第13話:今日は冒険者アニーです!
馬車を降りた途端、乾いた風が頬をかすめた。
砂混じりの空気が鼻先を刺激し、髪がさらりと揺れる。
岩肌の覗く地面はがざりと鳴り、靴底越しに硬さがじんと伝わった。
急にダンジョンへ行くと言われたときは驚いたけど、なんだかんだ準備する時間はもらえた。
冒険者の実態を知る機会でもあるし――何より、いつかはと思い続けてきた“ファンタジーの世界”に触れられると思うと、胸が高鳴って仕方なかった。
丸太杭で囲まれた小さな拠点には、荷台や簡易テントがいくつか並び、革や油、焚き火の煙が混じった匂いが漂っている。
装備を整える冒険者たちの武具がガチャリと鳴り、短い声のやり取りや笑い声があちこちから聞こえてくる。
街外れの小高い岩山の麓に設けられた、簡素ながら活気のある前線基地といった雰囲気だ。
「うーん……ふぅ」
慣れない馬車移動で固まっていた身体をほぐすように、私は両腕を上へ伸ばした。
背筋がぱきりと鳴り、高地特有の澄んだ空気が肺の奥までスーッと流れ込む。
肩や腰に残っていた重だるさが、吐く息とともに少しずつ抜けていく気がした。
「なんだ、ずいぶんと余裕があるな?」
突然落ちてきたロークの声に、思わず心臓が跳ねた。
ロークは軽く顎をしゃくり、私の表情を観察するように目を細める。
「ダンジョンに行くって聞いた日は、あんなにビビってたのに、ずいぶんご機嫌じゃねぇか」
「そりゃそうですよ!」
私は首に掛けた冒険者タグを服の中から引っ張り出して見せつける。
革ひもにつながれた小さな金属片が陽光を受けてきらりと光り、胸元で小さく揺れた。
その冷たい重みが、なんだか誇らしい。
「私も、冒険者の端くれです!」
いつもの白衣もどきの代わりに、今日は長袖フード付きの厚手のチュニック。
素早く動けるように、革のブーツはきつめに締めてある。
左手には、先端が捻じれた“いかにも”な長杖を握っていた。
オリヴァーとこつこつ続けてきた魔法の勉強の成果で、私は“魔術師”として冒険者登録をすることができた。
今までは話に聞くだけだったダンジョンの中に、今日ついに足を踏み入れられる。
「……まあ、ビビってるよりはマシだが、浮かれすぎんなよ。オリヴァー、よく見とけよ」
「は~い」
当然、危険な場所に行くという認識はちゃんとある。
けれど、ここは街から一番近い、駆け出し冒険者向けのダンジョン。
ロークとオリヴァーが一緒なら、まず大きな危険はない――そう思えるだけの信頼があった。
「よし! 水に食料に薬に着替え……荷物も問題なし!」
硬めの革がギュギュっと鳴り、背嚢の重みが肩にずしりと乗る。
私は背嚢を背負い直し、視線を上げた。
そこにはダンジョン――その入口となる門がそびえていた。
小高い岩山の麓に、場違いなほど堅固な石造りの門が立っている。
その左右には門番が立ち、ゆるりとした空気を纏わせながら警備をしていた。
活気づく前線基地の空気の中で、その門だけが異様な存在感を放っている。
そのアンバランスさに、ゴクリと息をのむ――と、突如背中が軽くなった。
「アニーは初めてだから、なるべく身軽にね。必要なものだけポーチに移して~」
私の背嚢をひょいと持ち上げたまま、ニコリと笑うオリヴァー。
いつもの料理人めいたエプロン姿ではなく、硬革の肩当や胸当てを革ひもで継いだ軽い防具に、艶の抜けた革兜をかぶっている。
木製の大盾とこん棒も使い込まれているが、革防具の表面には細かな傷と、丁寧に塗り込まれた油のにおいが残っていた。
「あ、ありがと! すぐ移すから……あ、中は見ちゃダメ!」
バッと背嚢を奪い返して体で隠すようにしながら、必要なものをポーチに移す。
そっか、すぐ使うものまで背嚢にしまい込んでちゃダメだった……
私の背中で足音が一つ、門の方へと離れていく。
「よぉ、おつかれさん。冒険者三人、戻りは明日、入るぜ?」
振り返ると、ロークが門番にギルドの書類を押し付けていた。
彼だけはいつもと変わらない、厚手の革コート姿だ。
肩や肘には補強の縫い目が走り、動くたびに裾が静かに揺れる。
風に乗って、革と金属の混じった空気がふわりと流れた。
「えー、人数は三人。戻りは……明日ね」
門番は書類を受け取ったものの、さして目を通した様子もなく、ただペラッとめくって懐にしまう。
その杜撰な対応に、思わず目がジトッと細くなってしまう。
……こんな適当で、本当に大丈夫なの?
「ま、まあ、この辺は危険も少ないから……門番も退屈なんだよ」
取り繕うようなオリヴァーの声が聞こえるが、フォローにはなっていない。
むしろ余計に不安になるだけだった。
「じゃ、お気をつけて、いってらっしゃい……」
やる気のない門番は、こちらを振り返りもせず門をガシャンと閉じる。
こうして私は、ダンジョンへと至る門をゆっくりと潜った。
門をくぐった途端、ひんやりとした空気が肌に触れた。
外の乾いた風とはまるで違う、水気を含んだ冷気が頬にまとわりつく。
「……ただの、洞窟?」
ギュッと握りしめていた長杖から、思わず力が抜ける。
立派な門の先は、岩肌をくり抜いただけの洞窟だった。
壁には松明が掲げられているが、間隔が広すぎるせいで足元は薄暗く、湿った石のにおいがかすかに鼻をかすめる。
緩やかにカーブする奥の様子も、うかがえない。
「しばらくはただの洞窟だ。だが、気を抜くなよ」
ロークが松明に火をつけ、先頭に立つ。
火がついた瞬間、油の焦げる匂いと、ぱちりと弾ける音が洞窟に反響した。
私は長杖を握り直してついていき、その背後にオリヴァーが続いた。
洞窟の中は、外よりも静かだった。
松明がジリジリと焼ける音と臭い以外は、私たちの靴音が湿った壁に吸い込まれていくように響く。
「私、ダンジョンって……もっと、こう、魔法的な何かが渦巻いてるのかと思ってた」
思わず漏れた私の声に、ロークが鼻で笑う。
「ここはただの通路。ダンジョンの入り口は、まだ先だ。」
勘違いを笑われて、顔がカッと熱くなる。
ロークは振り返っていないのに、クツクツと笑いを堪えているのがわかる。
「門だけやたらと立派だったろ? あれは魔物が外へ出ないようにするためのもんだ。んで、ダンジョンってのは――……オリヴァー、任せた」
「え、ボク? ん~と、ダンジョンって言うのはね、魔力の影響を受けた魔物や珍しい資源が集まる“小さな異界”って言われてるんだよ」
「それを回収したり、管理してるのが冒険者ギルドと冒険者。だよね?」
「そうそう。それだけわかっておけば十分だよ~」
魔法の勉強と合わせてした冒険者の基礎で触れた内容だ。覚えてる。
そんな雑談をしていたら、突如、胸の奥がざわつくような、皮膚の下をなぞられるような圧力が肩にのしかかった。
「感じるか? これが“ダンジョンの気配”だ」
ロークが振り返り、顎をしゃくって先を示した。
洞窟の行き止まりに現れた、石造りの階段。
下へと続くその階段の先から、眩しい光が漏れている。
洞窟の冷気とは違う、生温い風がゆっくりと吹き上がり、頬を撫でていく。
その風に髪を揺らしたまま、私は階段の先をじっと見た。
光以外、何も見えない。一体先はどうなっているんだろう。
ゴクリと鳴った喉の音に、ハッと我に返る。
ロークはナイフを、オリヴァーは盾をしっかりと点検している。
「さて、ここから先が本番だ。足元に気をつけろよ」
ロークの声に、私はあわてて全身を検める。
スーハーと深呼吸を繰り返したのち、胸のざわつきを押し込める。
覚悟を決めて階段へと足を踏み込んだ。
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