第15話 絶望の戦場に、闇が降りたつ
●白銀の守護隊・イザベラ視点
「白銀一刀流・月ノ華!」
地面を蹴った。白銀の閃光が走る。一体。二体。三体。一瞬にして立ち上がった魔物の首を落とす。あるいは胴体を両断する。
私は止まらない。自分の能力の限界を超えた速度で戦場を駆け抜ける。斬り終えれば、次へ。次を斬れば、その次へ。
「ハアアアアアアアアアアアアアッ!」
身体が悲鳴を上げている。肺が焼ける。腕が千切れそうになる。脚が重い。それでも止まるわけにはいかない。ここで止まれば、誰かが死ぬ。
誰かが死ぬくらいなら、私が死んだ方がマシ。
今いる魔物の最後の一体へ踏み込む。
剣を振り抜く。
「終わりだ――ッ!」
魔物の身体がバラバラになって吹き飛んだ。
土煙が舞い上がる。私はその場に立ち尽くした。肩が上下する。息が続かない。
「はぁ……、はぁ……」
剣を握る腕が震えている。もう限界だった。いや、限界はとっくに超えていた。でも、今度こそ終わった。
だから土煙の向こうで何かが動いた瞬間、私は自分の目を疑った。
「……え?」
立ち上がっている。バラバラに切断したはずの魔物が一体、土煙の中から、ゆっくりと姿を現す。
「そんな……」
それだけではなかった。魔物の周囲に倒れていた魔物たちの身体が、ズルズルとそれに引き寄せられていく。地面に転がる肉塊が、一体の魔物へ吸い込まれていくのだ。そのたびに筋肉が盛り上がる。骨格が変形する。吸収するたびに魔力が膨れ上がった。
「……嘘、でしょ」
今まで倒してきた魔物たち。そのすべての魔力を取り込んでいる。目の前の存在は、もうさっきまでとは別物だった。
その口元が、私を見てニヤリと大きく歪んだ。次の瞬間。凄まじい魔力が周囲へ広がった。
「――っ!」
私は反射的に剣を構えた。身体が勝手に動いた。頭で考えるより先に、本能が警告している。危険だ、逃げろ、と。
そう思った瞬間、魔物の姿が消えた。違う。消えたように見えただけだ。速すぎる。目で追えないほどの高速移動。そいつは私のすぐ目の前にいた。
力の入らない腕で、咄嗟に剣を構えた。魔物の腕と剣が衝突する。
「ぐっ……!」
凄まじい衝撃。剣が軋む。そして私の足が地面から離れて宙に浮く。吹き飛ばされていた。視界が回る。
ドォォォンッ!
背中に凄まじい衝撃が走った。肺から空気が抜けた。
「ぐはぁ――っ!」
校舎の壁へ叩きつけられ、壁が大きく陥没した。亀裂が一気に広がる。窓ガラスが砕け散る。屋根の一部が崩れ落ちる。瓦礫が私の周囲へ降り注ぐ。
「……っ」
息ができない。身体が動かない。腕を動かそうとしても、指先しか動かなかった。
「イザベラ様ぁあああ!」
仲間の声が聞こえる。その声は遠く、水の底で聞いているようだった。壁に頭をぶつけてしまったのだろう。脳震盪でクラクラする。
私は歯を食いしばった。立たなければ。ここで倒れるわけにはいかない。少し先に落ちた剣へ手を伸ばす。あと少し。あと少しなのに届かない。
足に力を込める。立ち上がろうとする。けれど膝が震える。身体が言うことを聞かない。
「……まだ」
私は自分に言い聞かせた。
「私は、まだ戦える」
こんな体で、説得力などない。それでも自分を鼓舞しなければ、本当に終わってしまう気がした。私の後ろには生徒がいる。私が守ると決めた場所がある。
ここで私が倒れれば、誰がこの学院を守るというのだ。だから立たなければならない。立つんだ、イザベラ・コスタクロック。学院最強の剣士。白銀の守護隊を率いる者。生徒会長。それが私だろうが。敗北は許されない。
コスタクロック家の人間は、勝利が常である。そう、父に教わった。
視界がぼやける。
「戦え、戦え……!」
けれど身体は動かなかった。巨大な肉体へと膨れ上がった魔物が、ゆっくりこちらへ向かってくる。一歩。また一歩近づいてくる。その足音が、やけに大きく聞こえる。
私は剣へ手を伸ばした。やっぱり届かない。吐き気に襲われる。実際に吐いた。涙もこぼれた。
「……ここまで、なの?」
自分でも驚くほど弱い声だった。こんなところで。学院最強と呼ばれた私が。皆を守ると決めた私が。何もできない。悔しい。情けない。
「パパ……」
魔物がひざを折り曲げる。私に向かって最後の一撃を加えるらしい。
「ごめんなさい……。不出来な娘で……」
そのときだった。
上空から人影が降りてきた。落下音がしない。その人物は、空から階段を下りてきたかのように静かに地面へ降り立った。地面へ落ちる寸前で、その勢いを完全に殺しているのだ。浮遊魔法……。それは上位の魔法使いにしか使えない魔法。
私の前に、その人物の背中が映った。黒いコート。黒いズボン。黒い革手袋。そして黒いハット。夜をそのまま擬人化したような存在だった。
「……誰?」
私は呟いた。けれど、返事はなかった。その人物は私を見ていない。視線は、私の向こうにいる巨大な魔物へ向けられていた。
「グオオオオオオオオオオオオオオオッ!」
魔物が咆哮する。その声だけで空気が震えた。周囲に積み上がっていた瓦礫が揺れ、足元の石まで小さく跳ねる。黒いコートが風に揺れている。その姿からは、焦りも恐怖も感じられない。ただ、静かに魔物を見ている。
剣を抜く様子はない。魔法陣も展開していない。詠唱すらしていない。それどころか、その人物はゆっくりと右手を上げた。
「……?」
彼はなぜか指を折り曲げ始めた。しなやかに曲げられた中指の先端が、親指の柔らかな腹へと沈み込む。そこから、ギリギリと音が聞こえそうなほどの力が込められた。親指は中指が飛び出さないよう、上から覆いかぶさるように強く抑え込み、中指はそれを拒むように、前方へと弾け出そうとする。
相反する二つの力が指先の一点で激しく衝突しながら拮抗する。極限まで引き絞られた弓の弦のようだ。そこに魔力が集まっていくのが分かった。
何を考えているの?
その人物の表情はハットに隠れていて読み取れない。
「ゴロ……ズ! ゴロズッ!」
次の瞬間、巨体が前へ出る。地面が震える。凄まじい速度だった。
「逃げてぇ……っ!」
私は叫んだ。声を張るだけで胸が痛んだ。それでも叫ばずにはいられなかった。聞こえているはずだ。すぐ目の前にいる。私の声が届かないはずがない。それなのに、その人物は動かなかった。
右手を上げたまま。指を構えたまま。迫り来る巨大な魔物を、ただ静かに見つめている。
どうして逃げないの?
あれを見ても、恐怖しないの?
私は理解できなかった。
距離が一気に縮まる。私は思わず目を閉じそうになった。
「断空デコピン(キャノン・フリック)」
その人物が、静かに呟いた。
ピン。
あまりにも軽い音だった。緊張感のない、乾いた音。まるで誰かのおでこを小突いただけのような音だった。
目の前の空間が、一瞬だけ歪んだ。巨大なグールの身体が、見えない壁に正面から叩き潰されたようにひしゃげる。次の瞬間には、巨大な魔物の身体が消えた。文字通りに消えたのだ。地面ごと深くえぐれて消え失せていた。
目の前には、巨大な溝だけが残っている。さっきまで、そこにいたはずの魔物がいない。肉片すらない。
「…………え?」
私は呆然とした。理解が追いつかない。何が起きたの? この人は、空気を指で弾いた。それだけだった。魔物には触れていない。魔物とはまだ少し距離があった。
私は言葉を失った。さっきまで私を圧倒していた怪物が。私が全力を出しても止められなかった怪物が。彼のたった一本の指で消滅した。何が起きたのかすら分からない。こんなことが、あり得るのだろうか。
目の前の人物は、何事もなかったかのように立っている。
右手を下ろす。
その人物は、何事もなかったかのようにコートのポケットへ手を入れた。取り出したのは、煙草の箱だった。箱から一本だけ煙草を抜き取る。それを人差し指と中指で挟み、唇へ運んだ。
「…………」
煙草を咥えたまま、古びた銀色のライターのふたをカチンと鳴らして弾く。小さな炎が灯った。炎を煙草の先へ近づける。火が煙草の先端を赤く染める。
カチンッとライターを閉じてポケットへ戻す。そして、煙草を咥えたまま空を見上げる。
一度、煙を肺へ入れる。
数秒して、細く長く吐き出した。白い煙が唇の端から流れ、ハットの横を這うように空へ昇っていく。
戦場の真ん中にいるとは思えないほど、落ち着いている。魔物との戦いなど、この一服のついでに済ませる程度のことだと言わんばかりに。
人差し指と中指で挟んだタバコの灰を落とす。灰が風に流される。それから、ゆっくりともう一度、煙草を口へ運んだ。吸う。赤い火種が、わずかに強くなる。
吐く。白い煙が、また風へ溶けていく。
私は目の前に立つ黒衣の人物から視線を外せなかった。この人の正体を知りたいと思いながらも、きくことが許されないような空気があった。
「……っ!?」
学院の別の場所から、また異質な魔力が立ち上がっている。魔物だ。それも1つではない。校舎内、それに避難場所である体育館の近くでも。次々と魔力反応が生まれていく。背筋に冷たいものが走った。
遠くから生徒たちの叫び声が聞こえる。低い咆哮のような音まで響いてきた。ならば、ここで立ち止まっているわけにはいかない。
私は地面へ手をついた。腕に力を込める。激痛が走った。それでも歯を食いしばり、身体を起こそうとする。分かっている。今の私は戦える状態ではない。剣を握る力すら残っていない。それでも、行かなければならない。
そのとき、黒衣を揺らしながら目の前の彼が静かに口を開いた。
「……これを吸い終わるまでに、片をつける。それでいいか、嬢ちゃん」




