ込みかけ、触れずに動きを止める。

 外側には今も新しい雨粒が落ち続けていた。雨が加わるたびにそこだけが周囲より濡れ、敷布は生じた差を埋めるように水を隣へ渡す。渡った先でまた濡れ方に差ができれば、その差も次へ送られる。

 人間なら入口の縁を見て「ここから先は店の中だ」と考える。

 けれど敷布が比べているのは、隣り合った区画の水の多さだけだった。

 店内側が乾いているかぎり、そこにはまだ水を分ける余地がある。

 リディアが、じわじわ近づいてくる染みを見て笑った。

「ずいぶん平等なのね」

 オスカーは額へ手を当てた。

「……そういうことか」

 フィンが布を覗き込みながら聞く。

「何が?」

「俺は水が偏らないようにしたかった。でも、こいつには入口の外と中なんて関係ないんだ。水が多いところと少ないところしか見てない」

 その説明を待っていたように、一番内側まで届いた水が布の端へ集まり、小さな一滴となって石床へ落ちた。

 ミアが感心したように息を呑む。

「ほんとに、おうちまできた」

「そこまで来なくていいんだよなあ」

 オスカーが解除扣を外すと、それまでゆっくり進んでいた濡れ色はそこで止まった。

 リディアは新しい乾いた布を持ってきて、床に落ちた一滴だけを拭う。魔法も術式糸もない、ごく普通の布だった。

「結局、今はこれが一番早いわね」

「否定できない」

 オスカーは苦笑したものの、すぐ工房へ試作品を持ち帰ろうとはしなかった。

 雨の音が続く入口にしゃがんだまま、端から端まで濡れた布を眺めている。

 失敗したのは、水を動かす仕組みそのものではない。

 むしろ狙ったとおりに動き続けたからこそ、人間の都合とは違うところへ行ってしまった。

「水を均すのと、乾いた場所を残すのは別だったな」

 ぽつりと言うと、リディアが隣へ立った。

「今日分かってよかったじゃない」

「店の中まで濡らしたけどな」

「一滴だけね」

「一滴でも店の中だ」

「じゃあ次は、その一滴を入れない方法を考えればいいでしょう」

 オスカーは妻を見上げた。

 少しだけ悔しそうだった顔が、そこでようやくほどける。

「今日は考えるだけにしておく」

「ええ」

「作らないとは言ってないぞ」

「今日は、ね」

 夕方が近づくにつれ、雨は少しずつ細くなった。

 軒から落ちる雫の間が長くなり、濡れた石畳の向こうにも明るさが戻ってくる。蓄魔石を外した試作布は雨の当たらない軒下へ広げられ、四角ごとに残った濃淡をゆっくり薄くしていた。

 家の中にも夕食の匂いが満ちてくる。

 昼間は庭へ出られないとぼやいていたフィンも、いつの間にか雨のことを忘れ、食卓で今日の話を蒸し返していた。

「でもさ、最初の試し方ではちゃんと成功してたんだよな」

「だから余計に困るんだ」

 オスカーが答える。

「失敗するなら、最初から失敗してくれた方が分かりやすい」

 エルナは少し考えてから首を横へ振った。

「でも、入口で試さなかったら分からなかったんじゃない?」

「それも否定できない」

 今日はオスカーの負けが多い。

 リディアが笑い、フィンもつられて笑った。

 食事が終わるころには、雲の切れ間から薄い夕空が見えていた。

 窓を少し開けると、雨上がりの湿った風が入ってくる。

 その風に揺れた紙輪を見て、ミアが椅子から降りた。

「きょう、おわり」

 7番の輪を両手で外す。

「雨も終わったしな」

 フィンが窓の外を見る。

 ミアは外した輪を「おえかきのおうち」まで運び、これまでの六つが入っている深い袋へそっと加えた。色の違う輪が重なり、窓辺に残った数字は8、9、10の三つだけになる。

 エルナはそれを見上げてから、昼間から開いたままだった本を手元へ引き寄せた。

 夏休みは、あと三日。

 庭へ出られなかった午後も、店の中まで雨が一滴やってきた午後も、終わってみれば同じように一日分だけ過ぎている。

 軒下では、乾きかけた試作布から最後の雫が落ちた。

 昼から窓辺にいたルクスは、その音に一度だけ目を向ける。

 外の雨が布の中を伝って店へ入り、オスカーが慌てて止めたところまで、ずっと見ていた。

 工房へ戻ろうとしたオスカーへ金色がかった目を向け、白い翼を小さく震わせる。

「雨は戸口で止めろ。店の中まで招くな、オスカー」


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