第24話 一枚奥のミア
星冠暦826年・収穫月4日・金耀日
「……ミアがいない」
出来上がったばかりの記像板を見て、フィンが最初にそう言った。
隣から覗き込んだエルナも、すぐには何も言わなかった。
一枚の中に並んでいるのは三つ。
エルナ。
フィン。
そして、見覚えのある古い記像板。
三人で撮ったはずなのに、ミア本人の姿だけがない。
「ほんとだ」
ようやくエルナが言った。
「ミア、いない」
本人まで一緒になって首を傾げる。
映姿板を操作していたマルタ・ローデは、出来上がった板と、目の前に立っているミアを交互に眺めた。
しばらくして、口元がゆるむ。
「いないように見えるけど、いるわよ」
「どこ?」
ミアがぐっと身を乗り出した。
マルタが指したのは、新しい記像板の中に写った古い記像板だった。
そこには、小さく並んだ五人の家族と香草鉢、それに白いルクスがいる。
そして五人の中には、半月ほど前のミアもちゃんといた。
「あ!」
小さな指が自分を見つける。
「ミアいた!」
フィンはしばらく我慢していたが、とうとう笑った。
「一枚奥にいるじゃん」
話は、ほんの少し前へ戻る。
昼前、クラウゼル魔法具店の前を通りかかったマルタは、肩に細長い木箱を掛けていた。
これから別の肖像仕事へ向かうところらしい。
店先にいたオスカーへ挨拶だけしていくつもりだった彼女が足を止めたのは、扉の近くに飾られた一枚を見つけたからだった。
「まだ残してくれてたのね」
実成月19日に、この店で試験したときの記像板だった。
小さく並んだ五人。
やけに立派な香草鉢。
同じ一枠へ収められたルクス。
写したい相手を指定する仕組みへ改める前にできた、少々窮屈な肖像である。
あの日、マルタはその一枚を試験のお礼としてミアへ渡した。
ミアは「ここにいたの、みんないる」と喜び、前日に描いた風見鶏の絵の隣へ飾った。
それから半月ほど経っても、場所は変わっていない。
「ルーちゃんもいるよ」
今日もミアが板の中の白い鳥を指した。
本物のルクスはすぐ近くの窓枠にいた。
呼ばれたからではなく、もともとそこにいたのだが、板の中の自分を一瞥したあと、何事もなかったように通りへ顔を戻す。
「本人の許可を取らずに写った一枚だったわね」
マルタが笑う。
白い頭が、ほんの少しだけこちらを向いた。
その反応を見て、フィンも笑った。
マルタは肩の木箱へ手を添えた。
「そうだ。三人とも、まだお休みでしょう?」
「うん」
「せっかく今日はそろってるし、仕事へ行く前に一枚撮ってあげようか」
ミアはすぐに両手を上げた。
フィンも異論はないらしい。
エルナだけは読んでいた本へ一度視線を戻したが、結局は栞を挟んで閉じた。
「すぐなら」
「すぐよ」
店先の一角を少し空ける。
マルタが木箱から取り出した映姿板は、以前ここへ持ち込んだものと同じだった。
黒い木枠。
銀灰色の板。
背面の小さな蓄魔石。
ただし、中の仕組みはあの日のままではない。
マルタは三枚の小さな指定銅片を取り出した。
「今日はこれを一人一枚」
エルナとフィン、それにミアへ一枚ずつ留める。
映姿板は、三人が姉弟であることを知らない。
子どもであることも知らない。
最初に正面全体を記像し、その中で周囲から分離した閉じた輪郭を候補として拾う。そのうち、指定銅片の短い信号を含む候補だけを最終的な一枚へ残す。
だから、写したい相手を決めるのは映姿板ではなく、銅片を付ける側だった。
「少しずつ間を空けてね。くっつかないくらいでいいわ」
マルタの指示で、三人は横へ並んだ。
ミアはエルナの近くへ寄りたそうにしたが、足一つぶんだけ隙間を残す。
フィンも反対側に同じくらいの間を取った。
準備が終わりかけたころ、店の扉が開いた。
通りから吹き込んだ風に、ミアの風見鶏の絵が大きく揺れる。
その隣の古い記像板も、上を留めていた木の挟み具がずれて、片側だけ壁から浮いた。
「あっ」
一番近くにいたミアが駆け寄った。
板が落ちる前に両手で押さえる。
「お父さん、これ」
工房ではちょうど客と話していたオスカーが振り返った。
「そこに留め直しておいてくれるか」
「うん!」
ミアはずれた木の挟み具を拾った。
けれど、小さな手で記像板を支えながら挟み具まで扱うのは少しやりにくい。
そこで胸元の指定銅片が目に入った。
留め具が付いている。
ミアはそれを服から外し、記像板の表面の隅へ重ねた。
その上から木の挟み具でまとめて留める。
銅色の小片は、古い記像板の四角い輪郭の内側にきちんと収まった。
「できた!」
その瞬間、マルタから声が飛ぶ。
「ミアちゃん、こっち向いて」
「はーい!」
ミアは満足して三人の列へ戻った。
胸元が軽くなったことには気づかない。
窓辺のルクスは、壁の古い記像板へ目を向けた。
その隅で光る銅片を見る。
次に、何も付いていないミアを見る。
白い頭が少し傾いた。
しかし何も言わなかった。
マルタは三人の位置をもう一度確認した。
互いの輪郭は触れていない。
古い記像板も三人から離れた壁際にあり、四角い外形がはっきり見えている。
「そのままね」
映姿板の起動部へ触れた。
淡い光が店先を横切る。
熱もなく、身体を押す力もない。
三人が身じろぎするほどの時間もかからず、光は消えた。
マルタが記像板を取り出す。
そしてフィンが、
「……ミアがいない」
と言ったのである。
事情が分かったのは、そのあとだった。
マルタは撮像した場所を見回し、壁際で目を止めた。
古い記像板の隅に、小さな銅色が残っている。
「これね」
ミアも自分の胸元を見た。
何もない。
それから壁を見る。
「あっ」
エルナは新しい記像板と古い方を見比べた。
「ミアじゃなくて、こっちが指定されてたんだ」
古い記像板は、壁を背景に一つの四角い輪郭として分かれている。
その輪郭の内側に、ミアが外した指定銅片があった。
一方、現在のミアには指定の信号がない。
映姿板にとっては、それだけで十分だった。
「昔の肖像にミアが写ってるから、ミアを選んだわけじゃないのよ」
マルタが古い板を指先で軽く示す。
そこに残っている肖像は、もう魔法を使って動いているものではない。
半月前の撮像が終わった時点で定着した像だ。
その中に人間が五人いようと、鉢植えがあろうと、ルクスがいようと、今日の映姿板がそれぞれの意味を読み取ったわけではない。
今日選ばれたのは、その全部を表面へ残した一枚の記像板だった。
「だから、昔のミアまで一緒に来たんだ」
フィンが笑う。
ミアは新しい一枚の中にいる小さな自分を覗き込んだ。
「むかしのミア?」
「半月くらい前だけどね」
エルナも笑った。
マルタは出来上がった一枚をもう一度眺めた。
肖像を仕事にしている以上、写すはずの一人が欠けていれば撮り直しである。
普段なら迷うところではない。
けれど、交換用の記像板へ手を伸ばす前に、彼女は一度だけ動きを止めた。
エルナとフィンの横に、古い記像板が一枠。
その一枚の中には、半月前の家族と鉢植えとルクス。
さらに小さなミアまでいる。
正しい三人の肖像ではない。
それでも、この家でどうしてこんな一枚ができたかを知っている者には、妙に説明の要らない顔をしていた。
「これは、どうする?」
ミアに尋ねる。
返事は早かった。
「いる!」
「そう言うと思った」
マルタは笑い、その一枚を交換箱へ戻さなかった。
二度目は、古い記像板を撮像範囲の外へ移した。
指定銅片も三枚とも本来の場所へ戻し、マルタがもう一度だけ立ち位置を整える。
今度のミアは、自分の胸元を何度も確かめていた。
「ある」
「今度はあるな」
フィンが笑う。
エルナも自分の銅片へちらりと目を落としたが、三人とも先ほどと同じように少しずつ間を空けたままだった。
二度目の淡い光が店内を走る。
新しい記像板には、今度こそ三人だけが収まった。
ミアは出来上がった二枚を左右の手に持ち、何度も見比べた。
一方には、今日の三人。
もう一方には、今日のエルナとフィン、それに半月前の肖像を抱えた一枚。
そして後者を覗けば、そのさらに中に小さなミアとルクスがいる。
どちらを長く見たかといえば、やはり少し変な方だった。
「ルーちゃんもいる」
ミアが嬉しそうに指した。
「今日写ったわけじゃないぞ」
フィンが言う。
「でもいるよ」
その理屈は、ミアの中では十分らしい。
マルタは二枚ともミアへ渡した。
「こっちは今日の三人。こっちは……今日と前の一枚が一緒になった方ね」
「みんな!」
「じゃあ、それで」
マルタは木箱へ映姿板を戻した。
以前この店で調整した仕組みは、今日も壊れていない。
指定された候補だけを残した結果が少しおかしかったのは、道具ではなく、指定銅片の置き場所の方だった。
それ以上いじるところは何もない。
仕事へ向かうマルタを見送ったあと、古い記像板は元の場所へ留め直された。
新しく増えた二枚は、ミアが何度も見たがるので居間へ持っていくことになった。
夕方には窓辺の紙輪も一つ減った。
4番の輪が1番から3番までの待つ袋へ入り、窓辺に残ったのは5から10までの六個になった。
けれど、その日のミアは紙輪をしまったあとも、二枚の新しい記像板の前へ何度も戻った。
ちゃんと三人が写っている方を見てから、少し変な方を見る。
そこでは自分だけが一枚奥にいて、その奥には今では居間の窓辺にいる白い姿まで残っている。
店から居間へ場所を移していたルクスも、とうとう二枚を覗き込んだ。
今日の一枚にはいない自分。
もう一方の奥には、半月前の自分。
それを何度も指さすミアへ、金色がかった目が細くなる。
「俺は今日、撮影場所に出てもいないぞ。半月前の俺を勝手に連れてくるな、ミア」




