第7話 俺のハードボイルドを理解してくれた女、命まで捧げる
「あなたが謎の男、ミスターXさんですか?」
「…………」
俺は黙った。見覚えがある。ちょっと待て、こいつ確か、昨日倉庫にいた女だ。あの場にいた人間の中でも、俺が最初にスルーした人物。まさか、今になって俺の部屋まで訪ねてくるとは思わなかった。なんでまだ捕まってないんだよ。ていうか、なんで俺の目の前に現れた? どうする、俺の正体に気づいているぞ。
「すみません、昨日あのあと、あなたの後をつけさせてもらいました」
尾行された。この俺が?
俺の感知能力なら、尾行されていることなど簡単に分かる。魔力の揺らぎ。足音。呼吸。視線。周囲の気配。どれだけ隠れようと、俺から逃れるのは難しい。昨日だって、誰にも気づかれずに倉庫へ入り、誰にも気づかれずに勇者アシクセイへ接近した。なのに、この女には後をつけられていた。しかも、俺は最後まで気づかなかった。この女、何者なんだ。
「盗賊スキルを持ってるので、尾行は得意なんです。そしたらこの部屋に入って行かれてたので。でも、安心してください。誰にも話してないですし、これからも話しません」
そんなこと言われて、はいそうですかと信頼できるわけないだろ。この女、年は俺と同じくらいか。16歳くらいに見える。だが、年齢なんてどうでもいい。問題は、俺の正体を知っていることだ。ミスターXの正体がエリオット・クラークだと知られれば、俺が長年思い描いてきた「正体不明の闇の支配者」という構想が一瞬で崩壊する。
「あの、私、アシクセイに脅されてて、麻薬に関するいろんなことやらされてて。あなたに恩を感じてるんです。だから、助けてくださってありがとうございます。どうしても、それだけは伝えたくて」
こいつまで俺に感謝しているのか。何なんだ、クソ。
色々聞きたいことはあるが、どうする……。
俺は女を見た。昨日、倉庫で見たときとは雰囲気が違う。今の彼女は怯えているわけでも、敵意を向けているわけでもない。俺に向けている視線には、恐怖よりも別のものがあった。
……信頼?
いや、それが一番困るんだが。まるで、俺のことを疑う必要など最初からないと言わんばかりである。
「とりあえず、中に入れ」
「あ、はい」
適当に座らせて、俺は質問した。敵かどうかを見極める必要がある。こいつが本当にアシクセイに脅されていたのなら、俺に敵意を持っている可能性は低い。だが油断はできない。俺は闇の支配者を目指している。正体を知られた以上、最悪の事態まで考えておく必要がある。
「で、なぜ捕まってない?」
「さっきも言いましたけど、私、盗賊スキルを持ってて、気配を消すのがうまいんです」
俺は頷いた。確かに、気配を消す能力は優秀だった。俺ほどではないにしても、警備隊のやつらでも見つけるのは難しいだろう。
「犯罪に加担してたのは間違いなんだろ」
「はい」
迷いのない返事だった。言い訳をするわけでもない。自分の罪を誤魔化そうとする様子もない。その態度だけを見れば、少なくとも今ここで俺を騙そうとしているようには見えなかった。
「さすがミスターX。紳士の鏡ですね。安心してください。このあと自首するつもりです」
「ちょっと待て、紳士の鏡だと?」
「……はい」
女は不思議そうに俺を見る。
「指名手配中の強盗犯を倒して、勇者アシクセイも倒して。私から見れば、どう考えても正義の人です」
違う。正義ではない。俺は悪役だ。しかも、ただの悪役ではない。恐怖によって人々を支配する、ハードボイルドな闇の支配者を目指している。だが、こいつに本当のことを話すわけにはいかない。俺は誰にも正体をバレず、常に孤高の存在でなければならないのだ。
俺は心の中で考える。いっそのこと、殺しておくか。それが一番手っ取り早い。部屋の中だ、目撃者もいない。死体ごと消すことなど、俺にとっては朝飯前だ。証拠を残さず処理することもできる。そうすれば、俺の正体を知る人間はいなくなる。
それに闇の支配者になるのだから、人の一人や二人くらい殺しておくべきだ。悪役としての実績にもなる。
女は、俺の顔をじっとのぞき込む。
「なんだ?」
「ちょっとお顔が昨日とは違うような気がして……。すみません、失礼なことを」
「言っておくが、俺はミスターXじゃない」
「え!?」
女の目が丸くなる。どうやら本気で驚いている。自分から俺の正体を見抜きかけていたくせに、こうも簡単に否定を信じるのか。いや、助かるけど。
「俺はいわば、ミスターXの……マネージャーみたいなものだ。彼に憧れて、マネージャーにさせてもらった」
咄嗟に出た言葉がマネージャーだった。
「そうなんですか。じゃあミスターXはどちらに?」
「教えられると思うか?」
「す、すみません、そうですよね」
あっさり引き下がってくれた。助かった。普通ならもう少しくらい疑ってもよさそうなものだが、この女は俺の言葉をそのまま受け取っている。
「でも、この部屋に帰ってこられるんですよね」
「いや、ここに来ることは少ない。実際、転移魔法ですぐに他の場所へ行った。彼は忙しい男だから」
俺はミスターXだが、ミスターXのマネージャーという設定になってしまった。なんでこいつのために面倒な嘘をついているのだ。さっさと殺してしまえ。そうすればこんな面倒な会話をする必要もなくなる。俺はそう思いながら、目の前の女を見る。だが、殺すべきかどうかを考えている俺に向かって、彼女は嬉しそうな顔をしていた。
「もしかして、世界中の悪と戦っているとか」
「……そういうことだ」
「すごい。ミスターXは本当の英雄です」
「違う!」
思わず声が出た。
「え?」
しまった。今のは完全に俺の本音だった。英雄と呼ばれるたびに否定したくなる。俺は英雄になりたいわけではない。俺は闇の支配者になるため……。なんてことをこいつに説明するわけにはいかない。
「いや、なんというか、彼は目立つのが嫌いな男で」
「でも、配信されてましたよね」
「それは……、俺が無理を言って配信したんだ。少しでも彼のことをみんなに知ってほしくて」
「じゃあ、配信してたのはあなた?」
「ああ」
俺は適当に頷いた。こんな嘘が通用するか心臓がバクバクしたが、女は納得している。いやだから、なぜこいつのために俺がこんな思いをしなければならない!?
ミスターXのマネージャー。配信を無理強いした男。世界中を飛び回るミスターXを陰から支えるやつ。設定を盛りすぎたか。
「あの、お名前を伺っても? 私はジェイミー・ローズです」
「エリオット・クラーク」
「エリオットさん」
ジェイミーは俺の顔を見た。その目には、疑いがない。自分の前にいる男がミスターX本人だという可能性を、完全に捨て去ったようだった。
「私もエリオットさんの意見に賛成です。ミスターXさんは嫌がるかもしれないですけど、どんどん世界に発信していってください。応援してます」
「…………」
「私で何かできることがあれば、いつでも力になりますから」
そこでジェイミーは少し苦笑した。
「て言っても、これから自首して牢屋の中ですけど」
自首する。牢屋に入る。それでも俺を応援する。こいつの精神構造が俺には理解できなかった。普通、自分が犯罪に関わっていたなら、少しでも罪を軽くするために動くものじゃないのか。勇者アシクセイに全ての責任を押しつけたりすることだって考えるだろう。
「この中に、全ての麻薬取引の記録が入っています」
ジェイミーが何かを差し出した。その手には、俺の元居た世界でいうUSBのような魔道具を持っていた。小さな記録媒体。そこに大量の情報が保存されているらしい。
「これがあれば、アシクセイが何をしていたのか、全部分かります」
「…………」
俺はそれを受け取った。いわゆる犯罪の証拠。これがあれば、アシクセイの犯罪を完全に暴けるというわけだ。昨日の俺はアシクセイを倒しただけだったが、これがあれば、奴が何をしていたのかまで明らかになる。
いやだから、俺には必要ない。俺は悪を打倒する側ではなく、悪として恐れられる側になりたいのだ。
「自分で持っておけ」
「あ、はい」
ジェイミーはこの証拠によって、自分の罪が重くなる可能性を理解している。なんなら、一生牢屋の中ということだってあり得る。それでも構わないと言うのか。
「最後にききたい、ジェイミー・ローズ。ミスターXのためなら死ねるか?」
自分でも変な質問だと思った。だが、聞いてみたかった。その答えを聞けば、この女がどれほど俺を信用しているのか分かる気がした。
「私はミスターXさんに助けてもらいました」
ジェイミーはまっすぐ俺を見る。
「それに、あんなハードボイルド見せつけられて、恋に落ちてしまったんです」
「…………」
こいつ、ハードボイルドをちゃんとわかっている、だと……!?
これまで、俺のハードボイルドを理解してくれる人間など一人もいなかった。鏡の前で何度も練習した立ち方。低くした声。目を細める角度。疑似タバコを咥えるタイミング。意味ありげな台詞。全部が俺にとっては重要だった。だが、周囲からは変な目で見られることが多かった。自分では完璧だと思っていた。だが、誰にも理解されない。
でもこいつは、ハードボイルドが何たるかを分かっていたのだ。
俺の中で、何かが強烈に揺さぶられた。初めてだった。自分が長年こだわり続けてきたものを、真正面から肯定してくれる人間に出会ったのは。しかも、よりにもよって昨日出会ったばかりの女だ。
「見てください、これ」
ジェイミーはスマホを取り出す。動画サイトを見せてくる。そこには俺が勇者を倒した場面を切り抜いた動画が並んでいる。俺の発言をまとめた動画。俺の正体を考察している動画。俺の戦闘シーンだけを何度も再生する動画。
俺は満足げに画面を眺める。自分の姿が大量に並んでいる光景を見ると、どうしても口元が緩みそうになる。これだ。俺が求めていたのはこういうものだ。俺という存在が人々の記憶に残り、正体不明の謎の男として語られ続ける。まさに闇の支配者への第一歩だ。
「私が作ったんです。ミスターXさんは私の推し……と言うか、初恋と言うか。だから初恋相手のためなら、この命いつでも差し上げます」
ジェイミーは恥ずかしそうに笑って言った。冗談ではない。本気だ。目を見れば分かる。軽い気持ちで言っているわけではない。俺のためなら本当に命を捨てるつもりなのだ。
「その発言、後悔はないな?」
「はい、もちろ――ッ!?」
俺は、ジェイミー・ローズを殺した。




