第43話 ミリィ・ラスティア
ドアを開けて隣室へ移る。最初に入った部屋と同じ広さで、同じように人々が寝ている。が、明らかに部屋の空地が違う。窓は開け放たれ換気はできているが、空気が倦んで、淀んでいる。……死臭がする…と言えばいいのか……
そう思っていると、『水聖の幼女』は奥まったスペースに他の人と離れて一人ぽつんと座っていた少女の前に立つ。そして彼女を指さした。目的は彼女か……? 彼女に近づこうとすると、
「ユキア様、そちらは……いえ、ではこちらを」
と言って、ハンカチを渡される。ん?と思っていたが、なるほど、これは……
少女の前に立つ。顔立ちは非常に美しい、充分に美少女と言っていいのだが……この匂い……思わずハンカチで鼻と口を覆う。”腐乱臭”と表現される匂い、思わず吐きそうになる。だが、ダメだ、絶対にダメだ! これ以上この子を傷つけてはいけない、なぜかそう思う。
少女はぼんやりと、しかし少し怯えを宿した瞳で俺を見上げる。衣服はさほど汚れてはいないが、髪はぼさぼさでフケが浮いており、顔も薄汚れてる。だが衣服から見える手足は意外にきれいにしている。
「ユキア様、ここではゆっくりと話せません。屋外へどうぞ。ミリィ、来なさい」
そう言うとコリウスさんは俺を外へと連れ出してくれた。ミリィと呼ばれた少女も無言でついてくる。しかしその足取りは意外としっかりしていた。衰弱しているというわけではなさそうだ。
建物からさほど離れていない東屋のようなところに案内してくれた。その途中、商会の職員に何か指示を出していただが、それはすぐに判明した。
「ご主人様、お呼びでしょうか?」
戦闘奴隷のところで見た【治癒術師】の人がコリウスさんの前に立った。
「サフィア、お客様がミリィとの会話をご希望だ。その前にミリィの治療を」
「かしこまりました。やっほ、ミリィちゃん、また背中向けてー」
「はい。ありがとうございます、サフィアさん」
ミリィと呼ばれた少女はシンプルな藍色の貫頭衣を着ていたが、その服は背中がボタンで留められている。治癒術師の人がそのボタンを外すと、あて布がされた背中があらわになった。それが剝がされ、少女の背中が見えるが……
これが……原因か……? その背中は……重度の火傷を負い、もう肉が壊死しているのが分かる。背中から首元まで、その”どす黒い皮膚”が続いている。
治癒術師のサフィアさんが光を宿した手をかざしている。あまり、効いているようには見えないが……いや、少しは匂いが軽減したか? サフィアさんの顔に疲労の色が浮かぶ。
「すみません、もう魔素が……」
「ああ、ご苦労。あとは薬水でいい」
「よろしいのですか? よかったね、ミリィちゃん!」
「あ、あの、よろしいのですか? ご主人様……?」
「ああ、ユキア様がお前を気にしておられる。礼はユキア様に」
「あの、ありがとうございます」
「え? あ、いや、俺は何も……」
サフィアさんは新しい布をミリィに当てながら、回復薬水を垂らしていく。
”シュー”とわずかに音を立てながら、首元から背中の”どす黒い皮膚”の黒さが少し引いていくのが分かる。
一連の治療行為を終えたサフィアさんは、去り際に俺に向き直る。
「あ、あの……ミリィちゃんの傷はおそらく、『聖霊族』の力が働いているのだと思います。なので、魔素による治癒術、回復魔法より、少しは聖霊の力を宿す薬草、魔草の方が効くのだと思います。あの、この子……本当にいい子なんです! どうか、よろしくお願いします!」
勢いよく一礼すると、タッタッタ! とサフィアさんは走り去っていった。
「……うちの奴隷が失礼しました。差し出がましいことを」
「いえ、そんなことは……」
『聖霊族』か……いつの間にか『水聖の幼女』はいなくなっていた。
「では、あらためて。この娘は”ミリィ・ラスティア”。年齢は12歳、職なし、区分は一般奴隷。ですが、ごらんの通り、現在この健康状態のため売りには出しておりません。病棟にて療養中です」
ミリィは治療を終え、先ほどよりもいくらか元気そうな様子で座っている。コリウスさんは説明を続ける。
「村を盗賊団に焼き払われ、その焼け跡の村から軍に唯一助け出されたのが、このミリィです。ですがその時には背中に大きな火傷を負い、身寄りもないことから、軍から当商会に払い渡されたのです」
この世界における奴隷制とは、生きる術を持ぬ者たちの救済制度の一面を持つ。少なくとも奴隷館にいる間は、衣食住は保証され、最低限の治療も受けることはできる。
「ミリィは見目も良く、この傷さえ治れば、高級性奴隷として相当な値が付くことは間違いありません。ゆえに、その価値に見合うだけの治療は施しました。しかし、先ほどご覧いただいた通り、治癒術はほとんど効果がなく、回復薬水だけが多少効いている状態です。【医術師】に高位の回復薬水を施してもらい、一時的にはだいぶ回復したこともありましたが、しばらくするとまた元に戻ってしまいました。何度かこれを繰り返しましたが、それでも症状は改善せず、むしろ徐々に症状は悪化していき、もはや手の施しようがないと判断した次第です。ミリィ本人にもこのことは伝えております。ミリィよ、すまぬとは言わぬ。恨んでくれてよい」
コリウスさんは一片の揺るぎもなく、ミリィを見つめる。ミリィも特に気負うこともなく、自然に笑顔を浮かべる。
「恨むなど。ご主人様には感謝こそすれ、恨むことなど欠片もございません。本当に良くしていただいて、ありがとうございました」
回復薬水は低位の物であっても、最低金貨2枚。最高位の物となると金貨100枚をも超えるという。完全に治るのならともかく、現状維持にもならず悪化していくだけなら、定期的に回復薬水を施すことは、ライノ商会としては無理だろう。そして、それをミリィも理解している、聡い子だ。
まだ12歳なのに…………
俺は長椅子に座っているミリィの横に座り、頭を撫でる。
「えらいなぁ、ミリィは。まだ小学6年生なのに。でももう来年は中学生か……いつまでも子供じゃいられないか、頑張んなきゃな!」
そして背中の傷に触れないよう、優しく抱きしめる。
「でも……本当はまだまだ……甘えたい年頃だよなぁ……だから、たまには、おとう……おれには甘えてもいいんだぞ」
「……え?? あの、えっと……しょ、しょうがく? ちゅうが? す、すみません、よくわからなくて……」
何やってんだ、俺は…… ただ歳が一緒ってだけで…… もう心の中がぐちゃぐちゃだ。綾香、ごめんな、お父さんは……俺はいったい誰なんだ……
「コリウスさん、この娘を売ってください」
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