152話目 河川敷での語らい
剣と小町が、じっくり語り合うだけのお話。
剣と小町は河川敷の遊歩道の脇にあったベンチに並んで腰を下ろした。そして、目一杯に運動したがっているこだちの為に、交互にフリスビーを投げながら、小町の要望で話をしていた。
主な話題は、剣の過去についてであった。
「ちゃんと……兄さんの口から聞かせてよ。私が生まれる前とか、前世の事も。知っとくべきだと……知りたいと、思うから」
小町にとって、剣は近しい兄である一方、一番意地を張って素直になれない相手でもあった。その原因は母親の死後にまで遡る。剣が桜の精神的ケアに懸かりきりとなった事で、小町は剣から放置されているように感じ、それ以来小町は剣に対して壁を作って、一歩引いた接し方をするようになってしまったのである。
剣にしても、妹から距離をとられる経験は初めてであったので、微妙な距離感となってしまった関係性を修復する為の方法を思い至らず、ズルズルと先伸ばしになっていたのを不徳に感じてはいたのである。何千年もの前世経験があったにしても、兄としての経験は二十年も経ていないのだから、思春期のデリケートな妹への対応に戸惑い躊躇うのは無理からぬところなのであった。
だから、小町は剣の事を、その過去を本人の口から聞く機会を持たずにいたのであった。
実兄と実姉が実質恋人同士であるとゆう、特殊な環境にあった事も、それに拍車を掛けていた。
剣もそれらの事を、説明責任を果たしていない事を理解していた。ただ、話をしようとしてみても、避けられてしまったり、不機嫌な表情を向けられてしまったりだったので、ついつい先伸ばしにしてしまっていたのである。
まるで、娘と仲良くしたいのに、距離感を狭め過ぎて逆に嫌われるのを恐れているような……残念なお父さんみたいであった。
「そうだな……何から話そうかな?前世と一口に言っても、かなり長いからな……」
「何千年とか言ってたもんね?それだけ長いと、忘れてる事も多いでしょ?」
「そりゃまぁ……しかし、特に何もしないで三百年ぐらい経ってた事もあったからなあ。案外人生……いや剣生?……の、密度は薄かったのかもしれない」
「何もせず三百年?……どうしたら、そんなに時を無為にして過ごせるのよ?」
「色々あるぞ?宝箱に収められたり、洞窟に封印されたり、伝説の剣っぽく岩に突き刺さったままとか。根本的に、生きる為に何かをする必要がなかったからな……その頃は、時間の経過にストレスを感じる事もなかったから……特にやりたい事があった訳でもなかったし」
前世の剣にとって、自身の存在を存続させる以上の欲はなかったのである。だが、生物のように補食をする必要が無いので食欲はなく。繁殖する機能が無いので性欲はそもそも持ち得ておらず。精々、消費した魔力を回復させる為の休息……睡眠欲が少しばかり有る程度であった。
「……そもそもの心の仕組みが人間とは違ったって事なのかな?今ではそれ、どう思ってるの?」
剣はこだちがくわえてきたフリスビーを受けとり、弧を描く軌道で投げ飛ばした。こだちはそれを追いかけ追い抜くと、振り向き様にジャンプして、芸術的な口キャッチを極める!
「まぁ、人間の身体じゃあ耐えられないよなぁ……剣だった頃には五感なんかの感覚が殆ど無かったし、特に痛覚とか空腹感なんかの生理現象とか……転生したばかりの頃は厳しかったな……よく、人間はこんなの耐えられるなって思ったよ。そして……恥ずかしかったり申し訳なく思ったりしたな……」
今度は小町がフリスビーを投げた。素早く、真っ直ぐに飛ぶフリスビーを全速力で追い掛けたこだちは、地面に落ちる寸前でダッシュしたままギリギリの口キャッチ!またしても神業を成功させた!
「それは、まあ……赤ちゃんの頃から自我があったら羞恥心で死にたくもなるよね。色々と」
「それもそうなんだが……実際になってみるまで、人間が生きてるだけであんな苦痛に耐えているとは思っていなかったからな……前世で人間に対して傲慢な態度をしていたと……反省した」
主に、ヴェルティエに対しての言葉であった。何しろ、ヴェルティエにだけ協力的にしていた理由が、あまりにも弱々しく、へなちょこに感じたから、なのであったから……
「うぁ……最低だよ兄さん。今では信じられないくらい、性格ひねくれてたんだ」
「都合よく使われるだけの武器だったからな。扱いの悪い持ち主に対しては苛立つ事も多くて。ただ、念動魔法を使えるようになってからは、肝心なとこで足を引っ張ってやったりな……」
「……それでよく、聖剣なんて呼ばれてたね」
「呼びたい奴が、そう呼んでただけだからな。他にもリビングソードとか魔剣、凶剣なんて呼ばれたりした事もあったな。ここ千年ぐらいは人族側に居たから〝無銘の聖剣〟が定着したんだろうな」
何気なく、無難な話題が続く。それは、剣が言葉を選んでいるからに他ならなかった。
もう、何度目になるか。フリスビーを投げ放った後、小町がぼつりと、どうしても聞いておくべきだと思っていたことを問い掛けた。
「兄さんは……平気だったの?……人を、殺して」
それは、完全に地雷な質問であると小町は想定していた。でも、それは小町の心にも刺さってしまった棘であった。放置し続けていたら、いつまでも小町の心に痼を残し、苛む事になる。剣の答えを聞いたところで解決する問題であるとは限らないが、停滞を続けるよりは、一歩でも前に進める可能性を欲したが故の行動であった。
「そうだな……今回の件に関しては、平気だな」
剣の答えは、実にあっさりしていた。表情も平然としていた。
「だ……だって、人殺しだよ!?そんな簡単に……」
「小町が、そう考えるのは当然だし、日本で人殺しは絶対にするべき事じゃないって教育しているのは正しいし、理想的だと俺も思っている。でも……俺にはそんな事よりも、お前達を守る方がずっと大切だった、それだけだよ」
何よりも確実に、それが叶わなければ最も可能性の高い手段を選択する。剣は迷わずそうした。そこに善悪はなく、正しいとも思ってはおらず、間違っていて構わないとすら思っている。
「俺には、殺さずにあの場を切り抜ける手段が思い付かなかった。再度の召喚を防ぐ為にもな。それが正当だったと主張するつもりもない。誰も死なせず殺さずってのがベストであるのは間違いないのだろうけど……それが可能な程、俺は強くもなければ賢くもなかったんだ」
「強くないって……あれで?」
圧倒的な迄の力の差を見せつけておいて、どの口が言ってるの?小町はそう思いつつも、口を噤んだ。
確かに説得や交渉なんて不可能であっただろうし、自分にだってそんな方法は思い付かなくて無理だった。結果的に剣は姉妹の誰一人として見捨てず、守りきって帰還したのであるから、その手段を責めるのは筋違いも甚だしく思えたのだ。
「……まあ、小町が俺の事を人殺しだって非難するのも、嫌われるのも覚悟の上だったから、それは正しい事だし無理に俺を理解しなくてもいいと思うよ。覚悟してても……しんどいのには変わりないけどな」
自虐的な苦笑いを浮かべる剣に、小町も釣られて苦笑いを浮かべながら言葉を返し……もとい、辛辣な突っ込みを返した。
「そんなに妹に嫌われたくないの?シスコン兄さん」
「……はい、兄さんは、小町さんに嫌われたくないです……」
「やれやれな兄さんだなぁ……」
こだちが足取りも重く、フリスビーの投擲を要求しなくなって二人の足下に寝転ぶまで、兄妹の会話は続いたのであった。
「あ!どうしよう……」
家への帰り道、小町が突然声を上げた。
「どうした小町?」
「……朝ごはん、無い」
「え?姉さんは?」
「旦那さん家にお泊まり……燕も連れて」
「あ~……異世界での精神ダメージを癒しに行ってたのか……さもありなん。米も炊いてないのか?」
「すっかり忘れてた……どうしよう?」
「食材確認してから、俺がなんか作るよ。昨日の今日だし、みんな疲れて寝てるだろ」
「だと、いいんだけど……」
不安にかられ、急ぎ足で帰る二人と一匹。そして、玄関を開けると……
「だーっ!ウゼぇぞ桜!料理の邪魔すんな!離れろ!」
「猫耳尻尾にエプロン姿の遥義姉様、くぁいいのでありますぅ~」
「梓さん駄目!味噌汁の味噌は最後に入れるんですよ!出汁も入れてないのにぃ~」
「そうなの?先に入れた方が味が染み込むかと……」
何やら、キッチンからドッタンバッタン賑やかな……阿鼻叫喚が……
恐る恐る剣と小町がキッチンを覗き込むと、エプロン姿の猫ミミ遥に、鼻から真紅の液体を垂れ流した桜が抱き着いていたり。やること為すこと実鳥に駄目出しされている割烹着姿の梓がいたり……やはり寝坊しているのか双子の姿はなく……
「……朝から姉妹仲良くて、平和だな~」
「いや、光姉さんが立ってるキッチンに比べたら戦場だから。泥沼最前線だから。どうにかして……」
このままでは、朝食がおどろおどろしい物体Xに成りかねない……異世界から無事に帰還しておきながら、自宅で食中毒とか洒落にもならない……
小町にジットリした目で訴えられ、お兄ちゃんは、事態の収拾を計るべく動き出した!
「あ~……ただいま。取り敢えず……状況の説明を求む」
「あ!けんちゃんおはよ!そしておかえり!」
くるっと振り向く梓。すると、その拍子に肘がコツンと鍋の柄に……
がっしゃ~ん☆
人数分の卵(8個)が入ったお鍋が、煮たったお湯と共に床にぶちまけられました!
「あっちぃー!うぅ……なんてこと……」
「梓さん!危なーい!」
半熟状態で床一面に飛び散った卵を前に、梓はガックリと膝を折って項垂れた……拍子に!頭がコツンと味噌汁鍋の柄にぶつかって……実鳥の叫びも空しく鍋はガコンと音を立ててひっくり返り……ドスッと、梓の背中を直撃した。
「熱っ………くない?痛い!寒い!な、何で!?」
「……あっぶね~な。梓、お前……もうキッチンに立つな。いや、入るのも禁止な」
鍋は、味噌汁ごと剣の魔法によって凍結させられていた。そのお陰で梓は全身で熱湯を浴びるのを避けられたのだが、氷塊となった味噌汁鍋の直撃と、魔法の余波による瞬間的な冷気(マイナス140℃!)は避けられなかったのである。
「無詠唱による瞬間冷却……見事であります兄様!」
「つか、こっちまで寒ぃわ……びっくりして尻尾がブワッとしちまったわ……」
「……その耳と尻尾、本物?」
「そこかよ!?もう、説明するのたりぃわ……」
ピコピコ動く猫耳と尻尾。一晩寝ても、元に戻っていなかったのであった……夏休み様様である。
「あはは……梓さん、どうしてキッチンだと、こんなにドジっ娘になっちゃうんだろう?すごく不思議……」
「誰もたいして火傷もしなくて良かったけど……朝ごはん、どうするの?」
「「「「「あ……」」」」」
作りかけの料理の数々が台無しとなり、ガスコンロも鍋もろともに凍結してしまっていた……
梓の申し訳なさそうな。
桜の同情染みた。
実鳥の呆れたような。
遥の非難を込めた。
そして小町の無感情な視線が、剣に向けられた。
「……すまん、やり過ぎた……パン買ってきます」
剣は居たたまれなくなり、逃げるようにパン屋へ走り去ったのであった。
兄と妹の距離感が少し縮んだ?逆に広がった?みたいなお話でした。
力を増した一方で、残念さも増していた剣さん……
ラストのクッキング風景は次回への引き。
遥の猫耳をどうにかする!みたいな……




