第3話 勇者を倒せば、きっと俺は恐れられる
翌朝。実家の母から電話がかかってきた。
「もしもし」
『あ、エリオ? 朝ご飯は食べた?』
「食べたけど」
『野菜もちゃんと食べてる?』
「食べてるよ」
俺はもう16歳だ。異世界に来る前の年齢を足せば32歳だ。魔法だって使える。剣だって扱える。正直言って俺はめちゃくちゃ強い。たぶん世界一強い。少なくとも、今まで戦ってきた相手の中に俺より強い奴はいなかった。どんな魔物を相手にしても負けるつもりはない。
そして何より、俺はいつかこの世界を恐怖に陥れる闇の支配者になる男だ。
そんな俺を、異世界の母は今でも心配そうにしている。
『最近寒くなってきたから、ちゃんと暖かくしてね』
「分かってるよ」
『無理してない?』
「してない」
『寂しくない?』
「寂しくない」
『困ったことがあったら、いつでも帰ってきていいからね』
「へーい」
母親とはやはり鬱陶しいものである。異世界でもこの辺の感覚は俺の元居た世界と変わらないらしい。
俺は一人暮らしをしている。自分で働いて金を稼ぎ、自分で生活している。家賃を払って、食費を稼いで、必要なものを自分で買う。もう立派な一人の男だ。
『風邪ひかないように、腹巻しときなさいね」
「へい」
「送ろうか?」
「いや、いいよ」
「そう。ちゃんと食べるのよ』
「へい」
『野菜もね』
「へい」
『夜更かしもしちゃ駄目よ』
「へいへーい」
電話を切る。
「…………」
静かになった部屋で、俺は小さく息を吐いた。めんどくせえ。たまには、こう……。「お前なら世界を変えられる」とか、「偉大な支配者になれ」とか、そういう言葉があってもいいんじゃないか。
腹巻をしていない腹を掻きながら、冷蔵庫を開ける。中には昨日アンナさんからもらった野菜が入っていた。昨日の残りの鍋も鍋ごと入っている。俺は鍋を取り出すと、魔法で中身を温めた。
火を使う必要すらない。魔力を流し、温度を調整する。数秒後には、湯気がもわもわと立ち上がっていた。
「……うん」
普通にうまい。鍋から直接食べながら、パソコン型の魔道具へ向かった。動画配信サイトを開く。すると、目立つ場所に一本の動画が表示されていた。
『S級冒険者・勇者アシクセイ独占インタビュー!』
なんとなく、その動画をクリックする。画面に映ったのは、一人の青年だった。整った顔立ち。清潔感のある服装。姿勢もいい。何より笑顔が爽やかだった。いかにも「勇者です」と言わんばかりの男である。
俺のいた世界にいたら、アイドルになっていただろうな。何をやっても絵になる。
『現在、世界中から注目を集めているS級冒険者、アシクセイさんです。本日は、勇者となった経緯や勇者として活動する理由についてお聞きしたいと思います』
『よろしくお願いします』
声まで爽やかだった。俺は鍋を食べながら画面を見つめる。
『アシクセイさん、まず勇者であることについて、どう思っていますか?』
『正直に言えば、少し申し訳なく思っています』
『申し訳なく?』
『はい。僕一人が特別なわけではありません。仲間たちがいて、支えてくれる人がいて、そして僕を応援してくれる人がいる。だからこそ、ここまで戦ってこられたんだと思っています』
……なるほど。謙虚な人間らしい。自分の実力を鼻にかけることもない。俺だったらもっと不遜な態度をとってしまいそうだが。
いや、ハードボイルドな男はそもそもインタビューに答えない、か。
『では、勇者としての目標はありますか?』
『あります』
アシクセイは少しだけ考えてから、真っ直ぐに答えた。
『僕は、子供たちが魔物を恐れずに眠れる世界を作りたいです』
ほお。立派な志じゃないか。思わず箸が止まった。
『魔物に襲われて家族を失う人を減らしたい。怪我をした人が、お金がないという理由だけで治療を受けられないようなこともなくしたい。生まれた場所や家柄で、その人の人生が決まってしまうことも減らしたい』
理想論。どこまでも真っ直ぐな理想論だった。けれど、俺は鼻で笑うことができなかった。少なくとも、言っていることは立派だ。
『強い人間だけが安心して暮らせる世界ではなく、弱い人も、子供も、老人も、明日のことを心配せずに眠れる世界にしたい。それが僕の目標です』
アシクセイは爽やかすぎる笑顔を見せた。
『僕に力があるなら、その力を自分のためだけに使う理由はありませんから』
……本当に立派だな。俺には絶対に言えない。俺に力があるなら、その力を自分のために使う理由しか思いつかない。何せ俺は、その力を使って闇の支配者になろうとしている。方向性が真逆だ。
動画に表示されているコメントが、ものすごい勢いで流れていく。
『さすが勇者アシクセイ様!』
『本当に人格者だな』
『顔も性格も完璧すぎる』
『アシクセイ様なら世界を変えてくれる!』
『こんな人が勇者でよかった』
『完璧すぎる。俺もアシクセイに生まれたかった』
強い。顔もいい。性格もいい。誰にでも優しい。これでは誰もが好きになる。こんな奴、そりゃあ勇者なんて呼ばれるよな。
時計を見る。俺はそろそろ仕事へ行かなければならない。
パソコンを閉じ、家を出た。
向かう先は、いつもの清掃バイトだった。俺が清掃バイトをしているのには理由がある。冒険者として活動すれば、金は稼げる。魔物を倒すことだって、俺にとっては難しくない。けれど、それでは目立ってしまう。強い冒険者として有名になれば、俺の顔も名前も知られてしまう。
ミスターXとして活動するときは変装しているが、いずれ年齢がハードボイルド顔に追いついたら、本当の顔を晒したいと思っている。今の俺はまだ16歳。顔立ちも幼い。そんな状態で正体を明かしたところで「子供が何か言っている」と思われる可能性が高い。それは俺の望むところではない。俺が目指しているのは、正体不明の恐怖そのもの。表では普通の少年として生活し、裏では誰も知らないところで暗躍する。そのためには、目立たない仕事をしているほうが都合がいい。
「空から金でも降ってっこねえかなあ」
闇の支配者だって、家賃は払わなければならない。食費も必要になる。電気代だって必要だ。世界を恐怖に陥れる前に、大家から「家賃が遅れている」と言われるわけにはいかない。
だから俺は、今日も清掃バイトをしている。
「おはよう、エリオット君」
「ざっす」
いつものように制服へ着替え、掃除を始める。俺なら魔法を使って一瞬で終わらせることもできる。けれど、そんなことはしない。普通の人間と同じ速度で。普通の人間と同じように。俺は黙々と床を掃除する。
清掃バイトをしている、ごく普通の少年。
夜になれば、闇の中で暗躍するミスターX。
完璧な二重生活だ。
「そういえばさ、昨日、勇者アレクシスがまたS級の魔物を倒したらしい」
掃除をしていた先輩の男性が口を開いた。他の清掃員たちが反応する。
「しかも倒したあと、怪我した冒険者を治療院まで運んだって」
「相変わらず優しいねえ」
「強いだけじゃないんだよな、あの人」
「この前も孤児院に寄付してたって聞いたよ。自分が貰った報酬の一部を毎回寄付してるって」
「すごいなぁ……。普通、全部自分のために使っちゃうよ」
「ねえ。いつか本当に世界を平和にしてくれそう」
バイト仲間たちが勇者アシクセイを褒め称える。俺は黙ってモップを動かしていた。
どいつもこいつも勇者、勇者、勇者。まるでこの街には勇者以外に話題がないみたいだ。
「…………」
ふと、手が止まった。誰もが認める英雄。誰もが憧れる存在。この世界の平和の象徴。
そして頭の中に、一つの考えが浮かぶ。
「……あ」
俺は顔を上げた。これだ。これしかない。
勇者を倒せばいい。
誰もが尊敬している勇者。誰もが信頼している勇者。そんな男を、俺が一方的に叩き潰す。そうすれば、どうなる?
『勇者を襲った謎の男』
『ミスターXは危険人物』
『ついに現れた、人類の敵』
『絶対的恐怖の存在』
そんな言葉が世間を踊る。街の人間は怯える。冒険者たちは俺を警戒する。
最高だ。
これこそ俺が求めていたものだ。
前回は奇しくも犯罪者を倒してしまった。その結果、どうなった? あろうことか、俺は街を守った英雄として扱われた。
違う。俺は英雄になりたいわけじゃない。俺が欲しいのは、恐怖だ。勇者という光を叩き潰せば、俺はその反対側に立てる。
光が強ければ強いほど、影も濃くなる。
つまり勇者を倒せば、俺は最高の闇になれる。
「…………ふふっ」
思わず笑みがこぼれた。
「エリオット君?」
「はい?」
「なんか今、嬉しそうじゃなかった?」
「いえ」
俺はすぐに表情を戻した。
「何でもありません」
危ない危ない。俺は再びモップを動かす。
「エリオット君、そこ終わったら階段もお願いね」
「はい」
今日の夜、俺は勇者を倒す。今度こそ。今度こそ、世界中から恐れられてやる。誰にも聞こえない声で呟く。
「……闇の支配者の礎となるがいい。勇者アシクセイ」




