第21話 十個の輪、あと十日
星冠暦826年・収穫月1日・火耀日
ミアは朝から、指を折っては開いていた。
右手を全部使い、続いて左手へ移る。十まで数え終わると、壁の日付を見上げ、また親指からやり直す。
長椅子で本を読んでいたエルナは、三度目あたりでようやく気づいた。
「何を数えてるの?」
「なつやすみ」
「夏休み?」
ミアは大きくうなずいた。
昨日まで実成月だった日付は、今日から収穫月になっている。
月が変わっても、窓から入る風にはまだ夏の温さが残っていた。庭からは虫の声が聞こえ、学校へ行く支度をしている者も、この家にはまだ一人もいない。
けれどミアには、「九月になった」ということと「もうすぐ夏休みが終わる」ということが、いつの間にか一緒になっていたらしい。
「きょうから、がっこう?」
「まだだよ。お休みは収穫月10日まで」
エルナが答えると、近くで水を飲んでいたフィンも指を折った。
「今日が一日だから、今日を入れてあと十日だな」
ミアは自分の両手を見た。
指が十本。
夏休みも十日。
さっきまではただの数字だったものが、急に両手へ収まってしまった。
「これだけ?」
「十日もある、って言ってもいいんだぞ」
フィンは笑ったが、ミアはまだ指を眺めている。
一本だけ折り、また開く。
やがて、少し考え込むような顔で言った。
「なくなっちゃう?」
その日の午前、リディアは保健院へ出ていた。
代わりにその問いを聞いたオスカーは、工房の戸口から半分だけ顔を出し、何とも答えにくそうな顔をした。
「まあ、一日ずつは減るな」
「お父さん」
エルナが呆れた声を出す。
「事実だろ」
「言い方」
フィンが笑う横で、ミアはますます両手を見つめた。
そこでエルナが、机に置いてあった紙を一枚取った。
「だったら、見えるようにする?」
昼前には、大机の上へ細長い色紙が並んでいた。
ミアの工作用に取ってあった紙を同じくらいの幅へ切り、端へ薄く糊を塗って丸めていく。
赤い輪。
黄色い輪。
青い輪。
緑の輪。
形は似ていても、ミアが作ったものだけ少し太かったり、フィンのものだけ妙に真円へ近かったりする。
エルナは乾いた順に小さく数字を書いた。
1から10まで。
十個目ができあがると、ミアは椅子へ膝をついて全部を数えた。
「いち、に、さん、し……」
途中で六を二回言い、フィンに笑われ、最初からやり直す。
今度は十まで届いた。
「今日が1ね」
エルナが赤い輪を指した。
「夕方になったらこれを外す。そうしたら明日は九個」
ミアの顔から、達成感が少し消えた。
「とるの?」
「うん」
「すてる?」
「捨てなくてもいいだろ」
フィンが答えたところで、工房からオスカーが出てきた。
机いっぱいの輪を見て足を止める。
「何だこれは」
「なつやすみ!」
ミアが胸を張った。
オスカーは十個をもう一度見た。
「ずいぶん丸くなったな、夏休み」
「ひからない?」
「なぜ光ると思った」
「まほうぐやだから」
オスカーが黙った。
エルナが本気で笑いをこらえている。
「間違ってはいないのが嫌だな……」
そう言ったものの、新しい何かを作り始めることはなかった。
工房へ戻ったオスカーが持ってきたのは、見覚えのある小さな術式板だった。
エルナが先に気づく。
「金色の跡のやつ?」
「そう。前に接触を見るのに使ったやつだ」
ミアも思い出したらしい。
「あっちこっち、きんいろ!」
「今日はあっちこっちにしない」
それはかなり大切な違いだった。
以前、接触の跡を見るためにつけた金色は、木の花から布へ、布から家具へと、思いもしなかったところまで移っていった。
そのためオスカーは、大机から本も水差しも余った紙も片づけ、十個の紙輪だけを中央へ置いた。
「光ってるところを手で触らない。動かすときはこれを使う」
木の挟み具を一つ置く。
フィンは言われる前に机から少し離れ、ミアも椅子から降りてエルナの隣へ回った。
オスカーが1番の輪へ術式板を当てる。
淡い金色の筋が、赤い紙の表面に浮かんだ。
日差しを照り返す光とは違う。
紙そのものの上へ、細い朝焼けを一筋だけ置いたような色だった。
「わあ」
ミアの声が小さくなる。
オスカーは挟み具で1番を持ち、金色の部分だけを2番へそっと触れさせた。
離すと、黄色い輪にも少し薄い筋が残っている。
今度は2番から3番へ。
さらに3番から4番へ。
十個の輪を順に渡るにつれ、最初ははっきりしていた金色が、夏の陽に溶けるように淡くなっていった。
ミアは光が移るたび、声に出さず指だけを一本ずつ折った。
7番を越えるころには、机へ顔を近づけないと見えない。
9番から最後の10番へ移ったものは、ほんのかすかな細い筋になっていた。
「まだいる」
ミアが目を細めた。
「薄くなっても、ちゃんといるな」
フィンも隣から覗き込む。
一番遠い10番へ届くまでに、金色は九つの接触を渡ってきた。
1番には最初の光がまだ残っている。
2番にも、3番にも、それぞれ自分のところを通った跡がある。
十五分ほどすれば全部消える。
それまでの短いあいだだけ、十個の紙輪には、1から10へ続く金色の道ができていた。
ミアはその道をしばらく眺めていたが、やがて紙輪そのものを動かし始めた。
「今度は何をするんだ?」
フィンが尋ねる。
「まる」
1番の隣へ2番。
その隣へ3番。
数字が大机の上をぐるりと回っていく。
オスカーは光った部分同士が途中で触れないように、挟み具で位置だけを少し直した。以前の経験があるので、並べ替えている最中に別の道を増やすつもりはない。
最後に10番が置かれた。
けれど、10と1の間だけは指一本ほど空いている。
端のある円だった。
ミアは首を傾げた。
「ここ、あいてる」
「今はな」
「くっつけたら?」
オスカーはすぐには答えず、1番と10番を見比べた。
1番にはまだ比較的濃い金色が残っている。
10番の薄い跡は別の側にある。
触れさせる場所を選べば、何が起きるかは分かる。
「手は出さないこと」
「うん」
オスカーが挟み具で10番を持ち上げた。
ほんの少し。
空いていた隙間を詰め、まだ何も光っていない紙の部分を、1番に残った金色の筋へ触れさせる。
ぱっ、と10番へ新しい金色が移った。
今までそこにあった消えかけの細い筋とは別の場所に、もっとはっきりした光が一本走る。
ミアの目が丸くなった。
「じゅう、げんきになった!」
フィンも思わず笑った。
「さっき一番遠かったのに」
机の上では、1と10が仲良く隣り合っている。
紙に書かれた数字を目で追えば、10は1からいちばん遠い。
けれど今の形では、赤い1番のすぐ横に10番がある。
エルナは二つの輪を見比べ、納得したように笑った。
「数字の順番は変わってないけど、触れる相手は変わったんだ」
オスカーも術式板を収めながらうなずいた。
「こいつが見てるのは数字じゃないからな」
それ以上の説明はいらなかった。
光はもう、大机の上に答えを描いている。
最初は長い道を九回渡らなければ届かなかった10番へ、今度はたった一度触れただけで金色が現れた。
ミアは輪の外側から顔を近づけた。
「おわり、なくなった」
フィンが笑う。
「休みが終わらなくなったわけじゃないぞ」
「まるは、おわりないよ」
「そっちは合ってる」
そのころ、離れから昼食にやってきたアルノが、大机の上を見て足を止めた。
「何じゃ。夏休みを輪に閉じ込めたのか?」
「まるくした!」
「それは大研究じゃのう」
「じいちゃんまで乗るなよ」
居間に笑い声が広がるあいだにも、金色は少しずつ薄れていった。
誰も新しい接触を増やさなかった。
しばらくすると、10番に突然現れた明るい筋も、1番の最初の光も、同じように紙の色へ溶けていく。
昼食を食べ終わるころには、十個の輪はもう普通の色紙へ戻っていた。
それでもミアは、午前中より輪を気に入ったらしい。
窓の近くへ紐を一本渡してもらい、1から10まで数字の順に下げた。
風が入るたび、十個の輪がわずかに揺れる。
光ってはいない。
けれど、さっき金色が通った順番を知っているせいか、ただの紙より少しだけ特別に見えた。
午後が過ぎ、保健院からリディアが帰ってきた。
玄関を入って最初に目へ入った十個の輪について尋ねると、説明役はほとんどミア一人で足りた。
「いちから、じゅうまでいってね、まるにしたら、じゅうがすぐだったの!」
途中がかなり省略されていたが、リディアは笑って聞いていた。
そして夕食の支度が始まるころ、ミアは朝から気にしていた1番の輪を外した。
窓辺には九個。
両手には赤い一個。
「これ、どうする?」
エルナが尋ねる。
ミアは輪を持ったまま居間を見回した。
捨てる箱へは行かなかった。
壁に掛かっている「おえかきのおうち」の前まで行き、不揃いな袋を一つずつのぞく。
やがて少し深めの袋を選び、赤い輪をつぶさないよう上半分だけ差し込んだ。
丸い赤が、袋の口から覗く。
窓辺の九個とは離れてしまったけれど、なくなってはいない。
ミアはそれを確かめるように指で一度だけ揺らし、満足そうに夕食の席へ向かった。
窓枠では、朝から一連の騒ぎを眺めていたルクスが白い翼を整えていた。
その目が、壁から覗く赤い輪と、窓辺に残った九個を順番に見る。
「明日からもそこへ入れる気か? 九日後には、その袋の方が夏休みでいっぱいになるぞ」




