第4話 勇者アシクセイを処す。俺の存在を世界に刻む夜
清掃のバイトを終えて、変装魔法で一瞬にして顔と格好を変え外へ出る。エリオット・クラークという少年の顔から、どこにでもいそうで、どこにもいない男の顔へ。とはいえ、もちろんイケメン仕様である。
鏡を見る必要すらない。何度も練習した変装魔法だ。
もちろん服装は黒いコート。黒いズボン。黒い靴。全身黒。俺の理想とするハードボイルドに、白など必要ない。
俺は闇。
勇者アシクセイは光。
今日、その光を俺が食らう。
空はすでに暗くなっていた。いつの間にか厚い雲が街を覆っている。ぽつり。頬に雨粒が落ちた。
「……雨か」
次の瞬間、雨脚が強くなる。街灯の光を受けた雨が、夜の街を白く染めていく。人々は慌てて傘を開き、足早に家へ帰っていく。
俺は傘を持っていない。魔法を使えば雨に濡れないようにすることだってできる。雨粒が身体に触れる寸前で弾けばいい。
そんなことは容易い。だが……。
「今日は、あえてこのままでいく」
黒い服のまま、雨の中を歩く。濡れた髪が額に張り付く。服が雨を吸って重くなる。普通なら嫌になる状況。でも俺は違う。
夜。雨。黒い服。そして孤独。
ハードボイルドの条件が、これでもかというほど揃っている。むしろ天候まで俺に味方しているように感じるぜ。
「おっと、大事なものを忘れていた……」
俺はポケットへ手を入れた。取り出したのは、疑似タバコだった。本物のタバコではない。俺は酒も飲めなければ、タバコも吸えない。だが、雰囲気だけなら再現できる。疑似タバコを口にくわえる。ライターで先端に火をつける。改良したタバコの先から、無味無臭の白い煙が立ち上る。
「ふぅー……」
肺に一切の害がない煙を吐き出す。雨の中で、白い煙がゆっくりと消えていく。完璧だ。今日の俺は、いつも以上にハードボイルドだった。
なお、疑似タバコは雨に濡れると普通に火が消える。そのため、俺は煙草の先端だけには防水魔法をかけている。ハードボイルドにも、地味な努力は必要なのだ。
俺は勇者の居場所を既に突き止めている。俺クラスになると、人探しはお手の物だ。俺がその気になれば、街中の人間の中から一人を探し出すことなど難しくない。足跡。魔力の残滓。そういった情報を一つずつ拾っていくだけ。
雨の中を歩く。
しばらくすると、人影が見えた。
「…………」
見間違えるはずがない。勇者アシクセイだ。傘を差し、一人で歩いている。
俺は煙を吐き出した。そして、少し距離を取って後を追う。尾行だ。相手に気づかれてはいけない。俺は建物の陰へ隠れた。
アシクセイが歩く。俺も歩く。アシクセイが曲がる。俺も曲がる。アシクセイが立ち止まる。俺も立ち止まる。
アシクセイが振り返る。俺は透明魔法で隠れた。
「…………」
俺の存在には気づいていない。
アシクセイは大通りから外れた。人通りの少ない道へ入っていく。俺も後を追う。透明魔法を使っているとはいえ、油断はしない。アシクセイの歩く速度と周囲の環境を見ながら、常に最適な距離を維持する。
やがて、周囲から人の気配が消えた。
ボロボロの倉庫が見えてくる。雨音だけが響いている。アシクセイが倉庫前で足を止めた。周囲を見渡している。辺りに誰もいないことを確認して、アシクセイが倉庫へ入る。
俺は少し遅れて、倉庫の外側へ回った。窓の隙間から中を覗く。アシクセイ以外にも人が何人かいた。勇者パーティーの仲間にしては、アシクセイ以外めちゃくちゃ弱そうだ。見た目でいうと、商人らしき男。武装した男が二人。白い服を着た女性。
そして奥の部屋には、木箱が大量に積まれているように見える。なるほど。あれが孤児院への支援物資か。例のインタビューで聞いていた話と一致する。最近、この辺りでは盗賊が出るという。そのため、孤児院へ送る物資を守るために、アシクセイ本人がここまで来て見張っているわけだ。
さすが勇者。ここまでやるのか。俺と違って、いかにもな優等生だ。俺とは考え方も価値観もまるで違う。出会うはずもなかった俺たちは、今夜奇しくも出会ってしまうわけだ。
「いや、だからこその必然か……」
俺は静かに頷いた。
さて、俺が無情で非情に勇者アシクセイを倒すところを配信するか。配信用魔道具を宙に浮かべて配信をスタートする。生配信だ。配信魔道具は魔法で透明化する。
「タイトルは『勇者アシクセイを処す』とでもしておくか」
画面に配信開始の文字が表示される。視聴者数はまだ少ない。いきなり配信を始めても、最初から大量の人間が集まるわけではない。だがタイトルを見た人間が一人。また一人と増えていく。勇者アシクセイの名前を入れていることで、どんどん人が集まってくる。
『勇者アシクセイを処す……?』
『え、何この配信』
『タイトル物騒すぎるだろ』
『釣りタイトル』
視聴者数が少しずつ増えていく。
8人。
17人。
29人。
41人。
「……よし」
いい感じだ。これから俺が勇者を倒す。その瞬間を世界中に見せる。今日を境に、俺は変わる。
ミスターX。謎の男。
そんな段階はもう終わりだ。世界の英雄である勇者を倒した男。光の象徴を打ち砕いた男。誰も逆らえない闇の存在。それが俺だ。
『マジでアシクセイを狙ってるのか?』
『誰だよこの黒ずくめ』
『ヤバそうな雰囲気』
『ミスターXに似てる』
『面白そうだから見るお』
視聴者数が、70人を超える。もっと来い。俺が勇者を倒す瞬間を、その目に焼き付けろ。
俺のダシになれ、アシクセイ。
「……いい出汁が出そうだぜ」
『出汁?』
『今なんて言った?』
『何の話だよ』
『急に料理始まったぞ』
「……さて、どんな味に仕上がるか」
『まだ料理の話してる』
『何言ってんのこいつ』
『勇者を料理するな』
なんだか少しハードボイルドとズレている気がする。
「……どんな味を見せてくれるか、楽しみだ」
『言い方を変えただけで意味同じじゃねえか』
『もっと別のこと言え』
『これ本人がカッコいいと思ってそうでキチー』
「……お前のすべて、味わわせてもらう」
『勇者逃げて』
『滑っとるぞ』
『いい加減、料理から離れろ』
「……その力、余すところなく煮出してやる」
『また料理』
『煮出すな』
『勇者から出汁を取る男』
『新ジャンルすぎる』
「……さて、どこまで旨味を引き出せるか」
『もう完全に料理番組』
『勇者アシクセイの旨味とは』
『誰が見るんだよこれ』
『逆にちょっと気になってきた』
「……闇に沈めば、さぞ濃い味になるだろうな」
『はぁ?』
『どういう意味?』
『闇落ちすると味が濃くなるのか?』
『誰かこいつにドロップキックしろ』
『コメント欄荒れてて草』
なんかしっくりこないが、まあいい。俺は悪役。勇者への意味深な宣戦布告はこれで十分だろう。
生配信の視聴者数は96人となっていた。せめて三桁は行かないと話にならない。ここはいっちょ、ハードボイルドのフリのためにも、ド派手に行くか。
魔力を練る。そして倉庫のすべての窓ガラスへ魔力を飛ばした。
パリンッ!!
一斉に窓が砕け散った。
「なっ!?」
「何だ!?」
「おい!?」
倉庫の中が騒然となる。視聴者数が一気に増える。
『うわああああ』
『始まった!?』
『窓全部割れたぞ』
『何だ今の』
『魔法か?』
『来た来た来た!!』
『勇者アシクセイいる!?』
『これ本当に生配信なのかよ』
視聴者数が200人を超えた。300。400。俺は口元を僅かに吊り上げる。この調子だ。世界よ、もっと見ろ。
これから始まるのは、俺がずっと夢見てきた、闇の支配者への第一歩である。
俺は屋根へ跳んだ。足に魔力を込める。そして……。
ドゴォォォン!!
天井を突き破って倉庫内部へ降り立った。瓦礫が周囲へ飛び散る。雨が天井の穴から降り注ぐ。勇者パーティーが俺を見て叫ぶ。特に白い服の女の声がうるさい。倉庫の地に降り立ち、俺はゆっくり立ち上がった。
「…………」
俺は無言。無表情。疑似タバコだけが口元にある。
コメント欄が凄いことになっている。
『何ごとや!?』
『ここどこ?』
『ガチで勇者アシクセイじゃね!?』
『ていうか、やっぱこの黒い男、ミスターXじゃないか!?』
『待って、これほんとに生配信!?』
『勇者逃げて!』
『特定班、はよ』
アシクセイは、ゆっくりと剣を抜いた。例の爽やかな笑顔はない。
「……みんな、下がって」
アシクセイ以外が慌てて後ろへ下がる。アシクセイは俺から目を離さない。
「僕が相手をする」
その言葉と同時に、空気が変わった。俺は少し驚いた。……強い。これは本物だ。剣を構えただけで分かる。魔力の密度。身体能力。殺気。すべてがS級冒険者の中でも上位に入る。勇者と呼ばれているだけのことはある。
さて、ここでもう一度コメントを見てみよう。
『え、これガチ?』
『おいおいおい、今からバトんの?』
『アシクセイ、本気か?』
『この配信者、何者なんだよ』
『勇者相手に全然ビビってないぞ』
『勇者VS謎の黒衣の男』
盛り上がってきているな。よしよし。
気づけばアシクセイが消えていた。次の瞬間、俺の目の前にいた。剣が首元へ迫る。俺は首を僅かに傾けた。刃が髪を数本切る。
アシクセイはそのまま身体を回転させ、横薙ぎ。俺は一歩下がって回避する。
続けて突き。身体を半身にして回避。
斬り上げ。しゃがんで回避。
斬撃。回避。
突き。回避。
『速っ!?』
『ガチの殺し合いやんけ』
『黒い奴も化け物じゃねえか』
『全部避けてる……』
『なんだこれ』
『勇者の攻撃が当たらない』
『避け方が最低限すぎる』
『黒い男、余裕ありすぎだろ』
『これ本当に戦闘してんの?』
一撃も当たらない。アシクセイは本気だった。殺すつもりで攻撃している。だが、俺からすれば。
「……遅い」
その一言で十分だった。アシクセイの表情が歪む。
『遅いきたぁぁぁ!』
『いま煽ったぞこいつ』
『勇者相手に「遅い」はヤバい』
『この状況で余裕ありすぎだろ』
『完全に強者側の台詞じゃん』
「……っ!」
さらにアシクセイの速度が上がる。俺も魔力を全身へ流し、身体能力を強化する。剣が何本にも見えるほどの連撃。普通の人間なら、一瞬で切り刻まれる。
『さらに速くなった!?』
『これ避けられる奴いるのか?』
『S級でも無理だろ』
『勇者本気だぞ』
『頼むから当たってくれ!』
『いや、配信者なにもんや!』
だが俺は、軽々とそのすべてを避けた。アシクセイの攻撃は、一度も俺へ届かない。確かに強い。だが、次に繰り出してくる手が、実に分かりやすい。無駄な攻撃をしないことが逆に予測しやすくなっている。要するに、戦い方がいい子ちゃん過ぎるのだ。そしてこの期に及んで、建物への被害まで気にしている。
『一発も当たってないぞ』
『どうなってんだよ』
『アシクセイが弱いんじゃない。黒い奴がおかしい』
アシクセイが踏み込む。俺は避けるのも面倒だったので、指一本でアシクセイの剣の腹を弾いた。
カァンッ!!
「なっ!?」
剣が大きく逸れる。その瞬間、俺はアシクセイの横を通り過ぎた。
『指一本!?』
『嘘だろ!?』
『剣を指で弾いたぞ!?』
『もう勝負になってないじゃん』
『勇者かわいそうになってきた』
『いや勇者も十分強いんだよな』
そして一言。
「お前、匂うんだよ」
「……?」
アシクセイの動きが止まる。俺も止まる。改めて近くで感じてみる。
……やはりだ。
何か匂う。俺は眉を寄せた。
『……え?』
『匂う?』
『何の話?』
『まさか、臭いのか?』
「かなり匂う」
「はぁぁああああああああ……!? なっ、ななな、dじょふぁsじゃj」
アシクセイの顔が赤くなった。そして怒鳴る。俺には分かる。こいつ、恐らく相当に足が臭い。普段は匂いを消す魔道具を使っているのだろう。勇者なのだから、人前に立つ機会も多い。身だしなみには気をつかっているはずだ。
だが、今は戦闘中。魔道具の効果が切れたのかもしれない。
雨で濡れた靴。長時間の移動。そして戦闘による発汗。全ての条件が揃っている。
……めちゃくちゃに足が臭い。
『勇者、めちゃくちゃ動揺してるぞ』
『顔真っ赤じゃん』
『戦闘よりダメージ受けてない?』
『さっきまでのカッコよさ返してくれ』
『戦闘に集中しろ』
『どうしてこうなった』
アシクセイは怒りで肩を震わせている。俺はそんな彼を見て、静かに思った。よほど気にしていることだったらしい。悪いことをしたか。
『こいつ本当に何者なんだよ』
『強いのは分かったから誰か止めてくれ』
『この場所が分からんのや。倉庫ってことしか』
『アシクセイ様、頑張って……』
『ここからどうやって逆転するんだよ』
「……もういい」
勇者の声が低くなった。空気が震える。膨大な魔力が周囲へ広がった。床が砕ける。壁が軋む。さっきまでとは違う。アシクセイは完全に切れていた。
「君を……、ここで殺す」




