第9話:課長再来 ※謎の籠を持って
ステーキパーティーの翌日。
美味しい食事で心機一転! 今日からまた頑張るのだ!
……とはならず、髪をまとめることも忘れてソファーにだらりと寝ころんでいた。
「はぁ~……」
口を開けばため息がすぐこぼれる。仕方ないじゃん。
隣の部屋――炊事係と同じ、単独開発が許可された人間だというのに……
「私と、何が違うんだろう……」
水溶粉末食の市場評価の紙束を指でつつく。
でも、目に浮かぶのは、見事な手さばきで蜥蜴を解体するロークの姿だった。
魔物に対する知識がないから?
長年培った解体の技術がないから?
どちらも正解のような気もするし、違う気もする。
考えれば考えるほど気持ちは沈み、私はさらに深く、頭をソファーに押しつけた。
「……なんか、足りないんだよねぇ、私」
「そうかもしれんね」
「――えっ」
声のする方を見れば、扉の前に課長が立っていた。
サーっと血の気が引いていく。こんな格好を見られたら、説教間違いなしだ。
「か、課長!? いつの間にっ!」
「……三度ほど声をかけたが、反応がなかったのでね」
バタバタと姿勢と髪を整える私を前に、課長の口調は変わらない。
怪訝そうにモノクルを押し上げると、そのまま向かいのソファーに腰を下ろし、
手巾のかかった籠をトンと机に置いた。
籠を見つめても中身は見えない。
私は戸惑いながら課長を見た。
「か、課長……これは一体……?」
「今の君は、とてもじゃないが勤務できる状態にない。したがって私の権限で、休憩扱いだ」
返事を待たず、課長は籠の横にグラスを二つ置いた。
コトン、と控えめな音が響く。
「……課長?」
返事の代わりに、課長は手巾を外した。
中には、ワイン、干し肉、チーズ、黒パンが几帳面に収められている。
課長はワインの栓を抜き、私と自分の分を注いだ。
「食べてみたまえ」
「えっ、あ、はい……」
戸惑いながら干し肉をかじる。
――しょっぱい。
安ワインで流し込むと、酸味が舌に刺さる。
チーズも黒パンも相変わらず硬くて、噛むたびに顎が疲れた。
課長は何も言わず、ただワインを口に運んでいる。
私はさして美味しくないそれらを噛みしめながら、沈黙に耐えた。
「どうだね?」
唐突な声に、私は黒パンを膝に置いて答えた。
「その……普通です。どれも安物で、駆け出し冒険者が食べるものっていうか……」
「そう、全部、普通の安物だ」
課長はグラスを掲げるようにして続けた。
「私はこれらを“普通”にするのに、二十年以上もかかったよ」
「……二十年も?」
いや、考えればおかしくない。
この世界には電話もトラックもないのだから。
「昔はひどかったのだ。物資の偏り、配送の遅延、積み荷の不明……問題しかなかった」
その言葉の重さに、私は思わず息をのんだ。
「……そんなに、だったんですね」
ワインを置いた課長は立ち上がり、窓際へ歩く。
背中越しに、落ち着いた声が落ちてきた。
「だが、私たちは諦めなかった」
窓の外へ視線を向ける横顔は、長い年月を見守ってきた者のように静かだ。
「幸運が重なったのだ。技術の進歩も、人の知恵も、時代の流れも……それらが少しずつ噛み合って、ようやく今の“普通”になった」
胸の奥がまたちくっとして、膝の上の黒パンを見つめた。
その痛みが何なのか、まだわからない。
けど――窓の外を見つめる課長の背中が、どこかロークの時に感じたものと同じだと、なぜか思った。
課長はそっとモノクルを外し、指先で軽く拭った。
そのまま、こちらへ向き直る。
「苦悩しない人間などいない。大事なのは――その苦悩をどう扱うかだよ、キャンベル君」
課長と目が合った。
その言葉が胸の奥へすっと沁みていく。
私は、なんとなく“できちゃう”って思っていたのかもしれないと気づいた。
ロークみたいに知識や技術を積み上げてきたわけじゃない。
課長みたいに何年も努力してきたわけでもない。
気づけば、視線が膝の上へ落ちていた。
私が持っているのは、借り物の知識だけ。
そんなものが本物にかなうはずがない。
それでも――負けていいとは思えなかった。
胸の奥の痛みが、今はほんの少しだけ前へ押してくれる。
落ち込んでいる暇なんてない。
私には、まだできることがある。
私は顔を上げた。
「課長! ありがとうございます! もう大丈夫です!」
課長は振り返らず、片手を軽く上げて応えた。
「私は必要なことをしたまでだ」
ガチャリ、とドアを開けて出ていく。
その仕草はいつも通り淡々としているのに、不思議と温かかった。
胸の奥がまた熱くなる。
課長って、見かけはちょっと怖いけど、優しいのかもしれない。
この前の時もそうだったけど、こうやって私のことを気にかけて――
「――さて、休憩はもう必要ないな」
退室の直前、不意に課長が振り返る。
そこには、いつの間にか掛け直したモノクルが、冷たく光っていた。
「バケットの中には、次の依頼が入っている。よろしく頼む」
「えっ」
「では失礼する」
――パタン。
静まり返った部屋の中、私は膝からガクリと崩れ落ちた。
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