第8話:衝撃!これがテールステーキの美味さなの!?
30分もかからないうちに、蜥蜴はもう“魔物”の面影をほとんど残していなかった。
檻の天板はそのまま作業台になり、剥ぎ取られた皮や爪と牙、切り落とされた頭と手足が整然と並んでいた。
中央には、まだ尻尾の付いたままの立派な胴体が、どん、と横たわっている。
「……え、魔物って……こんな綺麗なの……?」
むき出しの赤身はつやりと光を返し、血の匂いも、生臭さも、思っていたよりずっと弱い。
ついさっきまで牙を剥いていた生き物が、こんなにも“食材”として整うなんて、想像すらしていなかった。
「上手くさばけりゃどこでもいいんだが、一番うまいのはここだ」
ロークは淡々と言いながら、尻尾の付け根を指先で軽く押し示した。
その指が、獲物の肉質を確かめるようにほんのわずかに沈むと、小さく二度、満足げにうなづいた。
そして、肉断ち用の鉈を掴むとクルリと回し、勢いよく振りかぶると――
――ドンッ。
豪快な音とともに、尻尾の根元が切り離された。
その動きには乱暴さはなく、ただ迷いのない正確さだけがあった。
「おーい! 火の準備できてるよ~」
少し離れた場所から、オリヴァーの明るい声が飛んできた。
振り返ると、温められた鉄板の上に、薄く伸ばされたオリーブオイルがきらりと光っている。
「みんな早く食べようよ! わざわざ捕獲した新鮮な蜥蜴肉なんて、滅多に味わえないよ!」
浮かれるようなオリヴァーの食い気に、胸の奥に残っていた重さが、ほんの少しだけ和らいだ気がした。
オリヴァーは期待を隠しきれない様子で鉄板の前に立ち、そわそわと足を動かしている。
ロークの料理が始まるのを、心底楽しみにしているのが一目でわかった。
「じゃ、始めるか」
ロークのすぐ横に立った私は、鉄板から立ち上る熱気に思わずまばたきをした。
頬にじりっとした温度が触れ、空気が揺らめいて見える。
ロークは腰の小袋からニンニクを取り出すと、手慣れた動きでナイフを滑らせ、薄い輪切りを数枚だけ作った。
刃が走るたび、光がちらりと跳ね、熱で歪む空気越しにその軌跡が揺れる。
切られたニンニクが鉄板へ――パラリ、と落ちた。
温められたオリーブオイルに触れた瞬間、
パチッ、パチチッ……
鋭い香りが一気に立ち上り、熱を帯びた空気が顔に押し寄せる。
思わず息を吸い込むと、熱い香りが鼻腔の奥まで流れ込み、胃をきゅっと縮ませる。
続いてロークは、尻尾の輪切りにナイフの背で削った岩塩をさっとまぶす。
――塩は焼く直前。
たしか、いつかの料理番組で言っていたっけな。
そして――
ドン。
分厚い赤身肉が鉄板に載せられた瞬間、ジュワァッ! と高い音が弾け、熱気がぶわっと跳ね返った。
思わず顔をそむけるが、視線だけはロークの手元に吸い寄せられる。
鉄板の上で肉の表面が一気に焼かれ、じわりと肉汁が浮き、赤身の隙間に残った脂がパチッと弾けた。
肩がびくりと震え、喉が勝手に鳴る。
焼ける匂いが押し寄せ、腹の奥がじんと熱くなる。
ロークは肉をひっくり返し、側面を手早く転がしながら強火で焼き色をつけていく。
肉を返すたびに熱気が頬を撫で、焦げ目がつくたびに香りが濃く、重くなる。
熱と匂いに食欲が一気に燃え立ち、その勢いに押されるように、ぐう、とお腹が鳴った。
さらにロークは香草と青唐辛子の輪切りをひとつまみ、肉の上へざっと落とした。
次の瞬間、酒精の強い酒をひと振り。
ボッ!
青い炎が立ち上がり、反射的に半歩下がってしまう。
一瞬だけ肌を刺すような熱が走り、まつ毛が熱で揺れた気がした。
香草と青唐辛子の輪切りが、炎にあおられて香りを弾かせる。
ロークは迷いなく金属蓋をかぶせる。
蒸し焼きに移った鉄板から、蓋の隙間を縫って白い蒸気がふわりと漏れ出す。
湿った熱が肌にまとわりつき、鼻腔を満たす香りがさらに濃くなる。
さっきまで胸に残っていた解体の緊張が、この香りにまとめて吹き飛ばされた。
チリ……チリ……と、蒸し焼きの音が細く変わった。
そのわずかな変化を聞き取ったのか、ロークは蓋ごと鉄板を私の前へ静かに滑らせる。
そして、迷いのない手つきで蓋を持ち上げた。
――途端に、白い蒸気がどっとあふれ出す。
湿った熱が顔に押し寄せ、体の隅々まで響くような香りの暴力に、思わず喉がゴクリと鳴る。
ロークは蒸気の向こうからトングをそっと差し入れ、中心の骨をつまむ。
軽く揺らしただけで、太い骨は抵抗もなくスルリと抜け落ちた。
そのままナイフで手早く一口大に切り分ける。
「火が通った直後、硬くなる前ならこの通りだ」
ロークはにやりと笑い、額の汗を乱暴に拭った。
そして切り分けた肉をひとまとめにすると、ロークは腰の袋から新品のトングを一本抜き、私へ軽く放ってよこした。
「ほら、食ってみろよ」
その一言に、胸がどくんと跳ねる。
受け取ったばかりのトングで、熱々の肉をそっとつまむ。
熱さに思わず「ふー……」と息を吹きかけてから、恐る恐る口へ運んだ。
「あっつ……っ!」
――噛んだ瞬間、ぷりっと弾けた。
熱く甘い肉汁が舌の上にどっと広がり、思わず目が見開く。
赤身肉とは思えないほどのジューシーさ。
噛むたびに、脂ではなく“肉そのものの強い旨味”がギュッと詰まった肉汁があふれ出す。
香草の香りがふわりと鼻に抜け、青唐辛子の余韻がピリリと味を引き締める。
「……なにこれ。魔物の肉って……こんなに美味しいの……?」
自分の声が震えているのがわかる。
牛、豚、鳥……養殖された肉の、あの柔らかくとろけるような甘い美味さとはまるで違う。
これはもっと荒々しくて、なのに澄んだ――例えようのない“野生の美味さ”だ。
こんな味、今まで知らなかった。
「ほんとびっくりするよね! こんなに美味しいならいくらでも食べられるよ!」
オリヴァーは返事だけは元気だが、顔も口も手も、肉に釘付けで止まる様子はない。
でも、嬉しそうに食べる様子をみていると、不思議と自分もおなかがすく。
「美味いだろ? お前ももっと食えよ」
ロークが水を飲みながら差し出した追加の肉を前に、私も我慢なんてできなかった。
気がつけばオリヴァーと競うように次々と肉を口に運び、熱さも忘れて夢中で噛みしめていた。
美味いご飯が活力になるというのは本当だ。
先ほどロークの見せた解体で感じたはずの敗北感すら、この瞬間だけはどこかへ吹き飛んでしまっていた。
ただ、美味しい。
それだけで、今は十分だった。
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