最終章
翌日の昼過ぎ、国王の許へ赴いたアオイ達は、事のあらましを全て報告し、グリーズとヴェールの身柄を引き渡した。
シオンが調べた結果、共犯はヴェールだけだったとの事だ。
グリーズの事を信用していた国王はとても驚いたが、涙ながらに語るアオイを信じ、二人に厳しい沙汰を下すと約束してくれた。
コウについても、グリーズに雇われた暗殺者だったがすっかり改心したと必死に訴えるアオイの意思を尊重し、罪にはしないと言ってくれたのだった。
報告を終えて屋敷に戻る頃には、陽はすっかり傾き、辺りがオレンジ色に染まっていた。
帰宅したアオイは、出迎えたジョーヌに、使用人全員を食堂に集めるよう命じた。
そのアオイの表情から何かを悟った彼女は、慌しく廊下を駆けて行く。
「……アオイちゃん、もしかして……」
アオイの後に続いて屋敷に入ってきたシオンが、そっと顔を覗き込む。辛そうに歪められた顔で、アオイは絞り出すように答えた。
「……私じゃ、皆の生活を支える事なんて、できないから」
「アオイ……」
オールが痛ましげに呟く隣で、コウが気遣わしげにアオイの肩に触れる。彼女は、気丈に笑みを浮かべた。
「私達も、食堂に行きましょう」
三人の反応を待たず、彼女は早足で歩き出す。掛ける言葉を探しながら、三人もそれに続いて食堂へ向かった。
無言のまま四人が食堂に入ると、既に使用人達は集まっていた。皆不安そうな表情を浮かべている。
「あ、アオイ様……」
誰かが呟くと、それまでざわついていた食堂が水を打ったように静まり返った。
アオイは一つ息をすると、意を決して口を開いた。
「皆、もう知っていると思うけど、私の父と執事のヴェールが、ある罪を犯して捕まったわ……つまり、皆を雇っていたラピス家の当主が、不在になってしまったという事よ」
その言葉に、何人かの息を呑む音が聞こえた。
まさか、と使用人達が顔を見合わせる中、アオイは更に続けた。
「お金の管理は全て父がしてきたから、私は何一つ知らない。こんなに突然それをやれと言われても、できる訳がないと思う……だから、皆のお給料も、払えそうにないの」
国王はアオイを次代当主として認めてくれたが、しかし今までお金とは無縁だったアオイには、数十名という使用人達全てに給料を払い続けられる自信がなかった。資産そのものは国内随一と謳われる貴族だけあってかなりあるのだが、これまでお金に関する一切は父が管理していたため、突然それを任せられたとしても、どうしたら良いか解るはずもないのだ。
これからお金の管理については勉強していくつもりだが、それまでの間給料が払えないのであれば、皆を雇う事など不可能なのである。
「え、じゃ、じゃあ……」
手前にいたジョーヌが、縋るような眼差しでアオイを見る。
アオイは冷静に頷いた。
「皆を雇っていた父が捕まったけど、私がそれを引き継ぐには、まだまだ時間が必要なの……どうか、解って下さい」
一度姿勢を正してから、深々と頭を下げる。
「アオイ様……」
使用人達は言葉を失い、揃って肩を落とした。
暫く顔を上げようとしないアオイの背後で成り行きを見守っていたシオンが、その空気に堪らず口を開いた。
「アオイちゃん、グリーズが捕まったのは貴方のせいじゃない。グリーズが雇っていた使用人を貴方が雇う義務もないのよ。貴方が謝る事じゃないわ」
その言葉に、使用人達がはっとした様子で顔を上げた。
「……そうですよね。私達の雇い主がいなくなったんですから、解雇は仕方のない事ですよね」
一人が呟くと、他の者達も同様に頷き出した。
「ごめんね、皆……」
アオイは顔を上げると、泣きそうな顔で無理矢理笑みを浮かべた。
「どうか不甲斐無い私を許して……」
その言葉に、使用人達は反論の言葉を飲み込み、渋々解雇を了承したのだった。
急遽アオイが用意した退職金を受け取り、皆渋々荷物をまとめ、屋敷を後にしていく。
そして残ったのは、ボディーガードとして雇われた三人だけ。
彼らもまた、他の使用人同様、解雇にするつもりだった。そもそも、三人の任務はあの予告状の犯人が捕まるまでの間アオイを警護する事だ。犯人も無事捕まった今、三人はお役御免となるのが当然の話だ。
しかし、アオイがそれを切り出すより早く、シオンが明るい口調で言い放ったのだった。
「アオイちゃん、あたしお給料いらないから、アオイちゃんの護衛として屋敷に残っても良いかしら? 料理人も使用人も解雇になっちゃったんだし、家事の手伝いも必要でしょ?」
「え、でも……」
「お給料の代わりに、部屋一つと、食事だけで良いわ。もしアオイちゃんがお給料を気にするなら、アオイちゃんがお金の管理の仕方を覚えてからで良いし、幸いあたしにもそれなりの貯蓄があるから、暫くお給料もらえなくても困らないし、ね?」
にこにこと言う彼女は、何処か有無を言わせない雰囲気を放っている。
だが実際、この広すぎる屋敷でこれから毎日を一人で過ごさなければならないという事態に不安を感じていたアオイは、願ってもない申し出に、思わず涙を滲ませながら頷いた。
「……うん。シオンが傍にいてくれたら、私も心強いわ」
すると、オールが不満そうに声を上げた。
「えぇー? アオイ、俺は?」
「あたしがいれば、オールちゃんは必要ないかもねぇ」
すかさず揶揄するように切り返したシオンに、オールは唇を尖らせる。
そんな二人の会話に、アオイは微笑みながら答えた。
「オールも、シオンと同じ条件で良いの? お給料は、私がお金の管理とか全部覚えるまで払えそうにないんだけど……」
「俺は金に執着ねぇし、気にしねぇよ。それより、お前の傍にいられるなら、どんな状況でも喜んで受け入れるさ」
「ありがとう、オール」
彼女の礼の言葉に、オールは照れくさそうに笑いながら頬を掻く。
二人の残留が決まった所で、アオイはコウに視線を移した。
「コウは、どうする? もし解雇という事なら、お父様が約束していた金額を……」
「金はいらない。俺はお前を護るためにも、傍を離れるつもりはない」
「……コウ」
二人の視線が、熱を帯びながら絡み合う。そんな二人の隣で、シオンはこほんと咳払いした。
「えー……二人共、悪いんだけど、続きは夜にしてくれる? とりあえず、今日はおなかも空いたし、ちょっと早いけど夕飯にしましょ。料理はあたしが作るから」
そう言って、彼女は厨房へ向かう。
「待ってシオン、私も手伝うわ」
慌てて後を追うアオイ。コウとオールも顔を見合わせた。
「……俺達も手伝うか?」
「暇だしな」
頷き合って、彼らも厨房へ足を向ける。
四人の共同生活の、幕開けだった。
その夜、四人だけになった屋敷は、しんと静まり返っていた。
いつもと違う静寂の中、アオイは自室からテラスに出て、空を見上げていた。
まだ少し、頭が混乱している。
ここ数日で、色んな事が起こりすぎた。
沢山のものを失い、そして仲間を得た。
悲しみと、嬉しさが相俟って、上手く心が整理できずにいるのだ。
数日前に届いた予告状から始まり、昨晩の事までが、走馬灯のように頭の中を駆け巡る。
予告状は当然、父が用意したもの。
コウが気付いた毒は、実は花に掛ける直前にコウ自身が仕込んだフェイクだったのだと、本人が教えてくれた。
仮面の男は、父が自分やコウから目を逸らさせるためだけに用意した人物で、もう襲ってくる事はないのだと、シオンから聞いた。
それを仕組んだ父と、共犯だったヴェールは捕まり、国王の名の許に裁かれる事となるだろう。
だから、もう命を狙われる事はない。
しかしまだ、完全に不安が拭いきれないでいた。
今この瞬間も誰が自分を狙っているかもしれない、そんな恐怖が心の奥に根付いてしまったようだ。
(……駄目ね。これから、一人でも生きていけるようにならないと、いけないのに……)
自分で自分の心がコントロールできず、アオイは唇を噛んだ。
と、その時。
「……アオイ、いないのか?」
寝室の方から声がした。慌てて振り返ると、心配そうな顔をしているコウがテラスへ出てくる所だった。
彼はアオイを見るなり安堵の息を吐き、仄かに笑った。
「……いなくなったかと思った」
「私が?」
「ああ……いなくなったら、どうしようかと、思った」
彼は少し自嘲気味に笑いながら、アオイの前に立った。それから、気遣わしげに彼女の顔を覗き込む。
「大丈夫か?」
「もう、コウってばそればっかり」
アオイは少し茶化すように笑うが、コウは真剣な表情のまま、静かに口を開いた。
「……無理は、するな」
「え?」
「ずっと信頼していた父親が自分の命を狙っていた。しかも、ボディーガードとしてきた俺が、その父親に雇われた暗殺者だったんだ……それを知ったお前が、傷付かないはずがない……俺がこんな事を言える立場じゃないかもしれないが、無理はしなくて良い。辛ければ、辛いと言え」
優しく諭すように囁き、彼女の頭を撫でる。
アオイは、溢れそうになる涙を堪えながら、必死に頭を振った。
「私は、大丈夫よ……心配してくれてありがとう。コウは優しいね」
「俺は優しくなんて……」
「あら、充分優しいじゃない。いつだって私の事心配してくれるし」
少し身体を離し、アオイはその深紅の瞳を見ると、にっこりと微笑んだ。
彼が自分を心配してくれる事が、嬉しかった。
「大丈夫。私にはコウがいるんだから」
その笑顔を見て、コウも表情を緩める。
「……でも、正直……少しだけ、不安なの」
アオイが少しだけ俯きながらそう切り出すと、コウは真摯な眼差しでそれを聞いた。
「……これから、一人でも生きられるようにならなきゃ、いけないのにって……」
「今は、一人で生きようと思わなくて良い」
「え?」
アオイが思わぬ言葉に顔を上げると、驚くほど優しい深紅の瞳が、自分を見つめていた。
「勿論、一人でも生きられる強さを得る事は悪い事ではない。だが、今すぐそれを手にしようと焦る必要は何処にもない。お前は、お前のままで良いんだ」
「……コウ」
その言葉を聞いて、心の中に燻っていた重たいものが、少しだけ軽くなったような気がした。
「……ありがとう」
「お前も、そればかりだな」
先程の言葉をそのまま返すコウに、アオイはぷっと吹き出した。
「そう言われてみれば、そうかもね」
おかしそうにクスクスと笑う彼女にコウは手を伸ばし、彼女の身体を優しくその腕の中に閉じ込める。
「……コウ?」
腕の中で僅かに身動ぎして彼の顔を見上げると、彼はじっとアオイの顔を見つめていた。
「……俺は、お前が笑顔でいればそれで良い。これからも、その笑顔を護らせてくれ」
優しい抱擁と共に囁かれた甘い言葉。
アオイは頬を紅潮させながら、ゆっくりと頷く。
「うん」
喜びに心を震わせながら、アオイもコウの背中に腕を回し、そっと抱き返した。
「コウ……大好き」
偽りない気持ちを伝えると、彼は蕩けるよな笑みを浮かべ、アオイの頬にそっと手を触れた。
「愛してる」
その言葉と共に、唇が重なり合う。
これから先、アオイはラピス家の新当主として様々な事に対応していかなければならないだろう。
しかし、互いを信じ合う二人の未来は、確かに繋がっている。
互いの心を感じながら抱き合う二人を、月明かりだけがそっと照らしていた。




