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風見鶏通り17番地、今日も魔法日和  作者: リタイアルーキー


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15/87

第15話 窓の中では二拍遅い

 星冠暦826年・実成月26日・水耀日

 夕方になっても、風見鶏通りには昼の熱が残っていた。

 石畳はまだほんのり暖かく、店々の窓には傾いた西日が赤く映っている。

 クラウゼル魔法具店では、そろそろ一日の店じまいが始まるところだった。

「フィン、その小卓を中へ頼む」

「これ?」

「それ。脚を戸口にぶつけるなよ」

 返事をしたフィンは、すぐには卓を持ち上げなかった。

 戸口までの幅と、卓の脚の出っ張りを一度見比べてから両手を掛ける。

 工房の戸口に立っていたオスカーが、それを見てわずかに口元を緩めた。

 少し前なら、持ってから考えていたかもしれない。

 店窓の前では、ミアが別の仕事を見つけていた。

 何日か前から飾られている、自分の描いた風見鶏の絵である。

 紙の端が少し曲がり、木の挟み具から斜めに下がっていた。

「なおす」

 背伸びをする。

 届かない。

 もう少し伸びる。

 やっぱり届かない。

「おねえちゃん」

 少し離れた椅子で、前々日に図書館から借りた本を読んでいたエルナが顔を上げた。

「何?」

「あれ」

「ああ、曲がってるね」

 エルナが本へ栞を挟んだところで、ミアはもう一度窓へ向き直った。

 そして、そのまま動かなくなった。

「ミア?」

 返事がない。

 夕方の光を受けた店窓には、通りと店先が鏡のように映っている。

 ミア。

 その後ろのエルナ。

 小卓を運びかけているフィン。

 工房の前のオスカー。

 見慣れたものばかりだった。

「どうしたの?」

 ミアが窓を指さした。

「ミアがいる」

「いるね」

「ちがうミア」

 エルナが眉を寄せる。

 ミアは窓を見たまま、右手を上げた。

 ガラスの中のミアは上げなかった。

 ほんの一瞬。

 エルナが息を止める。

 一拍。

 もう一拍。

 窓の中のミアが、ようやく右手を上げた。

 けれど本物のミアはもう手を下ろしている。

 遅れて、窓の中の手も下がった。

「……今の、もう一回」

 エルナの声を聞いて、フィンが小卓を置いた。

 ミアは今度、両手を頭の上まで上げ、すぐに下ろした。

 窓には動かないミアがいる。

 一拍。

 二拍。

 反射像が両手を上げた。

「うわ」

 フィンが声を上げた。

 本人より遅れて動くミアを見ているうちに、今度は自分で確かめたくなったらしい。

 窓の前へ立ち、腕を組む。

 ぱっと開く。

 また組む。

 ガラスの中のフィンは、しばらく腕を組んだままだった。

 それから遅れて両腕を開く。

 フィンが笑う。

 その笑顔まで、窓の中では二拍遅れた。

「俺、俺より遅い」

「本人より先に動いたらもっと困るよ」

 エルナはそう言いながら、自分も窓を見ていた。

 右へ一歩動く。

 すぐに戻る。

 反射像はその場に残った。

 やがて右へ動き、少し前のエルナと同じように戻ってくる。

 現在の自分と、ほんの少し前の自分。

 同じガラスの中で、きれいにずれていた。

「本当に窓だけ遅れてるみたい」

 その声でオスカーも近づいてきた。

 最初は窓枠や店内の道具へ視線を走らせたが、今日はそこへ何も接続していない。

 それでも念のため、家族を少し窓から離れさせ、自分も手を触れずに横から眺める。

 窓の向こうに見える店内では、吊り下げられた札も棚も普通だった。

 通りを歩く人も、直接見れば今いる場所にいる。

 遅れているのは、ガラスへ返ってくる像だけらしい。

「変なの作った?」

 ミアが尋ねた。

「作ってない」

「ほんと?」

「今日は窓には何もしてない」

「今日は、って付けるから怪しいんじゃない?」

 エルナに言われ、オスカーは口を閉じた。

 その間にミアは、すっかり現象を怖がるより面白がる方へ傾いていた。

 頬をいっぱいに膨らませ、すぐ元へ戻す。

 二拍後。

 窓の中のミアだけが、ぷうっと膨れた。

 本人が笑う。

 反射像はまだ真面目に頬を膨らませている。

 それが少しして笑顔へ変わると、ミアはいよいよ声を立てて笑った。

「おそいミア!」

 フィンも隣で妙な顔をしてみせる。

 少し前の変顔が、忘れたころに窓へ現れる。

 二人が遊び始めたせいで、片づけかけていた店先には「今の家族」と「少し前の家族」が交互に現れることになった。

 エルナは呆れながら見ていたものの、一度笑ってしまえば窓の中から二拍後に証拠が返ってくる。

「姉ちゃん、今笑った」

「笑ってない」

 二拍後のエルナが笑った。

 フィンは何も言わず窓を指さした。

「窓を証人にしないで」

 そのころ、保健院の仕事を終えたリディアが通りの向こうから帰ってきた。

 家の前で少し足を緩める。

 夫と子ども三人が、店じまいの途中らしいのに窓へ向かって揃って妙な動きをしている。

 どう見ても普通の閉店風景ではなかった。

「何をしているの?」

「お母さん、そこで止まって!」

 ミアが言った。

 リディアは足を止める。

「ここ?」

「うん。まど見て」

 言われたとおり視線を向ける。

 窓の中には、まだ二歩ほど手前を歩いているリディアがいた。

 一歩。

 もう一歩。

 反射の中でも同じ場所まで来て、ようやく止まる。

「あら」

 リディアが笑った。

 しばらくして、窓の中の彼女も同じように笑った。

 説明を聞き終えたころには、通りを行く人の中にも異変へ気づく者が出ていた。

 誰も大騒ぎはしない。

 店窓に自分が少し遅れて残ることに気づき、二度見をしてから歩き去る人。

 立ち止まって一度だけ手を振り、遅れて返された手に笑う人。

 そのまま首を傾げながら角を曲がっていく人。

 風見鶏通りの日常へ、夕方だけ小さな綻びができたようだった。

 不思議なのは、動かないものを見ている限り何もおかしく見えないことだった。

 窓辺の風見鶏の絵も。

 店先の札も。

 向かいの屋根も。

 二拍前と今とで同じ場所にあるものは、反射が遅れていても違いが見えない。

 フィンがそれに気づいたのは、もう一度手を振ってみたときだった。

「止まってたら分かんないんだ」

「動いた分だけ、前との差が見えるんだね」

 エルナが窓の中で遅れて揺れる手を見ながら答えた。

「昨日の本とは反対みたい」

「何が?」

「本は置き場所が変わっても同じだったでしょ。今日は自分が同じでも、時間がちょっと違うだけで別々に見える」

 フィンは一度考えた。

「難しい」

「私も今しゃべってて少しそう思った」

 二人が笑う。

 その笑いも、窓の中では少し遅れた。

 離れからやってきたアルノは、すぐには説明しなかった。

 店窓へ正面から向かうのではなく、横へ回って光の当たり方を眺め、フィンにもう一度だけ手を動かしてもらう。

 直接見える手はすぐ動く。

 反射だけが遅れる。

 窓越しに見える店内にも、遅れはない。

「物が遅くなっておるわけではなさそうじゃな」

「じゃあ何?」

 ミアが尋ねる。

「今見える範囲では、窓から返ってくる光だけが少し足止めされとるように見える」

「光が休憩してる?」

「それなら休憩が短すぎるのう」

 アルノは笑った。

 それ以上、原因を決めつけようとはしなかった。

 昼から暖められていた窓。

 傾いていく日差し。

 少しずつ涼しくなってきた通りの空気。

 そのどれがどこまで関係しているのかは、今ここで眺めただけでは分からない。

 何より、危険な作用は見当たらなかった。

 物を引くわけでもない。

 熱を放つわけでもない。

 窓へ触れなくても眺めていられる。

 ならば今日のところは、無理に捕まえる必要もなかった。

 オスカーも工具を取りに戻らなかった。

 家族はもう少しだけ、二拍前の自分たちと遊ぶことにした。

 ただし閉店作業まで二拍どころか一時間遅れになるのは困るので、小卓は店内へ運ばれ、札も片づけられていった。

 動くたび、窓の中では少し前の片づけが追いかけてくる。

 フィンが卓を運び終えたあとも、反射の中ではまだ卓を抱えている。

 エルナが風見鶏の絵をまっすぐ留め直して手を離すと、窓の中の手は少し遅れて紙の端から離れた。

 ミアはそれを見て、何度も振り返った。

「さっきがいる」

 その言い方が気に入ったらしく、自分で何度もうなずく。

 やがて日がさらに低くなる。

 最初は二拍ほどあった遅れが、一拍ほどになった。

 フィンが腕を上げる。

 すぐではない。

 けれど、さっきより早く窓の中の腕も上がる。

「追いついてきた」

 ミアが言った。

 誰かが何かを直したわけではない。

 窓に工具も入れていない。

 通りの空気が夕方らしい涼しさへ変わるにつれ、反射のずれは少しずつ小さくなっていった。

 店じまいがほとんど終わるころには、注意して見なければもう分からないほどになっていた。

 ミアが窓の前へ立つ。

 一度、手を振る。

 窓の中の手も、ほとんど同時に振り返す。

「おそいミア、いなくなった」

 少し残念そうだった。

 けれど次の瞬間には、曲がっていた風見鶏の絵がきれいに直っていることへ気づいて笑った。

 今日の窓に残せるものは何もない。

 光は光へ戻り、ガラスはいつものガラスへ戻る。

 明日になれば、また普通に店先を映すだけなのだろう。

 それでも家族には、夕方の短い間だけ「少し前」が窓の中から追いかけてきたことが残った。

 閉める前の窓枠には、いつの間にかルクスがいた。

 家族が妙な顔を作り始めたころからずっと、少し離れた場所で眺めていたらしい。

 ミアが白い姿を見つける。

「ルーちゃんもやって!」

「何をだ」

「ぱたぱた!」

 どう考えても乗り気ではない。

 それでも窓枠から別の場所へ移ろうとした拍子に、白い翼が一度だけ大きく開いた。

 ミアの目がすぐ窓へ向く。

 ほんのわずか遅れて、ガラスの中でも白い翼が開いた。

「ルーちゃん、ふたり!」

 ルクスは飛び立つのをやめた。

 現実の自分。

 窓の中に残った、ほんの少し前の自分。

 二羽を交互に見たミアへ、金色がかった目が細くなる。

「俺は一羽で十分だ。……二拍前の俺まで数に入れて、勝手に増やすな、ミア」


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