第14話:ダンジョンは初めてがいっぱい
目を細めながら光の扉をくぐると――視界が一瞬、真っ白に染まった。
溢れ出す光がふわりと身体を包み込み、宙に浮いたような心許ない感覚が広がる。
驚きに体がこわばり、目をギュッと硬く閉じる。
しかし、次の瞬間には浮遊感はすっかり消え、しっかりと地面を踏みしめていた。
頬に触れる空気はほんのり温かく、洞窟の中のはずなのに、柔らかな陽射しを肌で感じる。
風に乗って、草の青さにほんのり甘い香りが混ざったような、嗅いだことのない匂いがかすかに漂った。
恐る恐るまぶたを持ち上げると――
「……え?」
青々とした空が広がっていた。
視界が白から色を取り戻すと、私たちは小高い丘の上に立っていた。
足元には短い草が風に揺れ、丘の斜面の向こうには、まばらな木々と起伏の続く草原が広がっている。
そして、すぐ背後には――
石造りの小さな塔が、ぽつんと建っていた。
塔の入口は、私がくぐってきたはずの場所だ。
けれど、そこには階段も洞窟もなく、ただ白い光が満ちた“出入口”が、
ゴォ……と低く響くような音を立てて揺らめいていた。
「……ここ、本当にさっきの洞窟の中……?」
「驚くのも無理はねぇな」
ロークが隣に立ち、松明をしまう。
「洞窟の中じゃなくて、洞窟の先だ。これがダンジョン――“異界の空間”だ。」
淡々とした説明なのに、言葉の一つひとつが胸に響いた。
本で読んだだけの想像の世界……“ダンジョン”が、今は目の前に広がっている。
「……本当に、来ちゃったんだ」
胸から溢れた小さな声は、風にさらわれて消えていった。
思わず長杖に手を添え、つま先立ちでぐっと背伸びする。
少しでも遠くを見ようと額に手をかざし、大きく目を見開いた。
もっと遠くまで、この世界の広がりを確かめたくてたまらなかった。
「感動してるところ悪いが、行くぞ。いつまでも入口いても仕方ねぇ」
ロークがそう言うや、迷いなく丘を下り始めた。
胸の高鳴りは少しだけ現実へ引き戻され、私は慌ててその後に続く。
丘を下りると、草原の間を細い川が流れていた。
水面は陽光を反射してきらきらと輝き、川沿いには見たことのない紫色の花が群生している。
「わぁ……これ、図鑑でしか見たことない……!」
思わず駆け寄ると、花びらがふわりと揺れ、淡い甘い香りが漂った。
私たちの街では見かけることのない、隣国の高地に咲く花。
……まあ、珍しいだけなんだけどね。
風に乗って、聞きなれない鳥のような鳴き声が響いてくる。
見上げれば遠くの空に、広げた大きな鳥がゆっくりと旋回していた。
翼が横に大きく張り出していて、まるで空に浮かぶ凧みたいだ。あんな鳥、見たことない。
「はしゃぐのはいいが、足元くらいは見とけよ」
ロークがぼそりと言う。
注意されても、胸の高鳴りはまったく収まらない。
「だって……本当に見たことないものがいっぱいで……!」
思わず両手を広げてしまう。
感動を全身で伝えようとする私に、ロークの背中から返ってきたのは、深いため息だけだった。
私たちは、多くの冒険者の足で踏み固められた川沿いの道をゆっくりと進んだ。
踏みしめるたび、乾いた土がかすかに沈み、細い川のせせらぎが絶えず耳に届く。
そんな些細なことさえ、胸を弾ませるのだから不思議なものだ。
このまま数時間、休憩をはさみながら移動して、灌木地帯で野営をする予定らしい。
大盾を背負ったオリヴァーが教えてくれた。
そのとき――ガサッ。
正面の草むらが揺れた気がした。
「……ちょうどいいな。アニー、お前がやれ」
ロークがそう言って道の脇に体を寄せると、小さな影が、こちらへ向かって一直線に跳ねてきた。
「つ、角兎だよ!」
オリヴァーの声と同時に、角の生えた兎が飛び出した。
「きゃっ……!」
反射的に杖を構え、魔力を流す。
杖の先に集まった魔力が水に姿を変え、ぐにゃぐにゃと歪な球形を作る。
「カ、カバーっ!」
勢いよく叩きつけた杖の軌道に従って、水球がぐにょんと伸びる。
突っ込んできた角兎がその水の塊にぶつかり、ボヨンと弾かれて後ろへ転がった。
「そこだよ! アニー!」
「っ! ……スラスト!」
地面を叩いて痺れた腕のまま、今度は杖を兎に向かって突き出すように振る。
すると水球が細く伸び、不格好な“水の棒”が角兎に直撃した。
キュウと小さな悲鳴をあげて、兎は地面を転がって動かなくなる。
「……当たった?」
自分でも信じられず、思わず呟く。杖を握る手がまだ震えている。
それが恐怖なのか何なのか、私自身にもよくわからない。
横たわる角兎を前にしても、心は痺れたように何も感じなかった。
ただ、ざわつく胸の奥を鎮めるために、必死に呼吸を繰り返していた。
「悪くねぇ」
ロークの声がしたと思った瞬間、彼の姿がふっと消えた。
「えっ――」
次に見えたときには、ロークは倒した角兎の耳をもち、スタスタと小川へと歩いていた。
その動きは荒っぽいのに無駄がなく、驚くほど速かった。
「は、はや……!」
「解体は鮮度が命だ。ぼさっとすんな、次が来るかもしれねぇぞ?」
淡々とした声に、背筋がひやりとする。
そこへ、オリヴァーがトンと肩に手を置き、いつもの笑みを返してくれた。
「僕が周りを見ておくから、アニーは少し、休んだ方がいいよ」
その声に、張りつめていた肩の力がふっと抜けた。
ようやく、息が吸えた気がする。
震えていた手にも、少しずつ力が戻ってくるのがわかった。
オリヴァーに見守られたまま、小道の脇の開けた場所にちょこんと座って、休憩をとる。
腰の水袋から水を一口飲んで、ポーチから携行食の“一号”を取り出した。
包み紙を開き、ザクりと半分に折る。
その半分を口に加えたまま、もう半分をオリヴァーへと差し出した。
「え、僕もいいの? やった~!」
パクリと口の中に放り込むオリヴァー。彼にとって半分は、一口サイズだったようだ。
私はもごもごと咀嚼を続けた後、再び水を飲んで口の中を潤す。
香ばしさに、ほんのりとした穀物の甘さが混ざる。
サクサクとした生地の中に、コリコリとした粗めのナッツが心地よく混ざっている。
でもやはり、焼き固めた粉は軽い分パサついて、すぐに喉が乾いてしまう。
それでもこのお手軽さは魅力だと思う。
それに、こうやって何かあった時に、さっとお腹に入れられると、なんというか落ち着く気がする。
ゆっくりと深呼吸して、空を仰ぐ。
いくつかの雲の塊がゆっくりと流れ、爽やかな風が髪を揺らす。
「アニー、大丈夫?」
「うん、大丈夫」
ざわついていた胸の奥が、少しずつ静まっていくのがわかる。
練習してきた魔法がちゃんと使えてよかった。
突然の戦いだったけど、しっかりと立ち向かえた。
命を奪った実感はまだわからないけど……
「ねぇオリヴァー、兎のお肉って美味しいの?」
「そりゃ、もちろん! ロークが料理するの角兎なら、間違いないよ!」
「そっか。よかった」
ぐっと足に力を込めて、勢いよく立ち上がる。
今はダンジョンの中。あれこれ考えるのは、とりあえず後回し。
「私、ロークさんの作業が見たいな」
そう伝えて、オリヴァーと一緒にロークの後を追った。
戦いがあることだって覚悟してきた。
だから、立ち止まっているわけにはいかないのだ。
そんな私の初々しい覚悟は、この日の夜に木っ端みじんに砕け散ることになった。
☆や感想を頂けましたら、これ幸い。




