第13話 学院最強の剣士、ミスターXの人質に決定
「学院の敷地内で、魔物が発生! 生徒の皆さんは、今すぐ避難してください!」
学院中に響き渡る警報とともに、図書室の空気が一変した。それまで静かに本を読んでいた生徒たちが、一斉に顔を上げる。椅子を引く音が重なり、ページをめくっていた手が止まる。何が起きたのか分からず、互いの顔を見ながら不安そうな声を上げ始めた。
「魔物……?」
「学院の中?」
「どこで発生したの?」
「避難訓練じゃなくて?」
ざわめきが少しずつ大きくなっていく。司書の先生も生徒を落ち着かせようとしているが、警報そのものが状況の異常さを物語っていた。学院の敷地内に魔物が発生する。普通に考えれば、とんでもない事態だ。
ドォンッ!
突然、爆発音のような轟音が響いた。
「――っ!」
窓ガラスが一斉に震える。図書室の床まで揺れた。
「きゃあっ!」
「な、何!?」
「今の音、近くない!?」
生徒たちから悲鳴が上がる。本棚が揺れ、机の上に置かれていた本が何冊か床へ落ちた。
「……」
俺は椅子から立ち上がった。窓へと向かい外へ視線を向ける。校舎の一部から煙が立ち上っていた。煙が、ゆっくりと空へ伸びている。その光景を見た瞬間、俺の胸が高鳴った。
来た。ついに来た。
平穏な学院生活を突然襲う非日常。静かな日常を引き裂く警報。爆発と黒煙。窓の外を見つめたまま、口元を少しだけ緩める。
「…………」
この状況、間違いない。
「ハードボイルドチャンスだ」
地下の調査などと言っている場合ではない。俺の血が騒いでいる。
俺は窓の外を見ながら、これからの展開を考え始めた。問題は、どういう悪役ムーブをするかということ。ミスターXは今や街を救ったヒーロー。正義のために戦う謎の男とされている。だがそれもここで終わり。全てをひっくり返す。
今回は英雄という立場そのものを利用するのだ。
考えを整理しよう。
平穏な学院生活という日常の中に、突然現れた魔物。そこへ突然、黒衣の男が現れる。誰かが、ミスターXだと気が付く。すると全校生徒が俺を「学院を救ってくれる存在」だと思うだろう。
ならば、その期待を裏切ればいい。魔物はもちろん倒す。圧倒的な力で倒す。それもひとつの見せ場だ。でもそのあと、俺は魔物以上に恐ろしい存在として、学院そのものを恐怖に包み込むのである。
眩しいばかりの光から、絶望という闇へ一気に叩き落とす。
「問題は、誰を利用するか……」
まあ、それらしい人物を見繕えばいい。
「……ふふっ」
思わず笑みがこぼれた。
俺の想定する限り、完璧だ。
これまで俺が積み上げてきた「英雄」というイメージすら、逆手に取ってやる。今日、ミスターXは英雄でなく「闇の支配者」であると証明する。
闇より生まれ、闇を支配する存在!
「エリオット、避難しよう」
俺が振り向くと、アガサはいつもと変わらない表情をしている。周囲の生徒たちが慌てている中でも、アガサは冷静だった。どんな状況でも取り乱さず、必要なことだけを考える。それがアガサという人間だった。
そんなアガサが、俺の腕を軽く引いた。
「行くよ」
「ああ」
俺は頷いた。アガサやジェニーまで巻き込むつもりはない。まずは2人を安全な場所まで避難させる。それが闇を生きる俺の流儀というものだ。
「ジェニー、避難するぞ。俺からはぐれるな」
「はい」
廊下には、すでに大勢の生徒でごった返していた。教師たちが声を張り上げている。
「走らないで!」
「押さないように!」
「体育館へ避難しろ!」
生徒たちは教師の指示に従い、次々と移動していく。俺もアガサとジェニーに挟まれる形で歩いた。
だが、俺の意識はずっと外へ向いていた。
また轟音が響く。
ドォンッ!
「エリオット、見てください」
ジェニーが窓の外を指差した。
「誰かが戦ってる」
遠くに人影が見える。魔法が飛び交っていた。炎が上がる。地面が盛り上がる。剣のような光が走る。それなりの人数が戦っているようだった。
「誰が戦ってるんだ?」
俺が尋ねる。
「白銀の守護隊」
アガサが答えた。
「学院の秩序と武力を一手に担っている組織。要するに、この学院で一番強い生徒たち」
「ほお……」
俺は窓の外へ視線を戻す。確かに動きがいい。それなりに訓練されているらしい。
そのとき。
ドゴォンッ!
校舎全体が揺れた。
「きゃっ!」
「何だ!」
生徒たちから悲鳴が上がる。
そして窓の外から、何かが飛んできた。壁ごとぶち破って生徒たちの前に巨大な魔物が立ちふさがる。生徒たちが一斉に後ずさった。
「魔物だ!」
「逃げろ!」
生徒たちの悲鳴が廊下に響き渡る。
目の前に立っている魔物を見た瞬間、俺は気づいた。
普通の魔物じゃない。
身体の形が、少しばかり人間に近い気がする。二本の腕と二本の脚を持ち、頭部の形も人間に似ている。だが、その皮膚は死人のように青白く、ところどころが腐敗している。目は濁り、口元からは鋭い牙が覗いていた。
人間に近い。だが、人間とは呼べない。見ているだけで本能的な嫌悪感を覚える姿だった。
「食屍鬼……」
俺の口から、その名前が漏れた。
人間の死体を食べる、怪物化した元人間。昔から伝承として語られている怪物だ。死体を喰らい、人の姿を失い、やがて人間ではない何かへ変わり果てる存在。
俺は、あくまで伝承だけの話だと思っていた。だが、目の前にいる。実際に動いている。しかも、そのグールは俺たちの存在に気づくと、ゆっくりと身体をこちらへ向けた。
「グルルルル……」
喉の奥から、獣とも人間ともつかない唸り声が響く。生徒たちが一斉に後ずさる。
「来るぞ!」
「逃げろ!」
「誰か助けて!」
グールが一歩、踏み出した。その巨体が、生徒たちとの距離を一気に詰める。そして生徒たちへ向かって腕を振り上げた。
このままだと、何人かの生徒が死ぬな。
さて、どうするか。見えない速度で腕でも切り落とすか。それなら、俺がやったとは誰も気づかないだろう。
俺が魔力を動かそうとした、その瞬間だった。
ヒュンッ!
何かが視界を横切った。グールの腕だ。切断された腕が宙を舞い、床へ落ちる。
ドサッ。
グールが苦しそうな声を上げた。
「グォォォォォッ!」
そして、魔物と生徒たちの間に、一人の少女が立っていた。白銀の髪が舞っている。少女の手には、一振りの剣。その切っ先から、魔物の血が一滴、床へ落ちた。
少女は剣を構えたまま、背後にいる生徒たちへ視線を向けることすらしない。ただ、目の前のグールだけを見据えていた。
「イザベラ様!」
誰かが叫んだ。その声に反応するように、周囲にいた生徒たちが一斉に顔を上げる。
「イザベラ様だ……!」
「来てくれた!」
「白銀の守護隊!」
先ほどまで恐怖に顔を引きつらせていた生徒たちの間に、少しずつ安堵が広がっていく。その中心に立っていた少女は、白銀の髪を風に揺らしながら剣を構えていた。
そのとき、アガサが俺の服の袖を掴んだ。
「白銀の守護隊のトップ、イザベラ・コスタクロック。学院最強の剣士って言われてる。ちなみに生徒会長」
「生徒会長って、そんなに強いんですね」
隣にいたジェニーが、驚いたように言った。
「うん。皇国の剣術大会で優勝してる。年齢も性別も関係なく参加する大会。皇国内の剣士なら誰でも参加できる」
ジェニーはイザベラを見つめた。
「す、すごい……。そんな人がこの学院にいたなんて」
その声には、純粋な驚きが含まれていた。俺も同じようにイザベラを見る。
学院最強と呼ばれた少女。
細身の身体に無駄な力は入っていない。剣を握る右手も、肩も、腰も自然な位置に収まっている。魔物を前にしているというのに、呼吸すら乱れていない。
目の前には、腕を切り落とされたグール。
それでもイザベラの表情は変わらなかった。
グールが唸る。
「グルルルル……」
失った腕から黒ずんだ血液が流れ落ちる。普通の生物なら、腕を切り落とされれば動けなくなる。少なくとも戦意を失うはずだ。だが、そのグールは違った。
身体を低く沈め、残った腕を地面へつく。
「グォォォォォッ!」
そのまま、イザベラへ飛びかかろうとする。生徒たちから悲鳴が上がった。だが、イザベラは動かない。正確には、動く必要がないのだ。
イザベラの剣先がわずかに動いた。
ギィンッ!
金属音が響く。グールの爪が弾かれた。
「遅い」
ザンッ!
グールの身体に一筋の傷が走る。
「グォ……ッ!」
グールが後退してそのまま倒れる。その光景を見ていた生徒たちは、誰も声を出せなかった。イザベラは剣についた血を払う。
「全員、今のうちに避難して!」
落ち着いた声だった。大声ではない。それでも、よく通る。その声を聞いた生徒たちは、迷うことなく動き始めた。
教師たちも生徒を誘導し始める。誰もイザベラの言葉に逆らわない。それだけ、この少女が信頼されているということなのだろう。
イザベラ自身は振り返らない。生徒たちが安全に避難しているか確認することすらしない。自分がここに立っている。それだけで、生徒たちを守れと確信しているように見えた。
そして何より重要なのは、生徒たちが彼女を信頼していること。
「やっぱイザベラ様すげえ」
「イザベラ様がいるなら大丈夫だよ」
「白銀歴代最強は、やっぱり本当なんだね」
そんな声が聞こえてくる。教師たちも、彼女の戦いを邪魔しないよう生徒を避難させている。白銀の守護隊の仲間たちも、彼女を中心に動いている。
学院最強。
生徒会長。
白銀の守護隊のトップ。
皇国の剣術大会優勝。
学院の精神的支柱。
「…………」
俺は心の中で静かに頷いた。
人質として申し分ないぞ、イザベラ・コスタクロック。




